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Channel: はぐれ遍路のひとりごと
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四国遍路26日目

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                       54番 延命寺

                遍路模様(26日目) (2003/4/7)

宿(6:00)→延命寺(54)→南光坊(55)→泰山寺(56)→栄福寺(57)→仙遊寺(58)→国分寺(59)→宿(15:40) 31.7kmkm

 空模様が怪しい。天気予報はTVを見ていないので分からないが今にも降ってきそうだ。
ともかく今は降っていないので合羽を着ないでの出発になる。

仮に天気予報を見たとしても予報が雨になると言ったところで、その時点で雨が降っていなければ合羽は着ない。
晴れだと言っても、現に雨が降っていれば合羽は着る事になる。
また一日の行程も雨が降りそうだから短くするとか、晴れだから長くすることも無い。
ようは天気予報は見ても見なくても私の一日の行程には変わりない。

 案の定延命寺を過ぎて墓地公園を歩いていると雨が降ってきた。小雨の時は菅笠が傘の代わりをしてくれたが、
雨は段々強くなってくる。休憩所が見えたので、そこで合羽を着ようと中に入るとご夫婦の遍路がいた。

雨支度をしながら少し話をした。
 「2月から歩いているのですが、この人の足の調子が悪く中々前に進めません。それでも最近は少しずつ距離が
伸びているのですが」 とご主人が言う。奥さんは寂しそうな笑いを浮かべながら足をさすっている。

今までご夫婦の遍路には3組会っている。
最初に高知で合ったご夫婦は、明るく二人とも元気で遍路を楽しんでいるように感じた。
次に宇和島城で会ったご夫婦は、交通機関を利用しているせいか余裕が感じられた。
そしてこのご夫婦は労わりあうと言うのか、ご主人が優しく、それに奥さんが感謝しているように感じる。

もし私が夫婦で来たとしたらどのタイプになるか想像した。
まず最初の明るく楽しむタイプは除外だろう、妻は歩くことに楽しみは感じないからだ。
3組目の労わりあうのは私が駄目だ。無理をして妻を連れてきても最初のうちは優しい言葉や態度をとれても
それが毎日となるとどうだろう。きっと欲求不満になって段々つれない態度になっていくだろう。
そうなると交通機関を使う方法が残された遍路方法だが、私たち夫婦にできるだろうか・・・
雨は今治の街中に入る頃にはやんで天気は急速に回復してきた。

 泰山寺に向かう今治の街中を歩いていると、右手の岡の上にお城が見えた。
今治城かなと思うのだが何かチャチに見えるので別のお城なのか?
こうなるとその疑問を解決しないと何時までも気になってしまうので聞いてみた。
「あのお城は今治城ですか?」
 「いえ違います。ホテルです」やぁ悪いことを聞いてしまった。
ラブホテルとは思わなかった。ラブホテルを今治城と間違えるなんて今治の方済みませんでした。

 今治の町中でお遍路さんらしき人に追い抜かれた。
杖も持たず白衣も着ていない、だが中年過ぎの男性でなんとなくお遍路さんの雰囲気はする。
それにしても足の早い人だ。今まで私は歩いている時、追い抜かれた事は無い。
なんとなく自尊心が傷つき、後に着こうとしたが疲れるばかりなので諦めた。

そのお遍路さんは杖を持っていなかったが、私にとって今ではこの金剛杖は必需品になっている。
始めのうちは杖が邪魔で後ろに手を組んで持ったり、小脇に抱えたりしていたのだが、今では平地でも必ず
杖を突くようになった。
それもしっかり手に握り一歩一歩グイッと体を押し出すようにしている。
その反動で体は前に移動し早く歩けるし、足への負担も少なくなるような気がするのだ。
それが昨日の後半のように余り疲れると、杖を引きずるようになりトボトボとした歩きになってしまうようだ。

ただ杖をしっかり握るせいか、右手の小指の関節が少し痛くなってきた。
小指を曲げて真っ直ぐしようとすると、途中からピクンと一気に動いてしまう。
何故そうなるか分からないが遍路が終われば治るだろう、今気にしても仕方ない。
(帰宅後病院で診てもらったら 「バネ指」 と診断された)

 小学校の前を通ると入学式だった。校門の入口には桜が満開で絶好の入学式日和。
ビデオを撮る家族で賑わっている。こちらは白装束のお遍路姿なので縁起が悪いかもしれないと思い、道の
隅を足早に通り過ぎた。それにしても両親と一緒の家族が目に付く。

自分のことを振り返ると、二人の子供の入学式も卒業式も、勿論授業参観も行ったことはない。
それが良いことか悪いことかは別にして、最近は子供を甘やかしが過ぎるのではないだろうか。
親が子に対して甘え、子が親に対し甘えている。

 仙遊寺の登りになると瀬戸内海が見え始めた。雨で埃が流され今は日も射しているので、すっきり見える。
芸予諸島や対岸の本州らしきものも見える。しまなみ海道の橋も見える。
あれが来島海峡か、あれが大三島でそしてあれが因島かと、なけなしの知識を総動員して勝手に納得をする。

しまなみ街道の橋は歩行者専用の部分もあり、歩くことも可能だと聞いたので、当初は大三島にある村上水軍や
鶴姫の鎧など見てみたかったが、いざこの地に来てみると2日か3日の日程追加が惜しくなってしまった。
それになにより同じ道の往復、しかも海の上をと考えると結局足を伸ばす勇気が湧いてこなかった。

 今日4月8日はお釈迦さんの誕生日で花祭り。仙遊寺で甘茶の接待を受ける。
置いてあるコップが小さく飲んだ気がしないので、人の居ないのを良い事に5・6杯飲んでしまった。
ごめんなさい。
花祭りのお接待では泰山寺の奥の院で弁当の接待があったと言う。
それを聞いて羨ましく感じる私はまだまだ駄目だ。

仙遊寺の帰りに山門で休んでいたお遍路さんに声を掛けられた。
 「黒糖を食べませんか。甘いものは疲れを取りますよ」 と言って黒糖の包みを差し出す。
 「有難う御座います」 お礼を言いながら欠けらを2・3個貰った。
 「そんな少しでなく沢山取ってください。少しでも荷物を軽くしたいので助けると思って」 と包みを傾け
ゴロゴロと出してくれた。
私はいつになったらこのような態度が取れるようになるのだろうか。

 番外の臼井の水の所で朝追い抜かれた遍路さんが休憩していた。私もザックを下ろして
 「足が速いですね」 と声を掛けた。その遍路さんは
 「私が早いのではなくて、他の者が遅いのだ 」アレーチョト雰囲気がおかしいぞ。

 「朝飯も食べずに出るくせに、私が朝飯をゆっくり食べて出発しても10時頃には追い抜いてしまう。
最近は歩くことも修行と考えていない」 段々エスカレートしてくる。
まずい人に声を掛けてしまった。

何とか離れようとザックに手をやると敵もすかさず 「少し一緒に歩きましょう」 と立ち上がる。
 「私は足が遅いので」 と牽制球を投げるのだが 「大丈夫ゆっくり歩きますよ」 と放してはくれない。
あきらめて一緒に歩き始めたのだが遍路の悪口から始まり、札所の批判や四国の人への文句まで延々と続く。
そのうち 「私は3月10日に出発したが、あんたはいつからだね」 と聞いてきた。つい正直に
 「3月14日から歩き始めました」 と答えると、今度は批判の先が私に向いた。
 「先を急ぐばかりでは駄目だ」 「四国をもっと味あえ」 「番外にもお参りをしろ」 「朝から晩まで歩き続けては
駄目だ」 その通りと思うこともあるし、そんな馬鹿なと思うのもある。
しかし反論して益々感情をエスカレートさせてしまうのもいやなので、 「そうですね」 とか 「そうですか」 と
生返事を繰り返していた。

一緒に歩いて30分か40分ぐらい経ったとき今日の宿の案内板があった。恐るおそる
 「私はあの宿を予約してますが・・・・(アー神様同じ宿でありませんように・・・)」
 「あっそう。私はもっと先の旅館に泊まるから。明日も宜しくね」 あっさりと分かれてくれた。
もう一度神様にお願いした(明日一緒になりませんように)

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