笠張山
歩行記録 H29-5-28(日)
歩行時間:7時間10分 休憩時間:2時間35分 延時間:9時間45分
出発時刻:6時45分 到着時刻:16時30分
歩 数:36、750歩(推定距離26.08km) GPS距離24.1km
行程表
農民組合 0:30> 上滝沢バス停 0:10> 農道入口 0:50> 開拓の礎 0:10> 椿山三角点 0:40> 桧峠 0:55>
菩提山 0:20> 林道滝之谷峠 0:25> 笠張山登山口 0:35> 笠張山 0:15> 新道登山口 0:35> 林道滝之谷峠
0:50> 水車村 0:20> 不動峡 0:35> 農民組合430
志太奥周回概略図
笠張山の概略図
峠の地蔵 八の字草 否 ミズヒキ
峠のお地蔵さんに、今日無事にここに戻れますよう祈って(嘘)滝之谷峠を出発。
相変わらず見るものない林道だが、時折八の字模様のミズヒキの葉が道脇に群れになって生えていた。
花穂が延びていない時のミズヒキの名前は余り相応しくないので、私なら “八の字草” と名付けたいところだ。
この模様も水引状の花穂が延びてくると消えるのですから不思議なものです。
高根山 笠張山入口
菩提山を下った所から始まった林道歩きは、道の両脇が木に閉ざされていて景色はまるで見えなかった。それが 「笠張山入口へ
500m」 と書かれた標識の所だけ一瞬左側が開け高根山の電波塔が見えた。
気を引く植物も無く、景色も無い本当に張りあいのない林道だったが、比較的平坦な道なのは助かった。
やっと笠張山入口に到着。ここからが今日一番の難所の急登が始まると、覚悟はしているのですが・・・・・・
急登 急登 また急登
思った通りでした。入口を入るとすぐに傾斜が強まり笹薮の小径の急登が始まりました。ここを下るときは笹を掴んでブレーキを
かけながら下るのだが、上りではその笹が牽引代わりになる。
だがそれに力を入れグイッと体重を乗せると笹がいとも簡単にポキと折れてしまう事がある。まだ成長しきらない今年生えた笹で、
背丈は同じくらいに伸びているが笹の葉は出ていない状態です。危ない!危ない!注意しないと転倒してしまうので要注意です。
チャボホトトギス? 新道口分岐
チャボホトトギスの葉っぱでしょうか? チャボホトトギスの葉は 「長楕円形で端は尖り、革質的な表面は滑らかで光沢がある。
濃緑色の斑紋がある場合が多い。」 となると矢張りチャボホトトギスでしょう。
昨年は竜爪で初めてこのチャボホトトギスを見て感激したので、この山にも沢山咲くようなら来てみたい。
だが、今日はこの葉を確認できたのは2ヶ所だけでした。
さしもの急坂も笹から雑木林に変わると終わりです。笹薮の中の道は間違いっこない道だったが雑木林になると落葉で踏み跡が
隠され一瞬アレーって感じになる。しかしそれも多寡が20m程で道は杉林の中に入っていく。
平坦になった林の中の道を少し行くと標識があり、そこには 「新道口」 の表示がある。今日の予定は笠張山に行ったらここまで戻り
新道口に下る予定です。
稜線の道 稜線の道
なだらかで歩きやすい稜線は殆どが杉林の中だが、たまに雑木林になった所もあった。
笠張山 展望地より
快適な稜線は5・6分も歩くと笠張山山頂に着いてしまう。
視界の効かない山頂だがやけに立派な山名表示杭が建っているが、これは静岡市のエーデルワイスクラブが設立20周年記念に
建ててくれた物です。しかし何故この地味な山に記念の杭を建てたのでしょうか、聞いてみたい気がします。
私はここまで標識通りに菩提山から右側からの道を歩いてきました。次に高尾山に行くなら左に進むのは違和感がありません。
実は笠張山に初めて来た時は高尾山から新道口を登って右から笠張山に来ました。なのでこの標識を見て何故左が高尾山なのか
地図を持っていなかった私は悩んでしまいました。
後日高尾山から新道口でない別の道でここに来て、左に行っても高尾山に行く事を納得しました。イエその方がハイキングコースと
しては一般的のようでした。ただその道は途中で水車村への道と分岐しているの、この標識には水車村の表示も欲しいところです。
視界の効かない山頂だが、東(左)の方が明るくなっているので歩を進めると、樹木が伐採され視界が開けた所にでます。
所詮はこの程度の眺めですが菩提山より広範囲に見えます。
志太奥の高根山や高尾山、笠張山、菩提山を歩くと、山頂から景色が見えるように樹木を伐採してくれてあるので感謝!です。
例えこの程度の眺めでも見えると見えないでは大違いです。
これですべての山から景色が見えなければ、志太奥の山を歩く人はもっと少なくなるでしょう。
新道口分岐 新道口への標識
笠張山から新道口分岐まで戻り、そこを右に折れて新道口に向かいます。
この道は上りにしか歩いた事はないが、そのときは入口さえ分かれば後は踏み跡を上に上にに来ればこの標識に出ます。
新道口分岐から10分も下らないうちに、二つ目(ちょっと自信が無いが)の標識が見えてきます。
ここを右に曲り30mも下れば林道と合流します。
これは間違いだ! 何となく踏み跡にみえる
林道の新道口を登ってくるとこの標識の正面に出るので、ここを左に曲がって笠張山に向かっていました。
その時は標識を見て右に新道口とあるのは承知していたが、多分右に下っても登山口があるのだろう簡単に解釈していた。
しかしどうやらその解釈は違うようです。この標識に従って下ったベテランの方のブログを読むと、林道にあとわずかという所で
道が完全に分からなくなり、最後は林道に飛び降りてしまったとありました。
ではと標識の所から右の藪を見ると何となく凹んでいて踏み跡がありそうな所が見える。ならとその藪を強引に突破すると、
ありました! ありました! 踏み跡が。
たった2・3mもの藪漕ぎですが、ここの藪は茨があるので痛くなるが、それを我慢すれば踏み跡があり、更に少し下れば農道が
見えてきます。
そこからまた藪の坂を標識まで戻り、目印のリボンを付けてきましたが、これで迷い人が減るならやぶさかではありません。
まず標識の正面側にリボンを付け、歩いたきた人の目を引き、次に藪を少し入った所にも付けて藪の中に誘導するようにしました。
こうすれば間違えて直進する人は減るでしょう。しかし完全に無くすには標識を訂正するしかないが、それは私にはできません。
登り口にも目印を付けた 林道にある標識
登り口も分かり難いので目印を付けておきましたが、ここにも標識があるがその指示する方向は登り口を指しいない。
実際の登り口は標識の後ろなので、そちらにもリボンを付けておきました。
最初にここに来た時は標識の指す方を探した踏み跡が分からなく困ってしまったが、こうしておけば迷う人は減るでしょう。
ただ目印は余り多すぎても煩く感じる人もいるので加減が大事です。それと自分が迷って付けた目印を撤去しないのも困ります。
次に来た人もその目印に誘われ迷ってしまうのですから。
ここ新道入口は林道の左右と登り口にも標識が建っていて、先程登った笹薮の入口より力を入れているようだ。
なら分かり難い標識は訂正した方が良いと思う。
ここを飛び降りたんだ 林道のウツギ
林道の新道口の場所は林道の最高点らしくどちらに行く道も下っていた。
本来は同じ道は歩きたくないのだが、今日は菩提山から水車村の道も調査をしたいので、ここから林道を戻るしかない。
新道口の先の林道法面は道路から2m程は急傾斜になっているが、標識を間違えて下った人はここを飛び降りるしかないようだ。
今の私がやれば・・・・・・・・ オー!くわばら!くわばら! とてもそんな気は湧かなかっただろう。しかし更に農道を下ると法面は10m
以上の急傾斜地で、覗くだけでも震えがきそうだ。もし私が間違えたらどうしただろう? 少し怖くなってしまった。
何もなかった林道だったが、この辺りには時折ウツギが咲いていた。でもそれだけでした。
何を求めて建てたのか? 小屋が転がっていた
滝之谷峠を過ぎ、菩提山の入口も過ぎたが、ただただ林道を下るだけなので大分飽きてしまった。そんな時アピンカーブの内側に
小さな山荘?風な建物があり、入口には 「BAM800HOUSE」 と書いてあるが意味は分からない。それにしても家の前も裏も左も
道路に面していて景色も見えない。一体この場所に何故建てたのだろう? 星? 周りは木が生えていて狭い空しか見えません。
家の後ろに回ると急斜面なので長い木の杭を打って家の半分はその上に建っている。これでは時間の問題で家は倒壊してその
残骸は道路に散らばってしまうだろう。そうならないうちに撤去した方が良さそうだが。
その家の下には更に小さく便所かなと思える建物が横倒しになっていた。幸い木に引っかかって下には落ちていないが、木が
枯れれば道路に落ちる事間違いなしだ。と、言っても小さな建物なので被害は余り無さそうだが。
地蔵の分岐 マピオン地図
最近は “歩くつもり” や “歩く予定” ばかり増えてしまい、そのままになっている事が多い。そこで有言実行するため宣言します。
林道の細尾沢橋を渡ると祠に入った地蔵尊が祀られている。この地蔵尊が祀られたのがいつの頃かは分からないが、林道が出来て
からとは思えない。多分それ以前の滝之谷峠を人が歩いていた頃からあったのではないか。
ならば峠からの道はここに通じていたと思われる。
それが証拠に地理院とマピオンの地図にも旧道と思える道が載っていて、その出発地を地理院では沢との分岐地点で、マピオンでは
分岐した林道の終点からとなっている。
その両方を合わせれば、橋の袂から右に延びる林道があるここから、滝之谷峠の道があったのは間違いなかったと思われる。
一昨年峠から下って沢に遮られ引き返してしまったが、今度はここから登ってみれば峠に辿りつけるかもしれない。
これからの時期は草が生茂り踏み跡も不鮮明になるし蜘蛛の巣も張りめぐらされる。ならば今年の秋から冬にかけて歩いてみます。
林の平らな道になれば水車村は近い 水車小屋
見る物のない林道は例え下り坂でも飽きてくる。だがそんな道も沢が横を流れ平らな道になれば水車小屋は近い。
民家がポツンとあり、廃屋に近い回っていない水車小屋が出てくればそこが水車村です。
八兵衛碑 水車小屋の幟
水車村の橋の袂にも川中島八兵衛さんの石碑が建っています。こんな上流でも昔は人が住み水害があったのでしょうか。
それにしても八兵衛さんの行動力は大したもので、水害が発生ると現地で救済に当たり薬を配り、更には心のケアまでしていた。
この石碑も八兵衛さんの 「私を祀れば以後水害は起きない。」 との予言を拠りどころに祀ったものでしょう。
水車村とは過去の遺物で今は道路標識に残っているだけだと思っていました。
それがどうしたのでしょうか “水車村” と染め抜かれた幟が立っていました。何かあるのかと例の水車小屋の方を見るが人影は
見えない。何だったのでしょうかあの幟は。
摩崖仏 親子太公望
ここから先は何度も紹介しているの大きくパス。
摩崖仏の下では親子が釣りをしていました。仏さんの下で殺生をして罰が当たらないのかな。
温泉宿跡の太鼓橋 柿の木坂の家の前
不動峡の入口に 「柿の木坂の家」 と名の付いたレストランじゃなく食堂? テント? 屋台? があるのは知っていた。
店の名前などすぐ忘れてしまう私だが、ここの名前は忘れない。イエここに印象深い坂や柿の木があるわけではありません。
青木光一が歌っていた 「柿の木坂の家」 と同じだからです。新しい事は覚えられないが古い事は結構忘れないものです。
この歌の中に 「柿の木坂は~ 駅まで三里~ おもいだすな~ ふるさとの~」 の哀調を含んだ歌声は好きな歌の一つです。
オッとそれは今は関係ないか。
今までも何度もこの道は歩いているが店が開いていたのを見た事が無かった。なので水車小屋と同じようにやめてしまったのかと
思っていたが、今日は何本も幟が立っています。しかも車も何台か停まっている。
何でしょうね、水車小屋といいこの店といい突然幟が立つなんて。
気になってネットで調べてみると、年配のご夫婦が土日に営業しているようです。失礼しました。
歩きには関係ない話で今回の観歩は終ります。
歩行記録 H29-5-28(日)
歩行時間:7時間10分 休憩時間:2時間35分 延時間:9時間45分
出発時刻:6時45分 到着時刻:16時30分
歩 数:36、750歩(推定距離26.08km) GPS距離24.1km
行程表
農民組合 0:30> 上滝沢バス停 0:10> 農道入口 0:50> 開拓の礎 0:10> 椿山三角点 0:40> 桧峠 0:55>
菩提山 0:20> 林道滝之谷峠 0:25> 笠張山登山口 0:35> 笠張山 0:15> 新道登山口 0:35> 林道滝之谷峠
0:50> 水車村 0:20> 不動峡 0:35> 農民組合430
志太奥周回概略図
笠張山の概略図
峠の地蔵 八の字草 否 ミズヒキ
峠のお地蔵さんに、今日無事にここに戻れますよう祈って(嘘)滝之谷峠を出発。
相変わらず見るものない林道だが、時折八の字模様のミズヒキの葉が道脇に群れになって生えていた。
花穂が延びていない時のミズヒキの名前は余り相応しくないので、私なら “八の字草” と名付けたいところだ。
この模様も水引状の花穂が延びてくると消えるのですから不思議なものです。
高根山 笠張山入口
菩提山を下った所から始まった林道歩きは、道の両脇が木に閉ざされていて景色はまるで見えなかった。それが 「笠張山入口へ
500m」 と書かれた標識の所だけ一瞬左側が開け高根山の電波塔が見えた。
気を引く植物も無く、景色も無い本当に張りあいのない林道だったが、比較的平坦な道なのは助かった。
やっと笠張山入口に到着。ここからが今日一番の難所の急登が始まると、覚悟はしているのですが・・・・・・
急登 急登 また急登
思った通りでした。入口を入るとすぐに傾斜が強まり笹薮の小径の急登が始まりました。ここを下るときは笹を掴んでブレーキを
かけながら下るのだが、上りではその笹が牽引代わりになる。
だがそれに力を入れグイッと体重を乗せると笹がいとも簡単にポキと折れてしまう事がある。まだ成長しきらない今年生えた笹で、
背丈は同じくらいに伸びているが笹の葉は出ていない状態です。危ない!危ない!注意しないと転倒してしまうので要注意です。
チャボホトトギス? 新道口分岐
チャボホトトギスの葉っぱでしょうか? チャボホトトギスの葉は 「長楕円形で端は尖り、革質的な表面は滑らかで光沢がある。
濃緑色の斑紋がある場合が多い。」 となると矢張りチャボホトトギスでしょう。
昨年は竜爪で初めてこのチャボホトトギスを見て感激したので、この山にも沢山咲くようなら来てみたい。
だが、今日はこの葉を確認できたのは2ヶ所だけでした。
さしもの急坂も笹から雑木林に変わると終わりです。笹薮の中の道は間違いっこない道だったが雑木林になると落葉で踏み跡が
隠され一瞬アレーって感じになる。しかしそれも多寡が20m程で道は杉林の中に入っていく。
平坦になった林の中の道を少し行くと標識があり、そこには 「新道口」 の表示がある。今日の予定は笠張山に行ったらここまで戻り
新道口に下る予定です。
稜線の道 稜線の道
なだらかで歩きやすい稜線は殆どが杉林の中だが、たまに雑木林になった所もあった。
笠張山 展望地より
快適な稜線は5・6分も歩くと笠張山山頂に着いてしまう。
視界の効かない山頂だがやけに立派な山名表示杭が建っているが、これは静岡市のエーデルワイスクラブが設立20周年記念に
建ててくれた物です。しかし何故この地味な山に記念の杭を建てたのでしょうか、聞いてみたい気がします。
私はここまで標識通りに菩提山から右側からの道を歩いてきました。次に高尾山に行くなら左に進むのは違和感がありません。
実は笠張山に初めて来た時は高尾山から新道口を登って右から笠張山に来ました。なのでこの標識を見て何故左が高尾山なのか
地図を持っていなかった私は悩んでしまいました。
後日高尾山から新道口でない別の道でここに来て、左に行っても高尾山に行く事を納得しました。イエその方がハイキングコースと
しては一般的のようでした。ただその道は途中で水車村への道と分岐しているの、この標識には水車村の表示も欲しいところです。
視界の効かない山頂だが、東(左)の方が明るくなっているので歩を進めると、樹木が伐採され視界が開けた所にでます。
所詮はこの程度の眺めですが菩提山より広範囲に見えます。
志太奥の高根山や高尾山、笠張山、菩提山を歩くと、山頂から景色が見えるように樹木を伐採してくれてあるので感謝!です。
例えこの程度の眺めでも見えると見えないでは大違いです。
これですべての山から景色が見えなければ、志太奥の山を歩く人はもっと少なくなるでしょう。
新道口分岐 新道口への標識
笠張山から新道口分岐まで戻り、そこを右に折れて新道口に向かいます。
この道は上りにしか歩いた事はないが、そのときは入口さえ分かれば後は踏み跡を上に上にに来ればこの標識に出ます。
新道口分岐から10分も下らないうちに、二つ目(ちょっと自信が無いが)の標識が見えてきます。
ここを右に曲り30mも下れば林道と合流します。
これは間違いだ! 何となく踏み跡にみえる
林道の新道口を登ってくるとこの標識の正面に出るので、ここを左に曲がって笠張山に向かっていました。
その時は標識を見て右に新道口とあるのは承知していたが、多分右に下っても登山口があるのだろう簡単に解釈していた。
しかしどうやらその解釈は違うようです。この標識に従って下ったベテランの方のブログを読むと、林道にあとわずかという所で
道が完全に分からなくなり、最後は林道に飛び降りてしまったとありました。
ではと標識の所から右の藪を見ると何となく凹んでいて踏み跡がありそうな所が見える。ならとその藪を強引に突破すると、
ありました! ありました! 踏み跡が。
たった2・3mもの藪漕ぎですが、ここの藪は茨があるので痛くなるが、それを我慢すれば踏み跡があり、更に少し下れば農道が
見えてきます。
そこからまた藪の坂を標識まで戻り、目印のリボンを付けてきましたが、これで迷い人が減るならやぶさかではありません。
まず標識の正面側にリボンを付け、歩いたきた人の目を引き、次に藪を少し入った所にも付けて藪の中に誘導するようにしました。
こうすれば間違えて直進する人は減るでしょう。しかし完全に無くすには標識を訂正するしかないが、それは私にはできません。
登り口にも目印を付けた 林道にある標識
登り口も分かり難いので目印を付けておきましたが、ここにも標識があるがその指示する方向は登り口を指しいない。
実際の登り口は標識の後ろなので、そちらにもリボンを付けておきました。
最初にここに来た時は標識の指す方を探した踏み跡が分からなく困ってしまったが、こうしておけば迷う人は減るでしょう。
ただ目印は余り多すぎても煩く感じる人もいるので加減が大事です。それと自分が迷って付けた目印を撤去しないのも困ります。
次に来た人もその目印に誘われ迷ってしまうのですから。
ここ新道入口は林道の左右と登り口にも標識が建っていて、先程登った笹薮の入口より力を入れているようだ。
なら分かり難い標識は訂正した方が良いと思う。
ここを飛び降りたんだ 林道のウツギ
林道の新道口の場所は林道の最高点らしくどちらに行く道も下っていた。
本来は同じ道は歩きたくないのだが、今日は菩提山から水車村の道も調査をしたいので、ここから林道を戻るしかない。
新道口の先の林道法面は道路から2m程は急傾斜になっているが、標識を間違えて下った人はここを飛び降りるしかないようだ。
今の私がやれば・・・・・・・・ オー!くわばら!くわばら! とてもそんな気は湧かなかっただろう。しかし更に農道を下ると法面は10m
以上の急傾斜地で、覗くだけでも震えがきそうだ。もし私が間違えたらどうしただろう? 少し怖くなってしまった。
何もなかった林道だったが、この辺りには時折ウツギが咲いていた。でもそれだけでした。
何を求めて建てたのか? 小屋が転がっていた
滝之谷峠を過ぎ、菩提山の入口も過ぎたが、ただただ林道を下るだけなので大分飽きてしまった。そんな時アピンカーブの内側に
小さな山荘?風な建物があり、入口には 「BAM800HOUSE」 と書いてあるが意味は分からない。それにしても家の前も裏も左も
道路に面していて景色も見えない。一体この場所に何故建てたのだろう? 星? 周りは木が生えていて狭い空しか見えません。
家の後ろに回ると急斜面なので長い木の杭を打って家の半分はその上に建っている。これでは時間の問題で家は倒壊してその
残骸は道路に散らばってしまうだろう。そうならないうちに撤去した方が良さそうだが。
その家の下には更に小さく便所かなと思える建物が横倒しになっていた。幸い木に引っかかって下には落ちていないが、木が
枯れれば道路に落ちる事間違いなしだ。と、言っても小さな建物なので被害は余り無さそうだが。
地蔵の分岐 マピオン地図
最近は “歩くつもり” や “歩く予定” ばかり増えてしまい、そのままになっている事が多い。そこで有言実行するため宣言します。
林道の細尾沢橋を渡ると祠に入った地蔵尊が祀られている。この地蔵尊が祀られたのがいつの頃かは分からないが、林道が出来て
からとは思えない。多分それ以前の滝之谷峠を人が歩いていた頃からあったのではないか。
ならば峠からの道はここに通じていたと思われる。
それが証拠に地理院とマピオンの地図にも旧道と思える道が載っていて、その出発地を地理院では沢との分岐地点で、マピオンでは
分岐した林道の終点からとなっている。
その両方を合わせれば、橋の袂から右に延びる林道があるここから、滝之谷峠の道があったのは間違いなかったと思われる。
一昨年峠から下って沢に遮られ引き返してしまったが、今度はここから登ってみれば峠に辿りつけるかもしれない。
これからの時期は草が生茂り踏み跡も不鮮明になるし蜘蛛の巣も張りめぐらされる。ならば今年の秋から冬にかけて歩いてみます。
林の平らな道になれば水車村は近い 水車小屋
見る物のない林道は例え下り坂でも飽きてくる。だがそんな道も沢が横を流れ平らな道になれば水車小屋は近い。
民家がポツンとあり、廃屋に近い回っていない水車小屋が出てくればそこが水車村です。
八兵衛碑 水車小屋の幟
水車村の橋の袂にも川中島八兵衛さんの石碑が建っています。こんな上流でも昔は人が住み水害があったのでしょうか。
それにしても八兵衛さんの行動力は大したもので、水害が発生ると現地で救済に当たり薬を配り、更には心のケアまでしていた。
この石碑も八兵衛さんの 「私を祀れば以後水害は起きない。」 との予言を拠りどころに祀ったものでしょう。
水車村とは過去の遺物で今は道路標識に残っているだけだと思っていました。
それがどうしたのでしょうか “水車村” と染め抜かれた幟が立っていました。何かあるのかと例の水車小屋の方を見るが人影は
見えない。何だったのでしょうかあの幟は。
摩崖仏 親子太公望
ここから先は何度も紹介しているの大きくパス。
摩崖仏の下では親子が釣りをしていました。仏さんの下で殺生をして罰が当たらないのかな。
温泉宿跡の太鼓橋 柿の木坂の家の前
不動峡の入口に 「柿の木坂の家」 と名の付いたレストランじゃなく食堂? テント? 屋台? があるのは知っていた。
店の名前などすぐ忘れてしまう私だが、ここの名前は忘れない。イエここに印象深い坂や柿の木があるわけではありません。
青木光一が歌っていた 「柿の木坂の家」 と同じだからです。新しい事は覚えられないが古い事は結構忘れないものです。
この歌の中に 「柿の木坂は~ 駅まで三里~ おもいだすな~ ふるさとの~」 の哀調を含んだ歌声は好きな歌の一つです。
オッとそれは今は関係ないか。
今までも何度もこの道は歩いているが店が開いていたのを見た事が無かった。なので水車小屋と同じようにやめてしまったのかと
思っていたが、今日は何本も幟が立っています。しかも車も何台か停まっている。
何でしょうね、水車小屋といいこの店といい突然幟が立つなんて。
気になってネットで調べてみると、年配のご夫婦が土日に営業しているようです。失礼しました。
歩きには関係ない話で今回の観歩は終ります。