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Channel: はぐれ遍路のひとりごと
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四国遍路30日目

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                         71番 弥谷寺

                     番外の宿坊(30日目) (2003/4/11)

宿(6:25)→神恵院(68)→観音寺(69)→本山寺(70)→弥谷寺(71)→宿(15:05)  30.3km

 昨日から讃岐に入った。 「涅槃の道場」 と言うらしいがよくわからない。
執着や煩悩を消し悟りを得るとあるが私には無縁のようだ。
昨日は遍路試験に二度も落ちているし、執着心も人一倍強いのに遍路は仕上げの段階に差し掛かってしまった。
ともかく残りを有意義に過ごさなければ。

 朝は雨が残っていたが、合羽を着るほどでもなくザックカバーと菅笠だけで済みそうです。
昨日の雨で靴が湿気ていて、履くときは少々冷たいが、履いてしまえばどうという事は無い。

私の靴は布製のウオーキングシューズなので、雨ともなれば靴の中は水浸しで、靴下はビショビショの状態になってしまう。
それが朝、湿気ている程度になるのは、昨夜のうちに古新聞を丸めて靴の中に入れて水分を吸収してあるからだ。

この方法は本に出ていたのだが、半信半疑で試してみると効果があった。
湿気まで完全に取ることは出来ないが水気は無い。

ただこの新聞紙を宿から貰うとき、何か規定外のサービスを求めるような気がして言い出しづらくなる。
他の遍路さんはどう感じているのかな? 変なところに気を使うと、自分でも思うのだが--------。
それでせめて靴から出した新聞紙は広げてから、折り畳んで返すようにしているが。当たり前か!

 濡れた靴と言えばもう一つ書いておきたい事がある
私は以前から左足の小指の付根が軽い水虫に罹っていて、毎年暖かくなると思い出したように薬を買い、付けたり
付けなかったりする程度の水虫だったが。
それが遍路の出発時点では完全に水虫の事は忘れていて水虫の薬は持ってこなかった。
それが雨で靴の中が濡れて始めて水虫の事に気がついたが、薬を買うのも煩わしいので、悪くなったら買えば良いと居直っていた。
確かに最初は指の付け根に違和感があったのだが、その内それも忘れてしまった。
昨夜久しぶりに水虫の事を思い出して足を見ると、なんと水虫が治っているではないか。
そんな馬鹿な、こんなに悪条件では水虫が悪化しても、良くなるなんて事は無いはずだと、再度見るが綺麗な肌になっている。

原因は何だろうか色々考えてみた。
信心深い人なら 「大師様のおかげ」 と言うだろうが、私にはそのような発想は出来ない。
結局結論は “悪条件” が水虫にも影響しているのではないかと考えた。

毎日30kから40k、歩数にして6万回から8万回も、毎日ペタペタペタペタと足の裏は地面と接触を繰返していたのだから
相当なものだ。足にも悪影響たが水虫の菌にも悪影響となり、その衝撃で水虫菌は消滅してしまったのだ。
そう思うことにする。(結願してから15年、現時点も水虫は再発していません)

 68番神恵院と69番観音寺は本当の隣りあわせで、一つの境内の中と言った感じだ。
これが阿波や土佐なら 「もうけ」 と思っただろうが、さすが讃岐まで来ると一つ損をしたように感じてしまう。

なにせ残りの札所が19カ寺になってしまったのだから。
ところで16番と69番の観音寺は“かんのんじ”ではなく“かんおんじ”と読むらしい。
お寺の読み方は難しい。

 71番弥谷寺は標高も低く、町からも離れていないのに岩壁には苔むした磨崖仏や墳墓が刻まれ深山幽谷の霊場といった
感がある。
45番岩屋寺もそうだったが岩山にある寺は、岩があるだけで存在感を増し神秘的な雰囲気を感じさせる。

 今日の宿はこの弥谷寺から一山越して、瀬戸内海の海辺にある海岸寺の宿坊を予約してある。
海岸寺は番外だが弘法大師の母親の在所で、弘法大師の生まれた寺で大寺らしい。
しかも海岸にあり庭園からの瀬戸内海の眺めが素晴しいとパンフレットに書いてある。
それでわざわざ山越えをしてまで行ってみる気になったのだが。

 弥谷寺から海岸寺に行く山の入口が封鎖され立札が立っていた 「崩壊個所の復旧工事のため通行を禁止します」  
「えー! まさか!」 山越えが出来なければ海岸時までは随分遠回りになってしまう。
がっかりしながらも念のため納経所で 「海岸寺への道は通行止めなのですか」 と確認してみた。すると
「通れますよ」 簡単に言う
「えっ 海岸寺へ行く山道ですよ」 
「大丈夫通れます」 もっと確認したかったが、相手の気が変わり
「それなら止めろ」 と言われても困るのでそれで引き下がった。

 駄目なら戻ればよいと不安を残しながら封鎖箇所を乗越えて出発。
道はしっかりした山道で、遍路道と言うより整備されたハイキングコースのようだ。
尾根道をしばらく行った鞍部に海岸寺への案内が立っていて、ここで尾根道と別れ沢の道に入るらしい。

 この先に崩壊場所があるのかと注意深く下る。沢道は尾根と違い踏み後が薄い。
増水で道が消えて入る人が少なくなって更に薄くなった道を、そのままにしている感じだ。
だが所々に石仏が建っていて遍路道の風情は漂わせている。

 低い山なので迷ってもどうと言う事はないが、崩壊場所が気になる。
もう大分下ってしまったので、ここから弥谷寺へ引き返すのは堪らないな、など考えていると、やっと工事場所に出た。
ここが崩壊箇所なのか新しい堰堤を作っている。工事はやっていなかったので堰堤横の道を下った。
ちょっと急だったが別にどうと云う事はない。堰堤の下に着くとそこには舗装されている農道があった。
やはりこの堰堤のための通行止めの立札だったと合点がいった。がなんとなく釈然としない。
私のように確認した者は通れて、立て札を素直に信じた人は通れないなんてフェアーじゃない。

 海岸寺で納経を済ませてから奥の院にもお参りに行く。その前に庭園から見る海はと眺めたが・・・・・・
マー人により色々感想はあるでしょう。しかし寺の風情は良く、これなら68番と69番を纏めて一つにして、山越えの道を
遍路道にして、ここ海岸時を札所にした方が自然だと感じた。

弘法大師も自分の関係した寺ばかりを札所にするのを遠慮したのかな。
そんなことはないか-------。

 海岸寺で案内された部屋は40畳以上もあり、いかにもお寺の中と言った感じの古い大きな部屋だった。
夜は寒いかなと思ったが部屋の隅に布団が何組か重ねて置いてある。
寒ければあれを掛ければ大丈夫と、一先ず安心したが、やはりスースーして薄ら寒く感じる。

 今まで宿坊は札所の焼山寺、最御崎寺、岩本寺と泊まったが、番外の宿坊はここ海岸時が初めてだ。
そう云えば室戸の番外寺に泊まったお遍路さんが “あそこの宿坊は酷かった” と言っていたが、やはり番外だと
遍路の泊る人数も少なく経営が大変なのだろうか。

 朝飯の時間を確認すると、なんと驚いた返事が返ってきた。 「うちは素泊まりです」
エーまさか! 夕飯も朝飯の支度もしていない。どうしよう。
 「駅の前にお店が2軒あります」 と聞いて一安心。早速買出しに出かけた。

 JR海岸寺駅は寺の少し前にあり、店も確かに2軒ある。しかし駅前の店と聞いて感じたイメージと大分違う。
一軒は総菜屋らしいが店じまいの支度をしていて、売残りがほんのわずかしかない。

 「パンなら隣の店にあるよ」 と教えてくれたので隣の食料品店に入る。
パンはあることはあった。しかしどれもが賞味期限切れで買う気にはなれない。
それでも入った以上は何か買わなければと仕方なく賞味期限切れのパンを2個買った。

隣の総菜屋に戻り残り物のお握りや、そのまま食べられそうな物を買う。
あわせて450円これが今晩の夕食と明日の朝食かと思うと少々情けない。

 宿坊に戻るとグループの客が来たので部屋を替わって欲しいと更に古い部屋に案内される。
お茶も無く寒々しい夕食を一人食べる。
予約の時に一言 「食事は無い」 と言ってくれればと不満を感じながら。

夜になり若い人が相部屋だといって入って来た。
オートバイで観光地巡りをしている人で、食事は済ませてきたと言う。
その人はここがユースホステルで食事が無いことは知っていた。

次にお遍路さんが来た。
この人は私と同じで素泊まりとは思っていなかったので、夕食は昼の残りを食べていた。

そうそう料金のことも書かなければ片手落ちだ。素泊まりの料金はなんと2600円。
この料金ではこの程度の設備や対応で仕方がない。いやそれでも安いくらいだ。
これが予約のとき素泊まりと分かっていれば最高だったのに。

翌朝のことも少し書こう。
早出の癖がついてしまったのか、三人の中で一番早い出発となった。
朝飯は昨日買った残り物を廊下で食べ始めたのだが、もう一人のお遍路さんのことが気にかかる。
何も食べないのでは腹が減るだろう。しかしこんな物を半分渡しても気を悪くはしないだろうか。
迷ったが、結局半分残して渡すことにする。
ご飯が少しとコロッケが半分 「いやなら捨てて下さい」 と言って手渡した。

自己満足かもしれないが、これも遍路試験の成果なのかもしれない。

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