歩行記録 H27-8-31(月)
歩行時間:6時間45分 休憩時間:1時間25分 延時間:8時間10分
出発時刻:8時45分 到着時刻:16時55分
歩 数: 38、240歩(推定距離28.7km) GPS距離29.2km
行程表
常滑駅 1:00> 66番 0:15> 67番 0:10> 68番 0:05> 69番 0:10> 70番 0:15> 71番 1:00> 72番 0:25>
77番 0:05> 73番 0:05> 75番 0:05 74番 0:05> 76番 0:30> 78番 0:10> 79番 0:00> 開山 0:20>
80番 0:10> 81番 0:40> 82番 0:15> 太田川駅
66番中之坊寺(中之坊?)
7回目の知多四国霊場の遍路です。当初は7回で結願を迎える予定でしたが、途中熱中症なるアクシデントに襲われ、島に
泊るのを止めたので8回の遍路になってしまった。
今日の予定は一応15寺目の開山妙楽寺から名鉄古見駅で終わる予定だが、前回の事もあり4寺追加して太田川駅ゴールの
道も調べて来てあった。
土管のベンチ 知多横断道路
前回予定外だった2寺も打ったので、今日は南に戻らなくて直接北にある66番中之坊寺(なかのぼうじ)へ向かうことができた。
今迄何回か遭遇した高速道路は 「知多半島道路」 だったが、ここの高速は 「知多横断道路・セントレアライン」 といい、半田JCT
から分岐して中部空港へ行く高速。ただ海上部分は 「中部国際空港連絡道路」 となっているのでたった8.5kmしかない高速だ。
その先の中部国際空港連絡道路も、殆どの部分がセントレア大橋になるので、果たしてこの長ったらしい名前は一般に使われて
いるのだろうか。
更にこの連絡道は県道522号でもあるらしい。なら通行料は無料なのかしら?
高速の写真を写したのは国道155号の田屋交差点の上からだったが、今迄何度も歩いた国道247号が、この辺りから155号に
変わっていた。いよいよ知多半島ともお別れなのだろう。
中之坊寺 本 堂
国道155号を北に向かい途中で常滑公園方面に分岐する道は、信号もあり公園の案内もあったので問題なく入ることができた。
問題は次の分岐で、手持ち地図では信号も目印も無い所を左折するようになっていた。途中には分岐ヶ所が何ヶ所もあるらしいが
印刷した地図には載っていない。民家も工場も無く聞く事も出来そうもない。
不安を抱きながらその道を歩いていたが、そのうち完全に距離感も無くなり、何処を曲がるのか分からなくなってしまった。
適当な所を曲がって更に山の中に入ってしまうのも怖い、では曲がらずにこの道を民家がある所まで行くか迷っていた。
すると前方の交差点に 「青海中学校」 の表示があった。アー良かった。中之坊寺は青海中学の先にあるのでもう安心だ。
“案ずるより産むが易し” だった。
中之坊寺は溜池の隣のロケーションの良い地に熊野神社と並んで建っていた。その石柱門の寺名は “六十六番中之坊” と
あって “寺” が付いていない。確かに中之坊寺では語呂も語感も悪いので中之坊が正解だろうとその時は思ったが・・・・・
名前を聞いても分かるが元々中之坊寺は大野城主、佐治氏の祈願所として建立され、一山九坊を有した金蓮寺の一坊だった。
それが伊勢の九鬼水軍の来襲で大野城共々焼失したが、その後再興された坊だった。
ここで少し脱線すると、大野城とはNHK大河ドラマになった 「お江」 が最初の結婚で大野城の佐治一成に嫁いで来ている。
その城が伊勢の九鬼水軍に落城させられたのも不自然なので、ウィキペディアを引用すると
「佐治一成は羽柴秀吉と敵対して追放され、城主として信長の弟である織田長益が入るが、大野城の水利の悪さから、すぐ
真向かいに大草城を築城して移り、大野城は廃城となった。」 とあり、九鬼水軍の九の字も無い。
こうなるとどの説が真実か分からなくなるが、逆にそれだから面白いのかもしれない。
本堂には全身真黒な弘法大師が安置され、悪病除け、子供の虫封じにご利益があるとあったが、勿論拝む事はできなかった。
弘法堂 納経所
この寺は常時納経印を参拝者自身が押すようで 「納経料 お願いします」 と書かれた古い紙が貼ってあり、投入孔も用意されていた。
この方法を嫌う参拝者もいるようだが、私は気にならない。小さな寺なので留守がちになる事が多いのだろうから、その間、閉められて
朱印を受けられない方がもっと困る。それに気を使わない分だけ楽だ。と考えていた。
オットよく見ると朱印が入れられている決済箱のような箱に、なんと 「中之坊寺」 と書いてある。
一体どっちが本当なのか聞いてみたいが、アッ矢張り納経は寺の人に受け付けて貰った方のが良いのかも。
常滑駅から66番中之坊寺への道
歩行時間:6時間45分 休憩時間:1時間25分 延時間:8時間10分
出発時刻:8時45分 到着時刻:16時55分
歩 数: 38、240歩(推定距離28.7km) GPS距離29.2km
行程表
常滑駅 1:00> 66番 0:15> 67番 0:10> 68番 0:05> 69番 0:10> 70番 0:15> 71番 1:00> 72番 0:25>
77番 0:05> 73番 0:05> 75番 0:05 74番 0:05> 76番 0:30> 78番 0:10> 79番 0:00> 開山 0:20>
80番 0:10> 81番 0:40> 82番 0:15> 太田川駅
66番中之坊寺(中之坊?)
7回目の知多四国霊場の遍路です。当初は7回で結願を迎える予定でしたが、途中熱中症なるアクシデントに襲われ、島に
泊るのを止めたので8回の遍路になってしまった。
今日の予定は一応15寺目の開山妙楽寺から名鉄古見駅で終わる予定だが、前回の事もあり4寺追加して太田川駅ゴールの
道も調べて来てあった。
土管のベンチ 知多横断道路
前回予定外だった2寺も打ったので、今日は南に戻らなくて直接北にある66番中之坊寺(なかのぼうじ)へ向かうことができた。
今迄何回か遭遇した高速道路は 「知多半島道路」 だったが、ここの高速は 「知多横断道路・セントレアライン」 といい、半田JCT
から分岐して中部空港へ行く高速。ただ海上部分は 「中部国際空港連絡道路」 となっているのでたった8.5kmしかない高速だ。
その先の中部国際空港連絡道路も、殆どの部分がセントレア大橋になるので、果たしてこの長ったらしい名前は一般に使われて
いるのだろうか。
更にこの連絡道は県道522号でもあるらしい。なら通行料は無料なのかしら?
高速の写真を写したのは国道155号の田屋交差点の上からだったが、今迄何度も歩いた国道247号が、この辺りから155号に
変わっていた。いよいよ知多半島ともお別れなのだろう。
中之坊寺 本 堂
国道155号を北に向かい途中で常滑公園方面に分岐する道は、信号もあり公園の案内もあったので問題なく入ることができた。
問題は次の分岐で、手持ち地図では信号も目印も無い所を左折するようになっていた。途中には分岐ヶ所が何ヶ所もあるらしいが
印刷した地図には載っていない。民家も工場も無く聞く事も出来そうもない。
不安を抱きながらその道を歩いていたが、そのうち完全に距離感も無くなり、何処を曲がるのか分からなくなってしまった。
適当な所を曲がって更に山の中に入ってしまうのも怖い、では曲がらずにこの道を民家がある所まで行くか迷っていた。
すると前方の交差点に 「青海中学校」 の表示があった。アー良かった。中之坊寺は青海中学の先にあるのでもう安心だ。
“案ずるより産むが易し” だった。
中之坊寺は溜池の隣のロケーションの良い地に熊野神社と並んで建っていた。その石柱門の寺名は “六十六番中之坊” と
あって “寺” が付いていない。確かに中之坊寺では語呂も語感も悪いので中之坊が正解だろうとその時は思ったが・・・・・
名前を聞いても分かるが元々中之坊寺は大野城主、佐治氏の祈願所として建立され、一山九坊を有した金蓮寺の一坊だった。
それが伊勢の九鬼水軍の来襲で大野城共々焼失したが、その後再興された坊だった。
ここで少し脱線すると、大野城とはNHK大河ドラマになった 「お江」 が最初の結婚で大野城の佐治一成に嫁いで来ている。
その城が伊勢の九鬼水軍に落城させられたのも不自然なので、ウィキペディアを引用すると
「佐治一成は羽柴秀吉と敵対して追放され、城主として信長の弟である織田長益が入るが、大野城の水利の悪さから、すぐ
真向かいに大草城を築城して移り、大野城は廃城となった。」 とあり、九鬼水軍の九の字も無い。
こうなるとどの説が真実か分からなくなるが、逆にそれだから面白いのかもしれない。
本堂には全身真黒な弘法大師が安置され、悪病除け、子供の虫封じにご利益があるとあったが、勿論拝む事はできなかった。
弘法堂 納経所
この寺は常時納経印を参拝者自身が押すようで 「納経料 お願いします」 と書かれた古い紙が貼ってあり、投入孔も用意されていた。
この方法を嫌う参拝者もいるようだが、私は気にならない。小さな寺なので留守がちになる事が多いのだろうから、その間、閉められて
朱印を受けられない方がもっと困る。それに気を使わない分だけ楽だ。と考えていた。
オットよく見ると朱印が入れられている決済箱のような箱に、なんと 「中之坊寺」 と書いてある。
一体どっちが本当なのか聞いてみたいが、アッ矢張り納経は寺の人に受け付けて貰った方のが良いのかも。
常滑駅から66番中之坊寺への道