28番 大日寺
震洋(11日目)) (2003/3/23)
宿(7:00)→大日寺(28)→国分寺(29)→善楽寺(30)→(16:00) 29.9km
今日は高知県夜須町にある 「震洋隊殉国慰霊塔」 のことを報告したい。
戦時中夜須町手詰岬には特別攻撃隊震洋の基地があった。
震洋と言う言葉は知らなかったが案内板によると、震洋はモーターボート程度の船に隊員1-2名が乗込み、
爆薬300Kgと共に敵艦に体当たりする自爆型特攻兵器のことだった。
幸いなことに夜須町の震洋隊は出撃せずに終戦を迎えることができたのだが、終戦翌日の昭和20年8月16日、
高知県須崎の突撃隊司令部より 「敵艦が土佐沖を航行中、直ちに出撃しこれを撃滅すべし」 と命令が下った。
命令を受け手詰の震洋隊は直ちに準備を開始したが、その準備中に震洋の一艇から漏れ出した油に火が付いてしまった。
火は次々と22艇全ての震洋に燃え移り爆発炎上して無残にも搭乗員、整備員等併せて111名が犠牲となった。
これを見た見張所は敵艦と交戦中と誤認し、陸軍四国防衛軍に 「敵機動部隊手詰岬方面を攻撃中」 と打電した。
これを受け四国の各部隊は一斉に戦闘体制についたが、翌17日、誤報であることが判明し戦闘体制は解除された。
慰霊碑を読み、先ず感じたのは 「そんな馬鹿な!」 だった。
飛行機による神風特攻隊ですら敵艦を撃沈させる事は中々困難だったと言うが、モーターボートに爆薬を積んで体当たりとは、
もう完全な自殺行為だ。
若しこの作戦が実行されたとしても敵艦まで辿り着ける 「震洋」 など無かったに違いない。
そんな作戦を考案した司令官はどんな人間なのか。終戦時その責任は取ったのか聞いてみたい。
次に驚いたのは須崎の司令部では震洋隊に出撃命令を出していないと言う。
では一体震洋隊は何故何のために出撃準備を開始したのだろう。
宿の人の話では隊員全員が死亡したので真相は残っていないと言う。しかしいくら終戦のドタバタの中とはいえ余りにも
無責任ではないか。何かを隠しているとしか思えない。
私は戦争中に神風特攻隊や人間魚雷回天があった事は知っていたが、「震洋」 の事は知らなかった。
それにしても 「震洋」 は余りにも悲しすぎる。
これは作戦でも兵器でもない。自殺行為でもない。これは明らかに考案者や司令官の殺人だ。
終戦の混乱期と言う理由でこの事件は世間に大きく取り上げられない。
しかし爆発の本当の原因は権力側の 「特攻隊殺人」 を隠蔽するためではなかったのか。
(後で調べて分かったが、震洋の基地は日本各地にあり、ここ手詰基地で隠蔽してもどうにもならない事が分かりました。)
はっきり言って隊員の死は犬死だ。隊員に対する同情の念は禁じられなが、世の中の不条理に腹が立って仕方ない。
こんな世には絶対後戻りはしたくない。
私は戦争に反対します。
腹の調子は宿に着いて2回下痢をしただけで夜は止まってくれた。
朝飯は味噌汁を半分飲んだだけだったせいか、少量の下痢1回だけで済んだ。このまま治まってくれればと願いつつ出発。
結局28kmを飲まず食わず歩いて、30番善光寺を過ぎた所のスーパーの食堂で饂飩を2杯食べたが下痢はしないで済んだ。
これでやっと地獄の苦しみの下痢からおさらばできた。
今日も雨の中の出発だったが、昨日の午前中の風雨を思えばこの雨は五月雨のようなものだ。
そういえば徳島で遍路道を会った遍路は2人だけだったが、高知に入ると遍路が増えだした。
昨日の神峯寺は山の中の寺で、登りも下りも同じ道なので出会う人が多かったのだろうと思っていたが、
今日も28番の大日寺から国分寺に向かう道でも多く、何組かの歩き遍路を追い抜いた。
夕飯も朝飯も食べていないのに、すこぶる元気で追い越される事はなかった。
若しかして自分は足が速いのかもしれないと、すぐ調子に乗ってくる。
調子に乗ってはいけないと思いながらも 「今日は。お先に失礼します」 とか言って追い抜いていくのは
中々気分の良いものです。
29番国分寺は境内の桜が見ごろで、雨に濡れて黒くなった屋根に桃色の桜が映えている風情は神々しく感じる。
桜と言うと今までは本数多さや巨木とか古木に魅了されていたが、このような淋しいくらいの桜も良いものだ。
その本堂の階段の下で、位牌を前に立膝をして熱心にお経を唱えている中年男性のお遍路さんがいた。
長い読経で背中は小さく丸くなり震えているようにも見える。泣いているのかな? あの位牌は奥さんなのかな?
色々想像しながら自分に置き換えてみた。
妻が先に逝ったらどうだろう。位牌を持って遍路することは出来る。だが位牌を出してあのように熱心にお参り出来るだろうか?
格好付マンの自分には出来ないだろう。そうあっさり納得する自分も嫌になる。
階段の上では親子の4人がお参りしている。上の子は小学校の低学年位の女の子。下の子は幼稚園位の男の子だが、
見事に般若心経を暗唱している。まだとても暗唱できない私とは比べ物にならない。
上の子は般若心経以外のお経も親と一緒に暗唱しているが、下の子は寒そうに手を口に咥え出した。
この子達はこんな事が面白いのかな? 疑問に感じた。もしかすると親の価値観を押し付けられているだけで、本当は迷惑して
いるのかも知れない。など空想しながらお参りを終え雨の中を歩いて行く親子連れを眺めていた。
今日の宿はサンピア高知厚生年金会館と言う大きな建物のホテルだった。
ホテルの玄関に立って考えた。雨合羽で遍路姿の格好ではでフロントへは行けない。
合羽を玄関の外で脱いで、タオルで合羽を拭いてから袋に入れるなど民宿や宿坊と違い面倒だ。
こんな立派な宿を取って少々後悔したのだが、お風呂は気持ち良かった。
大きな浴槽に何度でも入れるのは嬉しい。着いてすぐ入り寝る前にもう一度入った。
民宿ではお風呂は食事前に一度だけで何故か2回は入りづらい。
実際もう一度入ろうとしたら 「もう 冷めている」 断られてしまった。