歩行記録 H28-8-21(日)
歩行時間:2時間20分 休憩時間:0時間40分 延時間:3時間00分
出発時刻:9時50分 到着時刻:12時50分
歩 数: 5、189歩(推定距離3.7km) GPS距離2.6km
行程表
穂積神社 1:00> 薬師岳 0:20> 文殊岳 0:20> 薬師岳 0:40> 穂積神社
竜爪薬師岳のチャボホトトギス
月1回歩く仲間ウォークは、例年8月は熱中症が怖くて休んでいたが、今年は竜爪にチャボホトトギスなるものが咲くと聞いたので
コースを短くして穂積神社から文殊岳のピストンとして決行することにした。
これなら10日前に転倒して胸を強打した私でも何とかなるだろう。ならなくても往復コースなので途中で待つこともできる。
仲間ウォークの参加者は私を含め6人で、全員70歳以上の高齢者だ。と書くと “ふじのくに型 「人生区分」” に反してしまう。
何しろふじの国では76歳までは壮年で、77歳から80歳までを初老と区分している。
なので仲間ウォークの仲間は全員壮年と云う事になる。
70歳過ぎてもまだ壮年と聞けば嬉しい気もするが、何やら尻叩きの感がしないでもない。早速一人が
「要は年金支給期間を短くして社会福祉費を減らしたいがための詭弁だ」 と手厳しい反論。
「でも壮年として喜寿まで働けるならいいけど、70歳以上の求人が実際あるの?」
「俺は来年後期高齢者になるので、もうお終いって感じなのに、急に壮年って言われてもなぁ」
「何かクラブに入りたくても、70歳以上の新規会員は受け付けないクラブが多いらしいよ」 とか色々姦しい。
机上で人生区分を変更するだけなら誰でもできる。問題は古希まで壮年とするなら、それを認知する社会を作ることだ。
静岡県のように 「お達者度」とか 「富国有徳」 とか実態が伴わない言葉遊びをする傾向が強い気がする。
仲間を元気づけるため紹介した “ふじのくに型 「人生区分」” が思わぬ方向に進んでしまった。
今日の目的はチャボホトトギス(矮鶏杜鵑)なので事前に知識を仕入れておきました。先ず名前の謂れは
「花片内側に紫褐色の斑点がまばらにあり、これが鳥のホトトギスにある胸の斑紋に似ている事から “ホトトギス” となった。
“チャボ” は、本種がキバナホトトギスの矮性種である事から、鶏の矮性種チャボに例えたとされています。
花柄は短く15mm程度で、花と葉に隠れてなかなか見えません。花は一日花です。」 だそうです。
ヤマホトトギス(山杜鵑)?
穂積神社の裏に回って最初の見つけた花は、ホトトギスはホトトギスでもヤマホトトギス(?)でした。
しかしここのヤマホトトギスは一輪で自立しているが、以前花沢山で見かけたヤマホトトギスは蔓状になった茎に何輪もの花が付いていた。
別種かと思い家で調べてみると、似た花に “ヤマホトトギス” と “ヤマジホトトギス” があり、主な違いは
「ヤマホトトギスは、花被片が強く反り返るり、ヤマジノホトトギスは、花被片が平開し、反り返ることはない。」 とあるが、蔓状か自立かの
違いはなく、いずれも成長すると何輪もの花をつけるらしい。
で、ここにある花は、花びらが反り返っているのだろうか? それとも反り返っていないのだろうか?
写真を見比べたが判断は付きませんでした。
チャボホトトギス(矮鶏杜鵑)
そのヤマホトトギスの近くに、地面に伏した色の濃い葉の中央に小さな黄色の花が目についた。葉が春先に見た斑入模様の葉に
間違いはない。いとも簡単にチャボホトトギスを見つける事ができた。
ヤマホトトギスに比べて花の斑点の数は極端に少ないがある事はある。それに六弁の花弁の中央から高く立った花芯の形は、さっき
見たヤマホトトギスにそっくりだ。これはチャボホトトギスに間違いないだろう。
思っていたより花が小さいが、これはまだ出だしのなので、もっと高くなれば花も大きくなるだろう。と、期待は高まる。
フシグロセンノウ(節黒仙翁)
階段と山道の分岐に出て、階段では花を見落とす可能性があると思い山道を選択したが、花に出合う事は無かった。
出発がどこでも山道を歩けば疲れることに変わりはないようで、途中でも休んだのに真富士への分岐に着くと自然に足は止まる。
雑草を伐採した所にまるで花壇に咲くようなフシグロセンノウ(節黒仙翁)の花が咲いていた。
茎が黒いのでフシグロらしいので確認すると確かに黒っぽい。忘れないため写真に写したが技術下手のためハッキリしなかった。
センオノウの名も意味ありげなので調べてみると、京の仙翁寺にあったからその名が付いたとか。
この花は今では森林の伐採や園芸採取などによる減少が危惧され、所によっては絶滅危惧種に指定されていると云う。
薬師岳山頂 ムサシアブミ(武蔵鐙)の実
展望が効かない薬師岳山頂には誰も居なかったが、疲れている我々には丁度良い休憩場所だ。
休みがてらに薬師岳に直登する踏み跡を探して林の中に入ると、沢山のマムシグサの実が目についた。
だがここにある実はマムシグサの実ではなく、ムサシアブミ(武蔵鐙)の実だと云う。その根拠は葉の枚数が3枚の物はムサシアブミ
らしい。ではマムシグサをと探すが、この辺りの葉は3枚の物ばかりだった。
確かにいつも見るマムシグサノ葉は3枚きりではなく何枚も付いていたので、ここのテンナンショウは別種の物だろう。
因みに名前の謂れは仏炎苞の形が武蔵の国で作られた鐙に似ていることからとあった。
これでは花を確認に来なければならないが、今年は4月23日に梶原山・賎機山縦走で歩いたが、ここのテンナンショウには気が
つかなかった。
それもそうだろうあの時は竜爪の階段の上りで、半分ばてていて花を探す気力は無くなっていたのだから。
チャボホトトギス(矮鶏杜鵑)4枚
薬師岳と文殊岳の間で何株ものチャボホトトギスに出合う事が出来て満足だったが、他の花を目にすることは無かった。
文殊岳山頂 清水港遠望
仲間ウォークでは1000m越えの山に行く事は少ないので、貴重な証拠写真です。
山頂かは清水港もはっきり見えていて駿河湾越しには伊豆半島も浮かんでいた。
山頂広場は雑草に覆われて下にあるベンチは雑草に隠されていた。その代り雑草の中には色々な花が咲いていた。
ギボウシ(擬宝珠) オトコエシ(男郎花)
ギボウシとは分かるが何ギボウシかは分からない。マーギボウシと分かれば良しとしよう。それにしてもこの花がどこが擬宝珠に
似ているのかと思ったら、蕾の形が擬宝珠に似ているかららしい。
これもいつか確認しなければならないが宿題ばかり増えてしまう。(尤も忘れる事が多いので左程の事はない)
オトコエシ(男郎花)の名はオミナエシ(女郎花)に対立させる形で、より強豪であることを男性にたとえたものとあった。
確かに粟粒状の花は、色の違いはあるもののオミナエシに似ていなくもない。ウィキペディアに面白い説が載っていた。
「オトコエシは本来の名がオトコメシであったろうとの観測もある。オミナエシは女飯であり、これは黄色の花を粟飯に見立てての
名であり、それに対して本種の白い花を白飯に、白米をたたえてオトコメシとしたものであるという」
キンセンビキ(金水引) オニユリ(鬼百合)
本来のミズヒキの花は、花の付き方も紅白の色も本物水引に似ているが、このキンミズヒキは花が固まり過ぎていて水引には
使えそうもない。調べてみたら案の定、ミズヒキはタデ科で、キンミズヒキはバラ科だった。花房が細長いのから名付けたのかな。
鬼百合は良く見かけるがそれほど大きくないのに何故鬼百合と呼ぶのだろうと、以前から思っていた。丁度良いので調べてみたら
「花の色が赤鬼を連想させることから」 とあったが、それでは赤い花はみんな “鬼◯◯” になってしまう。
他には 「草丈は1~2m程となる大型のユリ」 とあったが、それで鬼百合? 大きさはヤマユリだって負けていないと思うが ・・・・・・・・
アサギマダラ(浅葱斑)
アサギマダラ(浅葱斑)の名前はよく聞くが、まだ見た事がなかった。
それが文殊岳山頂のベンチで昼飯を食べているとき 「アッ! アサギマダラがいる」 と仲間の一人が声を上げ指さした。
慌ててそちらを見ると白い花の先に蝶が2匹(頭)とまっていた。それに近づいて写した写真です。
蝶の羽に個体番号が書いてないかとカメラをズームしてみてが書いてなかった。残念。
この小さな体と薄い羽で海を渡って台湾方面に飛んで行くとか、凄いものですなぁ。あやかりたいものだ。
台湾に行ったら玉山(新高山)に登りたいのが、私のバケットリストの一つだったが、最早実現不可能だ。
ところで名前の語源になった浅葱色は、どの部分指すのだろう? 今見る限り黒入りの縁どりの中は灰色ぽい白色と、後の羽は
褐色で何処にも浅葱色と言われる青緑色、あるいは緑がかった薄い藍色らしき部分は見えない。
それにマダラ(斑)とあるからには斑点があるはずだが・・・・・・・
あるHPには
「黒と褐色の模様と、ステンドグラスを思わせる透けるような薄い浅葱色の斑(まだら)紋様の羽を持っています。
胸にも特徴 ある斑模様があり、これが名前の由来です。」 とあるので白っぽく見える部分が浅葱色と言う事か?
一時は仲間が間違えて教えてくれたのかとも思ったが、ネットのある写真と同じだったのアサギマダラに間違いはないようだ。
昔読んだ時代小説に 「浅葱裏(あさぎうら)」 話がでていたが、これは
「殿様の参勤交代で江戸に出仕した地方の下級武士の着物の裏地は安価な浅葱木綿が多かった。それを馬鹿にした江戸っ子は
彼らを “浅葱裏” と呼んで野暮の代名詞にしていた。」 らしい。
アサギマダラの名前を聞くと何故かその事を思い出してしまう。
脱線ついでに蝶の数え方は一匹ではなく一頭と数えるとも言われているので、謂れを調べてみた。
これには色々説があるようだが、一般的なのは
「英語では牛などの家畜を “head” で数えていたので、蝶を紹介するときも “head” で数えるようになった。
そのうち、昆虫学者が論文など発表する時も蝶の個体を “head” で数えるようになり、それを20世紀初頭に日本語に直訳した
ものが広まった。」 だろうか。
でもこれだって納得はしがたいな。だってトンボなどの他の昆虫は何故一匹なのか分からない。
私のような素人は知ったかぶりをせずに蝶は一匹・二匹と数えた方が無難なようだ。
静岡市街遠望 長い階段
文殊岳山頂から清水港は見えていたが、富士山方面は雲が発生していて見る事が出来なかった。
山頂を下る前にカモシカが居ないかと反射板に向かいかけた時に、南西の方向に静岡市街や安倍川、それに大崩山塊が見えていた。
ここから大崩山塊を見たのは初めてなような気がするが、いつもは先に気を取られ見逃していたのだろう。
あの憎っくき花沢山も見えているが、あんな低い山で怪我をする自分自身が悪いのに、すぐ責任を転嫁したくなってしまう。
肝心のカモシカ君は残念ながら顔を出してくれなかった。
薬師岳の下りは、登りと道を変えて長い階段を下った。こんな階段でも若し頭から転げ落ちたらどうなるのだろう。
一応左手は手摺に掴まりながら下ったが、そんな慎重な気持をいつまで持っていられるやら、困ったものです。
たった2.6kmしかない低山歩きだったが、チャボホトトギス、フシグロセンノウ、アサギマダラと初見の物を三つも見る事が出来て
大満足なゴールでした。
これからは長距離に拘ることなく、今回のように見所を押さえた短いコースも楽しそうだ。
*******************************************************************************
色々心配をおかけしました胸の怪我ですが、9日経っても咳やクシャミをすると凄い痛みに襲われ、寝返りや横になる事も
ままならなかった。余り正直に痛さを表現すると妻に 「山行禁止令」 を出されてしまう恐れがあるので我慢の日を送っていた。
それでも余り痛みが続くとなるとittaさんの言う “内蔵損傷” の心配も考えられる。
そこで日曜日の仲間ウォークの結果によって病院に行こうと決断をしました。
深呼吸をすると痛くなるので竜爪では大きく息は吸い込まないようにしたが、急な登り道はハーハーしながら登った。
更にザックを背負っても痛みは感じなかったので、山歩き自体は怪我の影響はなさそうだ。
ゴールして仲間に傷跡を見せたが、右胸が少し膨らんで変色しているだけだったので 「どうってことないよ」 と相手に
されなかった。そこで胸の倒木の根が当たった所をさすりながら
「こんなに膨らんでしまったが、骨にもたん瘤ができるのかなぁ。それとも骨格が変形してしまったのだろうか?」
仲間が 「どう?」 言って胸に触ると
「アッ! 本当だ。ぐりぐりがある。でもこれは誰だってあるじゃない」 と言いながら自分の胸を押さえて 「ないなぁ」 と言う。
他の仲間も私の胸を触りながら
「ウーンこりゃぁよっぽどひどくぶつかったようだ。これじゃ少し位置がづれていたらあばら骨が何本も折れる大怪我だ。」 と
脅かしてくる。
グリグリは丁度て手首にあるグリグリと同じ位の大きさで、今は押さえても痛みは感じない。
そこで仲間に病院に行くべきか聞いてみると
「痛みを感じないなら、もう治ったのじゃないの」 とか 「あばらが変形したとしても今更治らないじゃない」 と他人の事だと
思って簡単に言う。それでもそんな素人診断でも気は楽になるものですね。病院に行く気は急に薄れてしまった。
竜爪の翌日、わざと咳ばらいをや深呼吸をしてみたが特に痛くない。ただ横になる時はまだ痛みは残っていたが受傷当時に
比べれば何十分の一の痛さだ。これならもう少し我慢すれば痛みは治まるだろう。よって病院は止めにしよう。
勝手な素人判断が後々影響を残さなければよいが、マー私の場合先は知れている。オッとそんな事は言ってはいけない
72才はまだ壮年なのだから、まだ先はある。とは云え今更変形してしまった骨はどうしょうもないだろう。なるようになれだ。
歩行時間:2時間20分 休憩時間:0時間40分 延時間:3時間00分
出発時刻:9時50分 到着時刻:12時50分
歩 数: 5、189歩(推定距離3.7km) GPS距離2.6km
行程表
穂積神社 1:00> 薬師岳 0:20> 文殊岳 0:20> 薬師岳 0:40> 穂積神社
竜爪薬師岳のチャボホトトギス
月1回歩く仲間ウォークは、例年8月は熱中症が怖くて休んでいたが、今年は竜爪にチャボホトトギスなるものが咲くと聞いたので
コースを短くして穂積神社から文殊岳のピストンとして決行することにした。
これなら10日前に転倒して胸を強打した私でも何とかなるだろう。ならなくても往復コースなので途中で待つこともできる。
仲間ウォークの参加者は私を含め6人で、全員70歳以上の高齢者だ。と書くと “ふじのくに型 「人生区分」” に反してしまう。
何しろふじの国では76歳までは壮年で、77歳から80歳までを初老と区分している。
なので仲間ウォークの仲間は全員壮年と云う事になる。
70歳過ぎてもまだ壮年と聞けば嬉しい気もするが、何やら尻叩きの感がしないでもない。早速一人が
「要は年金支給期間を短くして社会福祉費を減らしたいがための詭弁だ」 と手厳しい反論。
「でも壮年として喜寿まで働けるならいいけど、70歳以上の求人が実際あるの?」
「俺は来年後期高齢者になるので、もうお終いって感じなのに、急に壮年って言われてもなぁ」
「何かクラブに入りたくても、70歳以上の新規会員は受け付けないクラブが多いらしいよ」 とか色々姦しい。
机上で人生区分を変更するだけなら誰でもできる。問題は古希まで壮年とするなら、それを認知する社会を作ることだ。
静岡県のように 「お達者度」とか 「富国有徳」 とか実態が伴わない言葉遊びをする傾向が強い気がする。
仲間を元気づけるため紹介した “ふじのくに型 「人生区分」” が思わぬ方向に進んでしまった。
今日の目的はチャボホトトギス(矮鶏杜鵑)なので事前に知識を仕入れておきました。先ず名前の謂れは
「花片内側に紫褐色の斑点がまばらにあり、これが鳥のホトトギスにある胸の斑紋に似ている事から “ホトトギス” となった。
“チャボ” は、本種がキバナホトトギスの矮性種である事から、鶏の矮性種チャボに例えたとされています。
花柄は短く15mm程度で、花と葉に隠れてなかなか見えません。花は一日花です。」 だそうです。
ヤマホトトギス(山杜鵑)?
穂積神社の裏に回って最初の見つけた花は、ホトトギスはホトトギスでもヤマホトトギス(?)でした。
しかしここのヤマホトトギスは一輪で自立しているが、以前花沢山で見かけたヤマホトトギスは蔓状になった茎に何輪もの花が付いていた。
別種かと思い家で調べてみると、似た花に “ヤマホトトギス” と “ヤマジホトトギス” があり、主な違いは
「ヤマホトトギスは、花被片が強く反り返るり、ヤマジノホトトギスは、花被片が平開し、反り返ることはない。」 とあるが、蔓状か自立かの
違いはなく、いずれも成長すると何輪もの花をつけるらしい。
で、ここにある花は、花びらが反り返っているのだろうか? それとも反り返っていないのだろうか?
写真を見比べたが判断は付きませんでした。
チャボホトトギス(矮鶏杜鵑)
そのヤマホトトギスの近くに、地面に伏した色の濃い葉の中央に小さな黄色の花が目についた。葉が春先に見た斑入模様の葉に
間違いはない。いとも簡単にチャボホトトギスを見つける事ができた。
ヤマホトトギスに比べて花の斑点の数は極端に少ないがある事はある。それに六弁の花弁の中央から高く立った花芯の形は、さっき
見たヤマホトトギスにそっくりだ。これはチャボホトトギスに間違いないだろう。
思っていたより花が小さいが、これはまだ出だしのなので、もっと高くなれば花も大きくなるだろう。と、期待は高まる。
フシグロセンノウ(節黒仙翁)
階段と山道の分岐に出て、階段では花を見落とす可能性があると思い山道を選択したが、花に出合う事は無かった。
出発がどこでも山道を歩けば疲れることに変わりはないようで、途中でも休んだのに真富士への分岐に着くと自然に足は止まる。
雑草を伐採した所にまるで花壇に咲くようなフシグロセンノウ(節黒仙翁)の花が咲いていた。
茎が黒いのでフシグロらしいので確認すると確かに黒っぽい。忘れないため写真に写したが技術下手のためハッキリしなかった。
センオノウの名も意味ありげなので調べてみると、京の仙翁寺にあったからその名が付いたとか。
この花は今では森林の伐採や園芸採取などによる減少が危惧され、所によっては絶滅危惧種に指定されていると云う。
薬師岳山頂 ムサシアブミ(武蔵鐙)の実
展望が効かない薬師岳山頂には誰も居なかったが、疲れている我々には丁度良い休憩場所だ。
休みがてらに薬師岳に直登する踏み跡を探して林の中に入ると、沢山のマムシグサの実が目についた。
だがここにある実はマムシグサの実ではなく、ムサシアブミ(武蔵鐙)の実だと云う。その根拠は葉の枚数が3枚の物はムサシアブミ
らしい。ではマムシグサをと探すが、この辺りの葉は3枚の物ばかりだった。
確かにいつも見るマムシグサノ葉は3枚きりではなく何枚も付いていたので、ここのテンナンショウは別種の物だろう。
因みに名前の謂れは仏炎苞の形が武蔵の国で作られた鐙に似ていることからとあった。
これでは花を確認に来なければならないが、今年は4月23日に梶原山・賎機山縦走で歩いたが、ここのテンナンショウには気が
つかなかった。
それもそうだろうあの時は竜爪の階段の上りで、半分ばてていて花を探す気力は無くなっていたのだから。
チャボホトトギス(矮鶏杜鵑)4枚
薬師岳と文殊岳の間で何株ものチャボホトトギスに出合う事が出来て満足だったが、他の花を目にすることは無かった。
文殊岳山頂 清水港遠望
仲間ウォークでは1000m越えの山に行く事は少ないので、貴重な証拠写真です。
山頂かは清水港もはっきり見えていて駿河湾越しには伊豆半島も浮かんでいた。
山頂広場は雑草に覆われて下にあるベンチは雑草に隠されていた。その代り雑草の中には色々な花が咲いていた。
ギボウシ(擬宝珠) オトコエシ(男郎花)
ギボウシとは分かるが何ギボウシかは分からない。マーギボウシと分かれば良しとしよう。それにしてもこの花がどこが擬宝珠に
似ているのかと思ったら、蕾の形が擬宝珠に似ているかららしい。
これもいつか確認しなければならないが宿題ばかり増えてしまう。(尤も忘れる事が多いので左程の事はない)
オトコエシ(男郎花)の名はオミナエシ(女郎花)に対立させる形で、より強豪であることを男性にたとえたものとあった。
確かに粟粒状の花は、色の違いはあるもののオミナエシに似ていなくもない。ウィキペディアに面白い説が載っていた。
「オトコエシは本来の名がオトコメシであったろうとの観測もある。オミナエシは女飯であり、これは黄色の花を粟飯に見立てての
名であり、それに対して本種の白い花を白飯に、白米をたたえてオトコメシとしたものであるという」
キンセンビキ(金水引) オニユリ(鬼百合)
本来のミズヒキの花は、花の付き方も紅白の色も本物水引に似ているが、このキンミズヒキは花が固まり過ぎていて水引には
使えそうもない。調べてみたら案の定、ミズヒキはタデ科で、キンミズヒキはバラ科だった。花房が細長いのから名付けたのかな。
鬼百合は良く見かけるがそれほど大きくないのに何故鬼百合と呼ぶのだろうと、以前から思っていた。丁度良いので調べてみたら
「花の色が赤鬼を連想させることから」 とあったが、それでは赤い花はみんな “鬼◯◯” になってしまう。
他には 「草丈は1~2m程となる大型のユリ」 とあったが、それで鬼百合? 大きさはヤマユリだって負けていないと思うが ・・・・・・・・
アサギマダラ(浅葱斑)
アサギマダラ(浅葱斑)の名前はよく聞くが、まだ見た事がなかった。
それが文殊岳山頂のベンチで昼飯を食べているとき 「アッ! アサギマダラがいる」 と仲間の一人が声を上げ指さした。
慌ててそちらを見ると白い花の先に蝶が2匹(頭)とまっていた。それに近づいて写した写真です。
蝶の羽に個体番号が書いてないかとカメラをズームしてみてが書いてなかった。残念。
この小さな体と薄い羽で海を渡って台湾方面に飛んで行くとか、凄いものですなぁ。あやかりたいものだ。
台湾に行ったら玉山(新高山)に登りたいのが、私のバケットリストの一つだったが、最早実現不可能だ。
ところで名前の語源になった浅葱色は、どの部分指すのだろう? 今見る限り黒入りの縁どりの中は灰色ぽい白色と、後の羽は
褐色で何処にも浅葱色と言われる青緑色、あるいは緑がかった薄い藍色らしき部分は見えない。
それにマダラ(斑)とあるからには斑点があるはずだが・・・・・・・
あるHPには
「黒と褐色の模様と、ステンドグラスを思わせる透けるような薄い浅葱色の斑(まだら)紋様の羽を持っています。
胸にも特徴 ある斑模様があり、これが名前の由来です。」 とあるので白っぽく見える部分が浅葱色と言う事か?
一時は仲間が間違えて教えてくれたのかとも思ったが、ネットのある写真と同じだったのアサギマダラに間違いはないようだ。
昔読んだ時代小説に 「浅葱裏(あさぎうら)」 話がでていたが、これは
「殿様の参勤交代で江戸に出仕した地方の下級武士の着物の裏地は安価な浅葱木綿が多かった。それを馬鹿にした江戸っ子は
彼らを “浅葱裏” と呼んで野暮の代名詞にしていた。」 らしい。
アサギマダラの名前を聞くと何故かその事を思い出してしまう。
脱線ついでに蝶の数え方は一匹ではなく一頭と数えるとも言われているので、謂れを調べてみた。
これには色々説があるようだが、一般的なのは
「英語では牛などの家畜を “head” で数えていたので、蝶を紹介するときも “head” で数えるようになった。
そのうち、昆虫学者が論文など発表する時も蝶の個体を “head” で数えるようになり、それを20世紀初頭に日本語に直訳した
ものが広まった。」 だろうか。
でもこれだって納得はしがたいな。だってトンボなどの他の昆虫は何故一匹なのか分からない。
私のような素人は知ったかぶりをせずに蝶は一匹・二匹と数えた方が無難なようだ。
静岡市街遠望 長い階段
文殊岳山頂から清水港は見えていたが、富士山方面は雲が発生していて見る事が出来なかった。
山頂を下る前にカモシカが居ないかと反射板に向かいかけた時に、南西の方向に静岡市街や安倍川、それに大崩山塊が見えていた。
ここから大崩山塊を見たのは初めてなような気がするが、いつもは先に気を取られ見逃していたのだろう。
あの憎っくき花沢山も見えているが、あんな低い山で怪我をする自分自身が悪いのに、すぐ責任を転嫁したくなってしまう。
肝心のカモシカ君は残念ながら顔を出してくれなかった。
薬師岳の下りは、登りと道を変えて長い階段を下った。こんな階段でも若し頭から転げ落ちたらどうなるのだろう。
一応左手は手摺に掴まりながら下ったが、そんな慎重な気持をいつまで持っていられるやら、困ったものです。
たった2.6kmしかない低山歩きだったが、チャボホトトギス、フシグロセンノウ、アサギマダラと初見の物を三つも見る事が出来て
大満足なゴールでした。
これからは長距離に拘ることなく、今回のように見所を押さえた短いコースも楽しそうだ。
*******************************************************************************
色々心配をおかけしました胸の怪我ですが、9日経っても咳やクシャミをすると凄い痛みに襲われ、寝返りや横になる事も
ままならなかった。余り正直に痛さを表現すると妻に 「山行禁止令」 を出されてしまう恐れがあるので我慢の日を送っていた。
それでも余り痛みが続くとなるとittaさんの言う “内蔵損傷” の心配も考えられる。
そこで日曜日の仲間ウォークの結果によって病院に行こうと決断をしました。
深呼吸をすると痛くなるので竜爪では大きく息は吸い込まないようにしたが、急な登り道はハーハーしながら登った。
更にザックを背負っても痛みは感じなかったので、山歩き自体は怪我の影響はなさそうだ。
ゴールして仲間に傷跡を見せたが、右胸が少し膨らんで変色しているだけだったので 「どうってことないよ」 と相手に
されなかった。そこで胸の倒木の根が当たった所をさすりながら
「こんなに膨らんでしまったが、骨にもたん瘤ができるのかなぁ。それとも骨格が変形してしまったのだろうか?」
仲間が 「どう?」 言って胸に触ると
「アッ! 本当だ。ぐりぐりがある。でもこれは誰だってあるじゃない」 と言いながら自分の胸を押さえて 「ないなぁ」 と言う。
他の仲間も私の胸を触りながら
「ウーンこりゃぁよっぽどひどくぶつかったようだ。これじゃ少し位置がづれていたらあばら骨が何本も折れる大怪我だ。」 と
脅かしてくる。
グリグリは丁度て手首にあるグリグリと同じ位の大きさで、今は押さえても痛みは感じない。
そこで仲間に病院に行くべきか聞いてみると
「痛みを感じないなら、もう治ったのじゃないの」 とか 「あばらが変形したとしても今更治らないじゃない」 と他人の事だと
思って簡単に言う。それでもそんな素人診断でも気は楽になるものですね。病院に行く気は急に薄れてしまった。
竜爪の翌日、わざと咳ばらいをや深呼吸をしてみたが特に痛くない。ただ横になる時はまだ痛みは残っていたが受傷当時に
比べれば何十分の一の痛さだ。これならもう少し我慢すれば痛みは治まるだろう。よって病院は止めにしよう。
勝手な素人判断が後々影響を残さなければよいが、マー私の場合先は知れている。オッとそんな事は言ってはいけない
72才はまだ壮年なのだから、まだ先はある。とは云え今更変形してしまった骨はどうしょうもないだろう。なるようになれだ。