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Channel: はぐれ遍路のひとりごと
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四国遍路2日目

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                             12番 焼山寺

                    遍路転がし(2日目)(2110/3/14)
 宿(7:10)→藤井寺(11)→焼山寺(12)→(14:30)                21.6km

 今日はその名も恐ろしい 「遍路転がし」 を通らなければならい、と言うのに朝から雨。
気分も乗らず出発したのだが、ゴアテックの合羽に菅笠が快調で雨が苦にならない。
頭に合羽の頭巾を被るだけだと顔が直接雨に当たり濡れてしまうが、頭巾をやめて菅笠を被ると
雨が掛からず視界良好だ。
ただ昼飯などで店に入るとき笠を外してザックを降ろし、更に合羽を脱がなければならない。
これが案外面倒で、またその置き場にも困ってしまう。

小さなスパーで、どこで合羽を脱ごうかキョロキョロしていると店の人が
 「合羽のままでいいよ」 と言ってくれたので菅笠だけを取って入った。
しかし濡れた合羽が商品に触らないか気になって仕方がない。
これからの雨の日の買い物は庇が出ていてカッパの置ける店で買うようにしよう。

 宿坊を出てから市場町、川島町、鴨島町、美郷町、神山町等の道路標識を見た。
遍路の細かい地図で現在地はなんと分かっても、今徳島県の何処の辺りを歩いているのか皆目見当が
付かない。諺の 「木を見て森を見ず」 の類だろうが、四国全図の地図があればもっと四国の地理を
理解しただろうと反省する。

途中吉野川の沈下橋を渡った。徒歩では始めての経験で車道を歩いていたら、前から車が来た。
仕方ないので低く平らな欄干?の上に避けたがこれでいいのかな?
車とすれ違うとき菅笠が持ち上がるようで少々怖かった。

前に沈下橋を歩いているお遍路さんの写真を見て感動したが、いま自分がそこを歩いている。
 “雰囲気が出ているので誰か写真を撮っているかな” と辺りを見回したが当然誰もいない。
仕方がない 自分でその雰囲気を残しておこうと、文字を五、七、五に並べただけの
 「笠ゆらし 遍路が歩く 沈下橋」 を作成。

 11番藤井寺からいよいよ遍路転がしだ。
道は山道に変わったがよく整備されていて登りもそれほど急ではない。初級のハイキングコース
程度だろう。ある本にここで道に迷ったと書いてあったが山道の一本道。
分かれ道には遍路札が何枚もぶら下がり迷う心配はない。

 柳水庵に着いた。柳水庵の評判は色々読んだが今日は留守のようで雨戸が閉まっている。
軒先に若いお遍路が独り休憩していた。今は遍路の季節と言うのに藤井寺の境内以外でお遍路さんに
会ったのはこの時だけだった。こんなに遍路が少なくては柳水庵もやっていけないのか? 
それとも老夫婦だけだと書いてあったが体調が悪くて麓に下りたのか。それにしても残念だった。

一本杉庵では遍路転がしの一端を見た思いがした。
3月も半ばなのに大樽の水が厚く凍っている。手で叩いても割れない。この辺りの標高は740m。
冬ならきっと雪も積もり遍路も難渋することだろう。

軽い軽いと遍路転がしを甘く感じていたが、最後にしっぺ返しを食った。
一本杉を下りて人家が見えてきたので、焼山寺はもう直ぐだと思ったのに寺が見当たらない。
遍路道は集落を通り過ぎ、また山道になり勾配も急になる。
一度弛んだ気持ちは中々元に戻らず、結局鞍部の部落から次の山の頂近くにある焼山寺までの
2km余が今日一番の難所になった。

焼山寺の宿坊は到着順で相部屋になるらしい。私の相方は柳水庵で休憩していた青年だった。
彼は基本的には宿に泊まり、宿が無い所は野宿すると言って、大きなザックに簡易テントや寝袋、
炊事道具も持ってきていた。しかし荷物が重すぎて、ここまで3泊もしており、しかも毎晩荷物を家に
送り返していると言う。今日もテントとガイドブックを送り返すと言っていた。
出身が埼玉県だと言うので秩父34ヶ所の事を聞いたが、余り知らないと言う。
彼のような人こそ秩父で訓練をしていれば、こんな無駄な苦労をしないで済むものにと感じた。

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