土砂崩れ(16日目) (2003/3/26)
宿(5:45)→宿(14:30) 43.5km
高知県大方町。初めて聞く地名だ。
昨夜宿の人が 「ここから鯨が見える」 と自慢していたが、確かに道路沿いには 「ホエールウオッチング」 の看板とか
「鯨が見える岡公園」 があった。
室戸では死んだ鯨を見たが、生きている鯨も見てみたいと海を眺めるが、そう都合よく鯨は現れてはくれない。
よしそれなら困った時の神頼みだと 「南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛」 と三回唱えて
みたが霊験は現れなかった。
遍路道は国道を離れて海岸に出る。浜は土佐入野の浜と言うらしい。
白浜が3kmほど続き宿泊施設や大きな駐車場も見える。
夏は海水浴客で混雑しそうな所だが、今はまだ春、しかも6時前なので人影は見当たらない。
ゆっくりしたいが今日の歩行予定は43k強。初めての40k台の強行軍なので白浜を横目で見ながら素通りをする。
今日は楽しみにしていた四万十川を渡る日だ。
川を渡るのに渡し舟か橋か迷ったが、渡し舟は便数が少なく乗り遅れると大分待たなければならないらしい。
それならと、渡し舟は止めて四万十川大橋を歩くことにした。
橋から眺める四万十川は水量も多く川幅も広い堂々とした大河だ。
静岡県にも天竜川や大井川それに富士川などの大河があるが、なにせ水が無い。
普段は河原砂漠の状態で川から砂塵が巻き上がる有様だ。
それが台風など大雨になると一挙に濁流となって渦を巻くような流れにと変身する。
それは私のイメージする大河ではなく、私の大河とは川幅は広くて水量が多く、ゆった悠然とした流れを持つ川だ。
そう正に四万十川のような川だったので、渡りながら何度も川を覗き込みながら歩いた。
四万十川を渡ると国道なのに車が極端に少なくなった。
一昨日岩本寺で逆打ちのお遍路さんが 「足摺岬に行く途中の久百々(くもも)が土砂崩れで通行止めになっていた」 と
言っていたがその影響だろうか? 静かな国道は遍路には有難いだが車の人は困っている事だろう。
だがそのお遍路さんは 「車は駄目だが徒歩は山道がある。」 と言っていたので心配はしていない。
中村市と土佐清水市の境に長い峠のトンネルは、普段なら車の往来が多く恐ろしいトンネルなのだろうが
今日は違っていた。何しろ車が一台も走っていなく向かいからは涼しい爽やかな風が入ってくる。
これならトンネルの外を歩くより余程もいい。土砂崩れ様々だなど脳天気な事を考えながらのんびり歩いていた。
土砂崩れ現場に着いたが緊迫した空気は無く、一刻も早く復旧しなければと言うより、普通の道路工事の
雰囲気だ。元々交通量が少ないのか、回り道があるので余裕があるのか分からないが、私は自分さえ通れれば
文句は無いので軽い気持ちで回り道に入る。
「ウヘ!」 まさに 「ウヘ!」 の連続だった。これが道?
50度を超えるような斜面にトラロープを垂らしてあるだけで、腕力で自分の体を持ち上げて登るようなものだ。
距離はさほど無かったが疲れた。正に楽あれば苦有りだった。
神は見捨てない。苦の次はまた楽が現れた。
今度の楽は風景だ。新緑に輝く久百々の山は柔らかい水彩画のように、色使いが多彩で濃い緑、薄い緑、
柔らかそうな緑に硬い緑。他にも新芽が薄く赤みを帯びた新緑もある。
その赤みも葉によって濃さが違うようだ。色だけでなく形もモクモクと沸きあがるようなもの。スーと横に伸びたもの、
垂れ下がったもの。今が盛りか淡い薄桃色の山桜も点々と咲いている。
自分に絵の才能が無いのが非常に口惜しく感じてしまった。
そして楽はまたまた現れた。そこが今日一番の景色だった。いやこの遍路の中で一番の景色だった。
場所は久百々を3kほど足摺岬に向かった所で、名前を 「大岐(おおき)浜」 と言う。
1kmほどの浜だが松林から海辺までが広く、その浜が一面白砂で覆われている。
書けばそれだけだが私が今まで見たどこの砂浜より綺麗に見えた。伊豆の白浜や弓ヶ浜もいいが、それよりも一段と
良い。国道からの眺めが浜全体を見下ろせるのもまた良い。
当然下におりて砂浜を歩いた。
砂浜歩きの大変さは室戸で経験済みだったので堤防の上を歩くことにする。でも何か物足りない。
素晴らしいの白浜の傍に居ながら自身は堤防の上を歩くなん・・・・・
思い切って波打ち際まで行って正解だった。波打ち際は海水で締まっていて歩いても沈まず砂も靴に入らない。
また脳天気な考えが浮かんできた。
この場面は中々良いじゃない、海をバックに白浜を歩くはぐれ遍路。
題して 「白浜の遍路」 誰か写真を撮ればコンテスト入選間違いなしだ。
宿の主人に聞いたのだが昔はこの浜はもっと広く、戦時中に米軍の戦闘機が不時着した事もあると言う。
それが最近では年々砂浜が痩せてきているそうだ。
地元では対策を取るよう県に要望しているのだが全然取りあってくれないと言って嘆いていた。
今朝宿を出たのが5時50分。着いたのは2時30分で9時間弱かかったことになるが、休憩時間等を除けば
実際の歩行時間は8時間もかかっていないだろう。
それが本によればここの距離は43.5kとなっている。時速にすれば5km強! 本当かな?
そんなわけで宿に早く着きすぎてしまい近所をブラブラしていると、宿の主人が気付いて快く部屋に案内して
くれた。
宿の名前は “星空” とロマンチックな名前だが、建物もロケーションもまるっきりイメージとは違った。
だがご主人が優しく親切で話好きだった。
部屋に上がると 「今日は天気が良いから着ている物を洗濯する」 と言って、私のズボンや白衣を脱がせて
持っていった。乾燥機で乾かすと思っていたら洗濯物を竿に干し始めた。
なにせズボンの予備は薄いショートパンツしかないから心配だ。
「乾きますかね?」 「大丈夫 今日は天気もいいし時間も早いから夕飯までには乾くよ」 太鼓判を押す。
干し終わると私の部屋にどっかり座り込んで話を始めた。
大岐浜の事。それにまつわる県知事の話。船員だった頃の話。宗教の話。実はこの宗教の話がが一番面白かった。
主人は以前は天理教等の日本の宗教を次々と信じては改宗していたが、今は 「エホバの証人」 (?)の信者だそうだ。
話は奥さんに 「夕飯の準備だよ」 と言われるまで続いた。
考えてみると宿の人と話をする機会は余り無い。
今日ま17泊したがじっくり話したのは7日目のあずまの女主人と此処くらいのものだ。
あとは必要最小限度の会話で終わっている。
もっと自分から話しかけなければ、とも思うが中々出来ない。
それも初日の日に見猿、言猿、聞猿を決心したのだから仕方ないか。
宿(5:45)→宿(14:30) 43.5km
高知県大方町。初めて聞く地名だ。
昨夜宿の人が 「ここから鯨が見える」 と自慢していたが、確かに道路沿いには 「ホエールウオッチング」 の看板とか
「鯨が見える岡公園」 があった。
室戸では死んだ鯨を見たが、生きている鯨も見てみたいと海を眺めるが、そう都合よく鯨は現れてはくれない。
よしそれなら困った時の神頼みだと 「南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛」 と三回唱えて
みたが霊験は現れなかった。
遍路道は国道を離れて海岸に出る。浜は土佐入野の浜と言うらしい。
白浜が3kmほど続き宿泊施設や大きな駐車場も見える。
夏は海水浴客で混雑しそうな所だが、今はまだ春、しかも6時前なので人影は見当たらない。
ゆっくりしたいが今日の歩行予定は43k強。初めての40k台の強行軍なので白浜を横目で見ながら素通りをする。
今日は楽しみにしていた四万十川を渡る日だ。
川を渡るのに渡し舟か橋か迷ったが、渡し舟は便数が少なく乗り遅れると大分待たなければならないらしい。
それならと、渡し舟は止めて四万十川大橋を歩くことにした。
橋から眺める四万十川は水量も多く川幅も広い堂々とした大河だ。
静岡県にも天竜川や大井川それに富士川などの大河があるが、なにせ水が無い。
普段は河原砂漠の状態で川から砂塵が巻き上がる有様だ。
それが台風など大雨になると一挙に濁流となって渦を巻くような流れにと変身する。
それは私のイメージする大河ではなく、私の大河とは川幅は広くて水量が多く、ゆった悠然とした流れを持つ川だ。
そう正に四万十川のような川だったので、渡りながら何度も川を覗き込みながら歩いた。
四万十川を渡ると国道なのに車が極端に少なくなった。
一昨日岩本寺で逆打ちのお遍路さんが 「足摺岬に行く途中の久百々(くもも)が土砂崩れで通行止めになっていた」 と
言っていたがその影響だろうか? 静かな国道は遍路には有難いだが車の人は困っている事だろう。
だがそのお遍路さんは 「車は駄目だが徒歩は山道がある。」 と言っていたので心配はしていない。
中村市と土佐清水市の境に長い峠のトンネルは、普段なら車の往来が多く恐ろしいトンネルなのだろうが
今日は違っていた。何しろ車が一台も走っていなく向かいからは涼しい爽やかな風が入ってくる。
これならトンネルの外を歩くより余程もいい。土砂崩れ様々だなど脳天気な事を考えながらのんびり歩いていた。
土砂崩れ現場に着いたが緊迫した空気は無く、一刻も早く復旧しなければと言うより、普通の道路工事の
雰囲気だ。元々交通量が少ないのか、回り道があるので余裕があるのか分からないが、私は自分さえ通れれば
文句は無いので軽い気持ちで回り道に入る。
「ウヘ!」 まさに 「ウヘ!」 の連続だった。これが道?
50度を超えるような斜面にトラロープを垂らしてあるだけで、腕力で自分の体を持ち上げて登るようなものだ。
距離はさほど無かったが疲れた。正に楽あれば苦有りだった。
神は見捨てない。苦の次はまた楽が現れた。
今度の楽は風景だ。新緑に輝く久百々の山は柔らかい水彩画のように、色使いが多彩で濃い緑、薄い緑、
柔らかそうな緑に硬い緑。他にも新芽が薄く赤みを帯びた新緑もある。
その赤みも葉によって濃さが違うようだ。色だけでなく形もモクモクと沸きあがるようなもの。スーと横に伸びたもの、
垂れ下がったもの。今が盛りか淡い薄桃色の山桜も点々と咲いている。
自分に絵の才能が無いのが非常に口惜しく感じてしまった。
そして楽はまたまた現れた。そこが今日一番の景色だった。いやこの遍路の中で一番の景色だった。
場所は久百々を3kほど足摺岬に向かった所で、名前を 「大岐(おおき)浜」 と言う。
1kmほどの浜だが松林から海辺までが広く、その浜が一面白砂で覆われている。
書けばそれだけだが私が今まで見たどこの砂浜より綺麗に見えた。伊豆の白浜や弓ヶ浜もいいが、それよりも一段と
良い。国道からの眺めが浜全体を見下ろせるのもまた良い。
当然下におりて砂浜を歩いた。
砂浜歩きの大変さは室戸で経験済みだったので堤防の上を歩くことにする。でも何か物足りない。
素晴らしいの白浜の傍に居ながら自身は堤防の上を歩くなん・・・・・
思い切って波打ち際まで行って正解だった。波打ち際は海水で締まっていて歩いても沈まず砂も靴に入らない。
また脳天気な考えが浮かんできた。
この場面は中々良いじゃない、海をバックに白浜を歩くはぐれ遍路。
題して 「白浜の遍路」 誰か写真を撮ればコンテスト入選間違いなしだ。
宿の主人に聞いたのだが昔はこの浜はもっと広く、戦時中に米軍の戦闘機が不時着した事もあると言う。
それが最近では年々砂浜が痩せてきているそうだ。
地元では対策を取るよう県に要望しているのだが全然取りあってくれないと言って嘆いていた。
今朝宿を出たのが5時50分。着いたのは2時30分で9時間弱かかったことになるが、休憩時間等を除けば
実際の歩行時間は8時間もかかっていないだろう。
それが本によればここの距離は43.5kとなっている。時速にすれば5km強! 本当かな?
そんなわけで宿に早く着きすぎてしまい近所をブラブラしていると、宿の主人が気付いて快く部屋に案内して
くれた。
宿の名前は “星空” とロマンチックな名前だが、建物もロケーションもまるっきりイメージとは違った。
だがご主人が優しく親切で話好きだった。
部屋に上がると 「今日は天気が良いから着ている物を洗濯する」 と言って、私のズボンや白衣を脱がせて
持っていった。乾燥機で乾かすと思っていたら洗濯物を竿に干し始めた。
なにせズボンの予備は薄いショートパンツしかないから心配だ。
「乾きますかね?」 「大丈夫 今日は天気もいいし時間も早いから夕飯までには乾くよ」 太鼓判を押す。
干し終わると私の部屋にどっかり座り込んで話を始めた。
大岐浜の事。それにまつわる県知事の話。船員だった頃の話。宗教の話。実はこの宗教の話がが一番面白かった。
主人は以前は天理教等の日本の宗教を次々と信じては改宗していたが、今は 「エホバの証人」 (?)の信者だそうだ。
話は奥さんに 「夕飯の準備だよ」 と言われるまで続いた。
考えてみると宿の人と話をする機会は余り無い。
今日ま17泊したがじっくり話したのは7日目のあずまの女主人と此処くらいのものだ。
あとは必要最小限度の会話で終わっている。
もっと自分から話しかけなければ、とも思うが中々出来ない。
それも初日の日に見猿、言猿、聞猿を決心したのだから仕方ないか。