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Channel: はぐれ遍路のひとりごと
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遠江33観音 9番

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歩行記録                                                           H28-6-27(月)
歩行時間:7時間00分   休憩時間:1時間46分   延時間:8時間45分
出発時刻:7時00分     到着時刻:15時45分
歩  数: 36、968歩(推定距離26.24km)    GPS距離26.3km
行程表
 袋井駅 1:05> 成道寺 0:05> 8番観正寺 0:45> 11番遍照寺 1:00> 遠江一宮駅 1:40> 9番清瀧寺 1:00> 小國神社
 1:05> 10番蓮華寺 0:20> 天浜線戸綿駅 

                                     9番・清瀧寺
 岩室山 清瀧寺 (いわむろざん せいりゅうじ)
 宗 派 : 真言宗   本 尊 : 聖観世音菩薩 
 ご詠歌 : 「岩室の 苔の細道踏み分けて 参る心は浄土なるらん」
 住 所 : 磐田市岩室68-3   11番遍照寺から9番清瀧寺への道

 
                 もろこし直売所                              もろこし畑

 森町名物 「甘々娘」 の直売所が有りました。甘々娘を知らない? あなたは静岡県人ではありませんね。
甘々娘はメロンにも匹敵する甘さがある(少々オーバーか)のが特徴で、全てが朝採りのため、新鮮でみずみずしく生でも美味しく
食べられます。と宣伝しているトウモロコシです。
その生産場所に来たのですが思ったよりもろこし畑が少なかった。四角に整地された大規模農園だがその大部分は水田で肝心の
トウモロコシ畑は1割か2割程度しかない。それでもまだ定植したばかりの苗から、すでに収穫が終わり荒れている畑もある。
開いていた直売所には客の姿が見えないが、まだ営業中のようだ。値段を知りたかったが値札は出ていない。土産にと思わない
ことも無いが、炎天下の元、ザックに入れて歩いたのではそれだけで蒸れてしまいそうだ。それに重たいし・・・・・

 暑いです。広い農地の中は陽を遮るものも無く、もろに直射日光を浴びて歩くしかないので、いつも持参している折り畳み傘を
日傘替りに差そうかとさえ思った。
何しろ前回の事があるので熱中症には十分注意しなければならない。それに小便の回数が減って菌が増殖して膀胱炎になるのも怖い。
その対策としては水分の補給を怠らないことだ。
今朝妻が支度してくれた水分は、凍ったポカリ500ccと900CCの凍らせた水道水だ。いつもは喉が乾いたら飲んでいたが今日からは
歩き始める前と休憩前には喉が渇いてなくても飲むようにしている。
これで病気にならないのなら楽なもんだ。

    
                    遠江一宮駅                                登録有形文化財の証

 標高87mの遍照寺を下り、太田川を渡って大農園を横断すると再度小さな峠を越す。峠と云っても名も無く標高55mと低いので
別にどうと云った事はないが、今日はこんな峠越えを何度か繰り返さなければならない。
まだ体力に自信が無いので今日はゴール地点以外に離脱地を決めてあり、その最初の離脱地の遠江一宮駅に10時25分に着いた。
距離はここまで12.3kmだがまだ頭痛や吐き気は無い。疲れ? 疲れはそれなりにあるが、まだ中止するほどの疲れではない。
これなら次の離脱地までは頑張れそうだ。

 遠江一宮駅は文化庁の登録有形文化財に認定されている。その特徴等も列記されているが要は古いと云う事だろう。
建設されたのが昭和15年とあるので、私より古くて75年以上は経っていることになる。
 駅の入口と中に新聞紙を敷いてあるのはツバメの巣が上にあるので、その糞除けです。
以前構内にはソバ屋があったが今日は暖簾が出ていなかった。休みなのかもしれないが、雰囲気的に休業しているような気もした。

 
              獅子ヶ鼻公園への入口                         トンネルがあった

 一宮駅から北に向かい県道を左折して2本目の角を右折して北に向かう。ここを間違えたら獅子ヶ鼻に行けないので慎重になった。
その角に来て北の方向を眺めると右に寺があり、正面には新東名の高架橋が見える。OKこれで間違いない。
そう云えば道の入口に 「景流苑」 の看板が出ていたので、次回からはこの看板を目標にすれば良さそうだ。

 新東名の下を通り過ぎると “ホタルの里 大久保” とか書かれた看板があり、右側には数軒の民家が建っていて道も分岐していた。
ここはメインの道をと、そのまま直進していくと、県道とに分岐点にあった “景流苑” の看板の建物があり、そこはラブホテルだった。
待てよ獅子ヶ鼻からの道にラブホテルがあったかしらと考えるが、無かったような気がするが確かではない。
きっとあったのだろう更に直進するがおかしな事にある筈のゴルフ場の施設が出てこない。それに右側には時折断崖まである。
これは変だ。どうやら道を間違ったようだが何処で間違えたか覚えがない。分岐した入口の右側には安養院があったから間違いは
ないし、あとは1本道を歩いて来ただけだ。
ただこの道は獅子ヶ鼻からは3回も下っていて自信があったので地図も余り確認していない。それが原因で迷ったのだろう。

 県道から分かれ25分程も歩いた所にあったトンネルから道は下りだし、トンネルの先には磐田市の標識まであった。
アー完全に間違ってしまった。獅子ヶ鼻公園に行くにはトンネルは無く、しかも道は上りが続いていて下る所はなかった。
どうしよう、戻るべきか先に行くべきか。ウーンしかし戻ったとしても分岐ヶ所が分からなければ県道まで行ってしまいそうだ。
なら先に進んだらどうか。多分この先から獅子ヶ鼻に登る車道がある筈だ。と直進することにした。

 
               旧豊岡町のマンホール                     見た覚えのある場所があった。

 トンネルの道を下って行くと梅の花をあしらったマンホールがあった。これは今は磐田市と合併している豊岡梅園のある旧豊岡町の
マンホールだ。獅子ヶ鼻の西からの登り口の敷地も旧豊岡町なので、ここから北の方角に登り口があるのは間違いはないだろう。
暫く下ると矢張り北に向かう道が分岐していたので、山とは離れないようにして北に向かえば、間違いはないだろうとその道に入る。
結構太めの車道だが車は1台も走っておらず、しかも民家もなければ人影もないので聞く事もままならず黙って歩くしかない。

 前方の 「神道修正派 大元祠」 の看板を見て思い出した。獅子ヶ鼻公園には大きな鳥居のある新興宗教のような神社があった。
確かこんな風な名前の宗教だったはずだ。と、勢いづいた。

                 

 そこには獅子ヶ鼻公園の散策マップも掲示されていて、山に登る車道は間違いなく清瀧寺に向かう道だった。
この道は3年前に歩き仲間から誘われて獅子ヶ鼻トレッキングコースに来たとき歩いた車道だったが、その時は仲間に会う事が
できず一人でトレッキングコースを歩いていた。コース自体は中々面白い道だったと記憶している。

 散策マップを見ると9番札所の清瀧寺には、車道経由とトレッキングコースの2種類があるようだ。それなら前回と違うトレッキング
コースを歩こうと更に川沿いの道を進んだ。

 
         獅子ヶ鼻トレッキングコース入口                              途中の岩壁

 県道283号線横にあったトレッキングコースの出発点は、駐車場も備えた中々立派な物だった。
ただ心配なのはコースの入口に2台のウマが置いてあり通行の邪魔をしている。特に貼紙は無いので何のための置いてあるのか
分からないが、多分 “マウンテンバイク進入禁止” のための物だろうと、都合よく解釈してコースを進むことにした。

 今日最初の木陰の道でホッとしながら、夏は街道歩きより山歩きの方が熱中症に罹る割合は少ないだろうなと感じた。
道はトレッキングと云うより遊歩道に近くよく整備されていた。難を云えば初めて歩く者にとっては標識の表示が分かり難い事だが
マー間違っても多寡が知れているだろう。

    
           ◯◯記念碑                            豊岡の街と新東名

 イエイエ実際にはそんな余裕はなく、何処にも寄らず清瀧寺に一番近そうな道を探しながら歩きました。
途中に上の二文字が読めない記念碑があり、そこからは豊岡の街が見えていた。遊具もあるが 「がけに注意して遊びましょう」 の
貼紙を見て、遊具を置くなら崖の手前にはフェンス位しろと、余計な事も思う。

 記念碑から少し上に登ると舗装された車道があり、場違いなほど立派なトイレもある。だがそこの建つ標識には上に行く車道には
行先がない。自分の勘では清瀧寺はまだ上の筈だと行先の書いてない車道を登る。

    
         岩室廃寺跡の標識                             塔の礎石

 「岩室廃寺遺跡(塔跡)」 の標識が建っていて、近くには塔の礎石と思われる丸く穿った石があった。
清瀧寺にあった説明には 「礎石は五間四面のお堂の物で、八尺の間隔を置いて東西に六個、南北に五個の割で置いてある」 等と
説明してあった。
 五間と云えば一間が六尺で、一尺が0.303cmとすると5✖6✖0.303≒9mとなり、一面が9mの塔になる。
エッ!エッ!エッ! 本当かな? 遠州三山油山寺にある国の重要文化財の三重の塔の下層の幅は3,6m四方とあった。
それが9m??? 計算違いか、私の勘違いか? 現存しておれば国宝間違いないだろう。惜しい事をした。

 
              9番札所清瀧寺                                     清瀧寺

 私は獅子ヶ鼻にある札所の寺号を清瀧寺と書いているが、これは遠江33観音霊場の遍路をしているためで現地には清瀧寺の
表示は一切なかった。散策マップにはこのお堂は “馬頭観音” とあり、お堂横の案内板には “岩村廃寺跡(観音堂)” とあった。
それがなぜ清瀧寺なのか調べたが分からなかった。

 6年前のブログの表記を紹介します。
 『お堂に掲げられた説明板 「敷地 岩室遺跡について」 によると
 「このお堂の辺りはビクニ(比丘尼)と呼ばれていた所で、磐田の国分寺の古文書には 「是より北方三里に尼寺あり」 と記されている。
当時の岩室山は遠江の守護所として政治、宗教、文化の中心地であった。その後1546年比叡山と岩室山は本末の論議で争いで、
比叡山から来襲した僧徒により焼き討ちされた」 となっている。
 一方その隣に掲げられた 「岩室遺跡」 には
 「真言宗祖弘法大師開山の地にして七堂伽藍をはじめ数多の坊舎があった。しかるに戦国のおり織田信長の攻むるところとなり、
堂宇伽藍悉く兵火に罹り延焼数日、敷地村全部を焼尽された」 と書かれている。
 弘法大師が開山したなら真言宗だが、比叡山となると空海の宗敵最澄の天台宗だ。更に此処が焼かれたのは片や織田信長で片や
天台宗の僧徒となっている。どちらが正しいのか? ウーン謎だ。

                 

 お堂の中を覗きこむと更におかしな事に葵の御紋の付いた「東照大権現 台徳院殿 崇源院殿」と書かれた位牌が置いてある。
東照大権現は言わずと知れた徳川家康。台徳院殿は家康の三男で二代将軍家忠。そして崇源院は家忠の正室で浅井長政と
お市方の娘の江(ごう)である。
そんな位牌が何故此処にあるのだ。徳川家康が浜松城に居たとき家忠が生まれた事が関連しているのだろうか? 
でも何のためにここにあるのか?
比較的新しく見える位牌の横には安っぽい(失礼)仏像の横に置かれていた。そのため位牌も何故かインチキぽく見えてしまった。』

 6年前も今も感想は変わらない。要は私は進歩していないということだ。

 清瀧寺までの道を間違えて予定より50分ほど遅れてしまったが、新しい道、しかもトレッキングコースを歩けたので結果的には良しと
しよう。今時点熱中症の自覚症状は出ていないが、一宮駅の時と比べ足腰と肩が痛くなってきている。
まだ17.5kmしか歩いていないのだから、だらしがないったらない。

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