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Channel: はぐれ遍路のひとりごと
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遠江33観音 8番

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歩行記録                                                           H28-6-27(月)
歩行時間:7時間00分   休憩時間:1時間46分   延時間:8時間45分
出発時刻:7時00分     到着時刻:15時45分
歩  数: 36、968歩(推定距離26.24km)    GPS距離26.3km
行程表
 袋井駅 1:05> 成道寺 0:05> 8番観正寺 0:45> 11番遍照寺 1:00> 遠江一宮駅 1:40> 9番清瀧寺 1:00> 小國神社
 1:05> 10番蓮華寺 0:20> 天浜線戸綿駅 

                                     8番・観正寺
 月見山 観正寺 (つきみざん かんしょうじ)
 宗 派 : 曹洞宗   本 尊 : 六観世音菩薩 
 ご詠歌 : 「幾たびも 参る功徳の たまり水 浮かぶ救世(ぐせい)の 舟寄せの松」
 住 所 : 袋井市下山梨524   袋井駅から8番朱印場所成道寺までの道   朱印場所から8番観正寺への道

 前回のダウンに懲りて、2回目の今日は当初ルートの33kmを大幅に短縮して、約23kmと10kmも減らすことにした。
さらに予定していた八形山の縦走も止め、山越えもやらないことにしている。
それでも病み上がりの体と、30度にもなるらしい気温を考えて、第1目標を遠江一宮駅、第2目標を戸綿駅、そして最終ゴールは
原田駅とした。

 
                新装なった袋井駅                             静橋

 新装なった袋井駅で私に関係するのは、キヨスクが出来て駅の構内で氷結を購入できるようになった事と、南側からも駅に入る事が
できるようになり、狭いガードを歩かないで済むようになった事ぐらいです。

 袋井駅前から北に向かい3本の道が延びているが、今日歩く道は西側の一番のメイン道路で、県道58号袋井春野線で所謂 「信州
街道」 である。
 遠江地方から信州に延びる道は、天竜の先からは国道152号の 「秋葉街道」 1本になるが、そこまでには3本の主な道がある。
そのうち1本が袋井から森町を経由して秋葉さんに向かう、この 「信州街道」 だが、森町では南遠相良から掛川を経由してきた
 「塩の道」 に合流する。あと1本は浜松からの国道152号の 「秋葉街道」 だ。

 江戸時代には伊勢参りに次いで秋葉詣も流行っていたと云うが、信者たちはどの道を歩いたのだろう。
当然尾張や関西から来た信者は浜松からの秋葉街道を歩いただろう。と同時に、相模や江戸から来た人はどの道を歩いたかと
云えば、当然掛川からの塩の道を歩いたと思いたい。
 だが、駿府の人たちは東海道を掛川に出ず、山中の道を川根に抜けて秋葉神社詣でをしていたらしい。その証拠に浅間神社
参道の入口や、藁科街道の入口の秋葉神社に続く道には大きな秋葉さんの常夜灯がある。
そうなれば当然東から来た信者はその道を歩くと思うので、掛川から塩の道を歩いて秋葉さんに行く信者は、藤枝・島田以西の
人間と云う事になる。
そしてここ袋井からの信州街道は、地元袋井と磐田付近の人たちしか歩かず、名前こそ立派だが歩く人は少なかっただろう。

 信州街道を歩きだすと原野谷川にかかる。この川は遍路3回目に予定している13番札所大尾山顕光寺付近の山を水源と
している川なので、3回目はこの川の上流を辿る事になる。
信州街道は原野谷川に架かる 「静(しずか)橋」 を渡るのだが、そこからは上流に2本と下流に1本の橋が見えていて、上流から
 「和橋・圓橋・静橋・睦美橋」 と名前が付いています。
 どうですかこの4つの橋の名前を見て何か感じませんか? 偏屈な私はすぐ “何故全て一文字の名前にしなかったのだ” と
いちゃもんを付けたくなります。
しかもですよ、睦美橋の袂の町名が 「睦町」 となれば尚更です。何故態々 “睦美” にしたのですかねぇ。疑問です。

            
            秋葉総本殿遥拝所                         秋葉山本宮の案内板

 原野谷川を渡り、江戸時代の東海道、旧国1、国1バイパスを越し、東名高速の手前に着くと可睡斎への分岐、可睡口がある。
ここには大きな常夜灯と、上に天狗の乗った 「秋葉総本殿 火防総本山 可睡斎」 の看板、そして 「秋葉総本殿遥拝所」 の石碑が
建っている。
 今回は可睡斎は寄らないので、こまかい話は止めるが、私は “遥拝所” と聞くと、その場所から目的物が見えるのではないかと
思ってしまう。しかし今までも掛川の塩の道にある “秋葉山遥拝所” や、四国遍路の “石鎚山遥拝所” 等の遥拝所から目的物が
見えた事が無い。でも何時しか分かりました。遥拝とは読んで字の如し 「はるかに隔たった所からおがむこと。」 なのです。
だから例えこんなゴミゴミした所で、何も見えなくて遥拝所でもおかしくはないのですね。

 東名のガードを越すと 「秋葉山本宮 ⇒」 と書かれた案内板が現れた。これは可睡斎の案内ではなく春野町にある秋葉神社の
案内板です。江戸時代から本家争いをしてきた秋葉神社と可睡斎。全国的には秋葉神社が有名でも、地元では火防の神となれば
可睡斎なのでしょう。

 面白みのない道、信州街道だが、6年前はこんな事を書いていた。
 「8番札所に近づいてくると 『山梨』 の字が目に付くようになった。下山梨、上山梨、沖山梨などの地名もある。
この辺りは今は袋井市になっているが以前は周智郡山梨町だった。その所為で山梨が多いのは分かるが、何故山梨と言うよう
なったのか面白い説を聞いたので紹介しておきたい。
 子供の頃 『山が有っても山なし県』 『痛くなくても大いた県』 とか言って遊んだ経験は無いだろうか。ここの山梨はその言葉通り
 『山が無くて山なし』 なのだ。
この辺りの地形は低い岡はあっても視界を遮るような高い山が無い。しかしそれで 『山なし』 ではチョット芸が無さ過ぎて面白くない。
トンチの利いた昔の人はもう一ひねりしてある。近くに山が無いので月見に適していたこの地は 『月見里』 と書き表していたが単純に
 『つきみさと』 と言わずに、月が見えるのは山が無いからだ。だから 『月見里』 は『 やまなし』 なのだと月見里=やまなし=山梨に
なったとか。
嘘? いえ嘘ではなさそうです。その証拠として苗字でも 『月見里』 は 『やまなし』 さんとか
それに藤枝にある月見里神社はやまなし神社と読むらしいですよ。
ジャー山梨県のやまなしは本来は月見里県かと言いたくなるが、ウィキペディアにはこんな事が書いてありました。

 『山梨郡の名前の由来は 「旧春日居町にある山梨岡神社の裏山に梨の有名な古木があり、そのためこの地域はいつしか山梨と
呼ばれるようになった」 という伝説が存在しているため、果物のヤマナシに由来していると思われがちである。
しかし風土記には 「山無瀬」 「夜萬奈之」 と記されており、語源としては「山平らす(やまならす)」、つまり甲府盆地の高低の少ない
平坦な様子を表す言葉が次第に「やまなし」へ転化したとみるのが妥当であるとある。
そして「梨園」などの言葉に見られる一種の優雅さを感じさせる 「梨」 という好字を当てて 「山梨」 と呼ぶようになったといわれている。』
と書かれていました。

 
              用水路の蓋                                朱印場所成道寺

 分かり難そうだと思っていた8番札所の朱印場所の成道寺には矢張り迷ってしまった。
中学校の近くなので歩いているのは中学生ばかり、多分分からないだろうなと思いながら聞いてみるが矢張り 「知りません」 でした。
 余り歩いて寺から遠くなってもいけないと、今度は人を探しながらのブラブラ歩きでした。ようやく畑仕事していた女性を見つけて
 「済みません。この近くにせいどう寺と言うお寺さんはありませんか。」 と聞くと
 「せいどう寺? ありませんね。」 と答えた後で、手で空中に字を書くような恰好をして 「なるみちと書いてじょうどう寺なら有ります。」
 「そーそのお寺さんです。」と道を聞いた。成道寺は意外に近くにあり、その説明の中に 「三角屋根の保育園」 があり、その保育園の
近くに行くと用水路に金網が掛かっていた。用水路全体を覆う金網で、これなら水難事故は起きそうもないと思った。

 朱印場所の成道寺で呼び鈴を押すが返答はない。車が停まっているので誰か居そうな感じもするが、何度押しても駄目だった。
そこで玄関の引き戸を曳くと鍵は掛かっておらず中に入る事ができた。若しや自分で朱印を押す事ができるかと思ったが、肝心の
朱印は置いて有りませんでした。

 
                 8番観正寺                                      厄除け石

 今度は迷ってはならずと地図に指示通り慎重に歩いた。細い路地のような感じの道で不安も感じたが、出た所は観正寺の目の前
だった。正に街中の遍路道と言った感じだ。
 この8番観正寺は分かり難い場所で、地元の人に聞いても知らない人が多く、寺と言っても小さなお堂に過ぎない。赤い霊場の
幟も無く、信州街道に面していないので私も6年前はここでは手こずってしまった。
だが一度来れば札所の隣が下山梨の公会堂なので分かりやすい。他人に聞く時も札所名ではなく公会堂を聞けば地元の人なら
分かってくれるだろう。

 正直面白みのない札所だが前回見落とした “石の中から丸い石が顔を覗かせている厄除け石” なる物を探してみた。
雑草の中に放置されていた石はすぐ見つかったが、厄除け石として信仰しているなら、もう少し大事にしたらと感じた。
それに厄除け石と云うより、子宝石として子授け、安産の石とした方がよさそうだと感じた。

 ケチばかり付けるので初めて朱印を貰う事が出来なかった。いや朱印を貰えないのでケチを付けているのかな?

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