歩行記録 H28-6-27(月)
歩行時間:7時間00分 休憩時間:1時間46分 延時間:8時間45分
出発時刻:7時00分 到着時刻:15時45分
歩 数: 36、968歩(推定距離26.24km) GPS距離26.3km
行程表
袋井駅 1:05> 成道寺 0:05> 8番観正寺 0:45> 11番遍照寺 1:00> 遠江一宮駅 1:40> 9番清瀧寺 1:00> 小國神社
1:05> 10番蓮華寺 0:20> 天浜線戸綿駅
11番・遍照寺
高平山 遍照寺 内 観音寺 (たかひらさん へんしょうじ ない かんのんじ)
宗 派 : 真言宗 本 尊 : 十一面観世音菩薩
ご詠歌 : 「宝をば 救世(ぐせい)の舟に積みおさめ 五色の島へ着くぞ嬉しき」
住 所 : 周智郡森町飯田2130 8番観正寺から11番遍照寺への道
8番までは札所順にお参りしてきたが、次の9番清瀧寺は森町の西外れの旧豊岡村にある。更に10番はそこから東に向かい
森町の町内にある蓮華寺だ。そして11番は森町の南に戻り8番の近くの遍照寺になる。
これは明らかに札所順が不自然で、遍照寺は後世になって札所になったのではないかと思われる。ただガイドブックにはその事に
触れていないが、遍照寺の創建が “元和元年(1615)” となっていた。
元和と云えば徳川幕府初期なので、今川時代の遠江33観音霊場設立(1592年)当時には遍照寺は無かったことになる。
早速調べてみると、矢張り当初札所だった観音寺は現在の天浜線戸綿駅の近くにあった事が分かった。そこは10番と12番の
間にあり札所順に歩くコースにあった。
それなら何も札無理して所順に拘る事はないと、8番の次に11番遍照寺を打つことにした。
石屋に置かれている石仏 気に入った石仏 遍照寺表参道
8番観正寺を出てまた信濃街道の旧道を北に向かう。途中にあった石屋の前には6年前と同じように古い石仏が並んでいた。
あの時も思ったが、この石仏はどうしたのだろう? 道路拡張などで邪魔になった石仏を石屋が引き取ってきたのか。
そしてここに展示して売っているのだろうか? そんな罰当たりな事をする地域があるのか、疑問だ。
この石仏をよく見ると両方共に戒名らしき “信女、大姉、居士” などの文字が見える。まさか墓場から・・・・・
そんな事はどうでもよいが、実は二つの石仏に挟まれて置かれている、座して合掌している小さな石仏が気にかかる。
猫の額のように狭い我が家の庭に、小さな石仏をお祀りしたいと以前から思っていたが、新しい石仏は機械で彫ったようで精密では
あるが何故か風情が無い。ところがこの小さな石仏は目鼻立ちはハッキリしていないが、自然石に荒く彫られて姿に何か威厳さえ
感じさせる。きっと売り物なのだろうが一体幾らくらいする物だろうか、確認てみたいが聞く勇気が無い。
3千円程度なら購入してお祀りできれば、遍路が出来なくなっても淋しくないだろう。
6年前に歩いた時、遍照寺の場所が分からなかったので地元の人に遍照寺の場所を聞くと
「遍照寺? 知らないなぁ この辺りにはないと思うよ」
「遠江33観音の札所で若しかすると観音寺と言うかもしれません。」
「観音寺? それも無いなぁ。地図には載っているの?」 と地図を覗き込んで
「アー “たかひらさん” のことか。高平さんなら、あの平屋の家の横を登った頂上にあるよ。あの寺は大仏さんで有名な寺だ」 と
そんな問答をしていた。今回は勿論場所を覚えているので聞く必要はなかったが。
その高平さんの参道入口にユニークな石碑が建っている。石碑には 「表参道」 とあるのだが、その “参” の字の部首の “ム” の
部分が◯を三つで代用している。更に斜めに三本ある部分は真横に真っすぐな横線で、あたかも “三” を表しているようだ。
月見里の山梨もそうだが、この地区の人たちはユーモアを表現することが得意らしい。好きだなぁー。
11番札所 高平山遍照寺 大日如来像
寺名の 「遍照」 が示すように遍照寺は真言宗の寺で本尊は弘法大師像とか。そうそう33観音霊場の本尊が十一面観音と
なっているのは、移転してきた観音堂の本尊の事です。
本堂横に鎮座する大仏は大日如来像座像で、高5m、周囲8mの青銅製で、享保三(1718)年に開眼したものだそうです。
青銅製では東海一の大きさを誇るそうで、ご利益は縁結びだそうです。
そこで我不肖の息子のために 「おんあびらうんけん ばさらだとばん」 と大日如来の真言を3回唱えておきました。
ご朱印を受けるべき庫裏に行ってチャイムを押したが、家の中で響いているのですが応答がない。車も無くカーテンも閉まって
いるのでどうやら留守のようです。
境内から見えた遠江の山 参道から見えた森町の農地
ガイドブックの等には境内からの見晴が良いと書いてあるがマーこの程度です。竹藪の丈をもっと短くしてくれれば良いのですが。
一方参道から見えた森町の広域農場です。ここでは森町名物のトウモロコシ 「甘々娘」 を栽培しているそうですが、上から見た
限りでは水田との違いが判りませんでした。手前に見える川が “流れも清き太田川” です。
歩行時間:7時間00分 休憩時間:1時間46分 延時間:8時間45分
出発時刻:7時00分 到着時刻:15時45分
歩 数: 36、968歩(推定距離26.24km) GPS距離26.3km
行程表
袋井駅 1:05> 成道寺 0:05> 8番観正寺 0:45> 11番遍照寺 1:00> 遠江一宮駅 1:40> 9番清瀧寺 1:00> 小國神社
1:05> 10番蓮華寺 0:20> 天浜線戸綿駅
11番・遍照寺
高平山 遍照寺 内 観音寺 (たかひらさん へんしょうじ ない かんのんじ)
宗 派 : 真言宗 本 尊 : 十一面観世音菩薩
ご詠歌 : 「宝をば 救世(ぐせい)の舟に積みおさめ 五色の島へ着くぞ嬉しき」
住 所 : 周智郡森町飯田2130 8番観正寺から11番遍照寺への道
8番までは札所順にお参りしてきたが、次の9番清瀧寺は森町の西外れの旧豊岡村にある。更に10番はそこから東に向かい
森町の町内にある蓮華寺だ。そして11番は森町の南に戻り8番の近くの遍照寺になる。
これは明らかに札所順が不自然で、遍照寺は後世になって札所になったのではないかと思われる。ただガイドブックにはその事に
触れていないが、遍照寺の創建が “元和元年(1615)” となっていた。
元和と云えば徳川幕府初期なので、今川時代の遠江33観音霊場設立(1592年)当時には遍照寺は無かったことになる。
早速調べてみると、矢張り当初札所だった観音寺は現在の天浜線戸綿駅の近くにあった事が分かった。そこは10番と12番の
間にあり札所順に歩くコースにあった。
それなら何も札無理して所順に拘る事はないと、8番の次に11番遍照寺を打つことにした。
石屋に置かれている石仏 気に入った石仏 遍照寺表参道
8番観正寺を出てまた信濃街道の旧道を北に向かう。途中にあった石屋の前には6年前と同じように古い石仏が並んでいた。
あの時も思ったが、この石仏はどうしたのだろう? 道路拡張などで邪魔になった石仏を石屋が引き取ってきたのか。
そしてここに展示して売っているのだろうか? そんな罰当たりな事をする地域があるのか、疑問だ。
この石仏をよく見ると両方共に戒名らしき “信女、大姉、居士” などの文字が見える。まさか墓場から・・・・・
そんな事はどうでもよいが、実は二つの石仏に挟まれて置かれている、座して合掌している小さな石仏が気にかかる。
猫の額のように狭い我が家の庭に、小さな石仏をお祀りしたいと以前から思っていたが、新しい石仏は機械で彫ったようで精密では
あるが何故か風情が無い。ところがこの小さな石仏は目鼻立ちはハッキリしていないが、自然石に荒く彫られて姿に何か威厳さえ
感じさせる。きっと売り物なのだろうが一体幾らくらいする物だろうか、確認てみたいが聞く勇気が無い。
3千円程度なら購入してお祀りできれば、遍路が出来なくなっても淋しくないだろう。
6年前に歩いた時、遍照寺の場所が分からなかったので地元の人に遍照寺の場所を聞くと
「遍照寺? 知らないなぁ この辺りにはないと思うよ」
「遠江33観音の札所で若しかすると観音寺と言うかもしれません。」
「観音寺? それも無いなぁ。地図には載っているの?」 と地図を覗き込んで
「アー “たかひらさん” のことか。高平さんなら、あの平屋の家の横を登った頂上にあるよ。あの寺は大仏さんで有名な寺だ」 と
そんな問答をしていた。今回は勿論場所を覚えているので聞く必要はなかったが。
その高平さんの参道入口にユニークな石碑が建っている。石碑には 「表参道」 とあるのだが、その “参” の字の部首の “ム” の
部分が◯を三つで代用している。更に斜めに三本ある部分は真横に真っすぐな横線で、あたかも “三” を表しているようだ。
月見里の山梨もそうだが、この地区の人たちはユーモアを表現することが得意らしい。好きだなぁー。
11番札所 高平山遍照寺 大日如来像
寺名の 「遍照」 が示すように遍照寺は真言宗の寺で本尊は弘法大師像とか。そうそう33観音霊場の本尊が十一面観音と
なっているのは、移転してきた観音堂の本尊の事です。
本堂横に鎮座する大仏は大日如来像座像で、高5m、周囲8mの青銅製で、享保三(1718)年に開眼したものだそうです。
青銅製では東海一の大きさを誇るそうで、ご利益は縁結びだそうです。
そこで我不肖の息子のために 「おんあびらうんけん ばさらだとばん」 と大日如来の真言を3回唱えておきました。
ご朱印を受けるべき庫裏に行ってチャイムを押したが、家の中で響いているのですが応答がない。車も無くカーテンも閉まって
いるのでどうやら留守のようです。
境内から見えた遠江の山 参道から見えた森町の農地
ガイドブックの等には境内からの見晴が良いと書いてあるがマーこの程度です。竹藪の丈をもっと短くしてくれれば良いのですが。
一方参道から見えた森町の広域農場です。ここでは森町名物のトウモロコシ 「甘々娘」 を栽培しているそうですが、上から見た
限りでは水田との違いが判りませんでした。手前に見える川が “流れも清き太田川” です。