52番 太山寺
街中の遍路道(25日目) (2003/4/6)
宿(5:30)→太山寺(52)→円明寺(53)→宿(16:25) 43.3km
52番太山寺に向かう遍路道は安城寺廻りと住宅地の中を行く古三津廻りがある。
たまには住宅地の中を歩こうと古三津廻りにしたのだが、先ずその入口からして分からなかった。
歩いている人に太山寺への道を聞いても、皆安城寺廻りの道を教えてくれる。
聞き方が悪かったと思い、先の太山寺ではなく途中になる高校までの行き方を聞き、高校に着いたら次の目標と
少しずつ目標を延ばしながら進んでいった。
まどろっこしいが住宅地には遍路札が非常に少ないので聞きながら進むしか手が無かった
信心深い人や遍路に興味のある人以外の一般の人は、宗教的なものは何か縁起が悪いと感じるので遍路札を
嫌う気持ちはあるのだろう。かく言う私もその口だから、その気持ちは分かる。
しかしそれなら遍路札代わりの矢印のシールならと思うのだがそれも無い。
都会の現代人からは、こんな札をさえ許すお接待の気持ちも無くなってしまったのだろうか・・・・・
昼を過ぎる頃から雲行きが怪しくなってきた。なんとかこのままでいて欲しい。
と言うのも昨夜洗濯した靴下がまだ乾いていず、杖の先端に被せてあるからだ。
毎晩洗濯する3点セット(靴下、パンツ、下着)のうち、パンツと下着はエアコンでも乾くが、靴下のゴムの部分が
中々乾かない。特にスポーツ屋で買った速乾性と銘打った靴下が乾かない。
当初は昼間はザックに縛って吊り下げていたのだが、最近は杖の先端に被せる方法を取っている。
街中ではさすがに恥ずかしいのでやらないが、郊外や山道ではまるで金剛杖のカバーのように付けている。
もう一足の靴下は冬用の靴下で少し厚いが、こちらはエアコンでも何とか乾いている。
わざわざ高い速乾性の靴下を買う必要は無かったと後悔をしている。
靴下といえば足のまめは、薬屋で貰った試供品の赤チン付貼り薬を二日貼っただけで治ってしまった。
折角買った赤チンはザックの中でチャポンチャポンと音をたてるだけの役目のようだ。
この辺りは陶土が取れるのか瓦工場がある。
家々の屋根にも立派な鬼瓦があり屋根の角には大黒さんや鷹などの彫り物の瓦が付いている。
中には大黒さんが釣りをしているのも有るが、漁師さんが大漁祈願をしているのだろうか。
静岡では鬼瓦といっても古い蔵などに 「水」 と書かれた瓦を見る位なので、こうした瓦は珍しい眺めだ。
今日の歩行距離は43kだが、山越えも無く舗装道路を歩くだけなので簡単に考えていた。
朝は5時半の早立ちだったので、遅くとも4時頃には着くだろうと思っていたが、中々そうはいかなかった。
今日で25日目、疲れが蓄積してきたのか、それとも夜熟睡できないせいなのか。
いやそれとも午前中の住宅地で神経を使いすぎたのか、ともかく疲れた。
歩行距離と疲労度はどうも比例しない、今日は43kどころか50kは歩いたような気がするがまだ着かない。
いい加減いやになり歩きもノロノロ、ズルズルになった頃、コンビニがあった。
今日の予約はビジネスホテルなので夕飯と朝飯を買って、更に元気付けにお酒も買った。
妻への約束も一度破ってしまえば後はもうしまりが無くなる。(でも毎日は飲んでいません)
「早く飲みたい!」 「早く食べたい!」 と気合を入れ直して歩行開始。
やっと着いたホテルの玄関で、いくら呼んでも誰も出てこない。
名前はビジネスホテルだがおこがましいくらいだ。 「民宿〇〇」 で十分だ。
疲れと飲みたい気持ちでイライラしてくる。
玄関に座り込んで更に呼んでいると、2階から降りてきた人が 「宿の受付は前の食堂ですよ」 と教えてくれた。
食堂へ行くと 「料金は前金でお願いします。食事はどうしますか」 と聞かれ、 「いらない」と答えると
部屋の鍵をくれた。
宿の人と話したのはこれだけだった。なんとも簡単でいい。
部屋に入ると壁に
「大西町のごみ収集が分別収集になったため、お客様のごみはお持ち帰りください」 と書いた紙が貼ってある。
なに! 持ち帰れたって何処へ持ち帰ればいいんだ。
静岡までごみを背負っていけと言うことか、また腹が立ってきた。
大体ごみの分別収集なんて何処の町だってやっていて大西町だけの事ではない。なにを偉そうに。
怒りながら飲んだ酒は美味しかった。
翌朝気の弱い私は、ごみを部屋に置いて出るわけには行かず持っては出た。
しかし気が弱いくせにしてずうずうしい私は食堂の横にある自動販売機の空缶入れに入れてしまいました。
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