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中里・滝ノ谷:ハイキングコース調査

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歩行記録                                                           H29-8-6(金)
歩行時間:4時間35分   休憩時間:1時間50分   延時間:6時間25分
出発時刻:8時30分     到着時刻:14時55分
歩  数: 30、915歩(推定距離21.95km)    GPS距離20.9km
行程表
 ゆらく 0:15> 陶芸センタ 0:35> 高尾山分岐 0:40> 山の市 0:45> 普門寺 0:35> 西向地蔵 0:50> 清水寺
 0:55> 藤枝駅踏切

                           中山・滝ノ谷ハイキングコース概略図
    
  今回もまた “安近短” の藤枝ハイキングコース 「中里・滝ノ谷コース」 の調査です。
このコースは日帰り温泉ゆらくを出発地にして、山越えの農道を滝ノ谷集落に行き、後は滝ノ谷川を中山部落まで下る、前長
6km程度で舗装道路のコースです。なのになぜか難易度は “中級” に認定されている不思議なコースでもあります。
中山からは清水寺のサカキカズラの状態を確認するため、清水寺の峠越えをして藤枝駅に戻る予定ですが、距離は20km程度
と短いので3時前には藤枝駅に戻れるでしょう。

          
                    日帰り温泉ゆらく                               路傍の石仏

  ゆらくは、ここまでバスで来たり、ゆらくからバスに乗ったり、またはその前を歩いたりと何度もここは通っているが、まだ温泉には
入った事がない。お世話になっているのだから一度は入ってみたいが、山歩きの前後ではそんな気になる事はない。
かと言って、この温泉のためだけで態々入りに来るほどの温泉とも思っていないので、いつまで経っても入る事はなさそうです。

  瀬戸川沿いに蔵田に向かう県道32号線は、古い石仏が沢山あります。ハイキングコースの出発点に指定されている玉田橋にも
丸彫りのお地蔵さんが安置されているが、頭部は丸い石を置いてあるだけで顔の表情はない。首の所がセメントで固めてあるので、
首が無くなったため丸い石を置いたのかもしれない。

 
               ビク石(石谷山)                                   高尾山

  玉田橋を渡った所で県道と別れ、藤枝市の陶芸センターへの農道に入る。
歩き出した時は雨がポツポツしていたが、それも今は止んで曇り空になっている。それは有難いのだが、農道の日陰に入った途端に
小虫の攻撃が始まった。
音を立てて攻撃してくる蚊だけではなく、顔の周りに纏わりつく小虫やアブのような大型の虫もいる。
早速タオルを取り出し、振り回しながら歩く小虫対策を始める。
しかし私の学習能力の無さにはあきれてしまう。この時期低山を歩けば小虫や蜘蛛の巣攻撃は必死なのに何の準備もしない。
蜘蛛の巣はともかく、小虫なら防虫スプレーを掛ければ効果が有るだろうと思っているのに、それさえしないのだから。
確かに家に戻れば小虫の事など忘れてしまうが、心の奥に “勿体ない” というケチ根性もあるからでもある。

  しかし農道が高度を上げ景色も見える辺りに来ると事情は一変した。出発時には雲っていた空は一転青空になっていて、
強烈な日差しが老体に襲いかかり、早くも汗まみれの状態になってしまった。
南東側に見える二つのピークの左側はビク石だろうか? 自信はない。
一方北の正面に見える山は高尾山かな? 以前は高尾山の肩の辺りにNTTの鉄塔が見えていたので判別できたが、鉄塔が撤去
された今は自信が無くなってしまう。

 
               高尾山分岐                                   コマツナギ(駒繋)

  農道が分岐していて、右に登る農道は高尾山へ行く道で、少し先には富士山も見える場所もある。
滝ノ谷への道は左に下る道だが、ここが最高点ではなくまだ軽い上りは残されている。

  地面を這うようにし伸びた茎から、花穂が立ち上がって咲くこの花は、農道脇なのでよく見かける花です。名前を調べるとマメ科の
て 「コマツナギ」に 似ているが自信はありません。
名前の由来は 「馬を繋ぐほど茎が丈夫なため“駒繋” となった。」 そうです。
しかしどう見てもそれほど太い茎ではないので、花が違うかもしれません。


    左奥に高草山                                                     右端は烏帽子形山

  分岐部分がこのコース一番の展望地です。しかしこれでコースのメインが終りでとは余りにもあっけなさすぎだ。
せめとこの分岐から高尾山に行き、蔵田へ下るか、もしくは笠張山を通って滝ノ谷に下るコースは考えなかったのだろうか。
私がコース設定者なら多分そんなコースにしただろう。

 
                巨石のある四阿                               モミジの広場

  巨石と四阿や駐車場のある場所に出た。前回はハイキングコースを忠実に辿り、面白味の無い農道を下ったが、今日は巨石から
駐車場に入り込んでみた。多分山の市に行く遊歩道があるのではないかと判断して・・・・
ピンポン! 有りました、有りました。駐車場の隅には階段が設けられていて立派な橋に続くが道が延びています。
橋からはモミジが植栽された広場が見えていたが、案内板には広場は “モミジの広場” で、橋は “展望橋” となっていた。

 
            モミジの広場のお地蔵さん                          モミジの広場お地蔵さん

  斜面の付根には新しいお地蔵さんが並んでいたが、ここは不動峡なのだから不動明王の方が合っているのでは・・・・
イエイエ怖いお不動山より、優し童地蔵の方がこの場所には似合っているようです。

 
            モミジの広場の石の彫刻                           山の市の石の彫刻

  石の彫刻と云うと何故か自然石を切断した物が多いが、審美感の乏しい私にはその意味を理解することができない。
写真以外にも、四阿の横に巨石を切断した石や、広場にはかすがいを幾つも打ち込んだ石もあったが、何を表しているは不明だった。

 
               山の市横の吊橋                                    山の市

  モミジ広場の先には吊橋があり、それを渡ればもう山の市だった。
これなら農道を下るより断然近道で変化もあり、こちらを歩いた方が断然面白い。何故ハイキングコースをこっちにしないだろう。と、
すぐ疑問が湧いてくる。

  山の市は相変わらず閉まっています。

 
                ヤマユリ                                    川遊び

  不動峡の道は何度も紹介しているの今回は省略です。
何せここを歩くハイキングコースは、菩提山や高尾山、笠張山そして今回の中里・滝ノ谷コースと4コースで指定されている。
そのうち笠張山コースでは、行きも返りも同じこの道を歩くようになっている。
いくら不動峡を広めたいと言ってもこれでは飽きてしまいます。私なら・・・・・ また始まった。こんな話も飽きてしまうので省略します。

          
            普門寺の参道                               普門寺本堂

  ハイキングコースゴールの中山バス停手前でこのまま清水寺に行くなら、その前にまだ行った事のない花倉城を舞台にした
 「花倉の乱」 の主人公 “玄広 恵探(げんこう えたん)” が自害した普門寺に寄って行く気になった。
普門寺の正確な場所は分からないが何とかなるだろうと滝沢バス停の所を左折して初めての道に入った。
だが案ずるより産むが易しで簡単に普門寺の参道に着く事ができた。

  何となく趣ある参道で期待は高まったが、上った境内の先に建つ本堂や鐘楼は新しく趣は感じられなかった。

          
              無縁塔                                  石仏群

  案内板が無いのでそれらしき場所に行き玄広恵探の墓を探すが分からない。あるのは苔むした石仏や無縫塔だけで、例えこの
中の一つがそうであってもとても分からない。
諦めてお寺さんに聞こうと庫裡の方に行ったが、朱印を受けるのではないので声は掛けずらい。
仕方ないので次回に納経帳を持って再訪することにする。

          
            左が烏帽子形山                     右は竹本山            今川良真菩提寺案内

  参道から、玄広恵探が花倉城から逃げた時に通ったであろう烏帽子形山が見える筈だが、その山頂が分からない。
私の当てにならない妄想的歴史観は、
 今川義元に花倉城を攻められ、最早これまでと城を捨てた玄広恵探は、城から尾根伝いに繋がる烏帽子形山の中腹に出た。
そこからは祖父の居城のある遠江の高天神城を目指して滝沢方面の駆け下りただろう。
だが惠探が麓に下ると、味方のいる遠江へ向かう滝沢方面は、既に義元軍に封鎖されていて通ることができない。
止む無く北の山に逃げ込んで、小さな普門庵に立った恵探は、自分が逃げてきた山を眺め、この山を越してきたのに駄目ならと、
全てを諦めて自刃してしまった。

  そんな訳で是非とも烏帽子形山の正確な位置を知りたくなり、参道の下の道で誰か居ないかと辺りを見回すと、軽トラの横で
作業をしていた男性がいたので、早速烏帽子形山を聞くと
 「ほらあの左の山が烏帽子形山で、右が地元じゃぁ竹本山と呼んでる山だよ。」 と簡単に教えてくれた。
ならば花倉城跡や三角山の事も知っているかもしれないと聞いてみると
 「城(じょう)山は烏帽子形山の後ろで見えないけど尾根で繋がっているよ。三角山は聞いた事はないが多分烏帽子形山を下った
所の後ろに見える尖った山がそうじゃないかな、あそこを行けば助宗に下れるから。」
何でも知っているので嬉しくなり普門寺の玄広恵探の墓の事も聞いてみた。
 「時々この寺に恵探の墓を見に来る人がいるが時代が違うよ。この寺は江戸時代に出来た寺で花倉の乱は戦国時代の事だから
墓なんてあるわけはない。恵探の墓はもっと北の、藤ノ瀬会館から奥に入った所に大東亜戦争の忠霊塔と一緒にあるよ。」
 「史跡として認定して欲しくて市に申請したら “忠霊塔があると認定できない” と断られてしまった。一時は忠霊塔撤去の話も出たが、
忠霊塔は本郷(地元の集落)だけの戦死者だけでなく、周りの部落の人も祀ってあるので駄目だった。」

  更に話は恵探の花倉城からの脱出路になると
 「城から烏帽子形山に出てから山頂に行って、尾根伝いに本郷に下った。」 と私とは少し違っていた。
 「あんたみたいな歴史に興味がある人らと脱出路を調べたりすれば面白いだけど、最近の若いしは全然興味が無いからなぁ。」
そんな話を30分近くもしていたけど時間も気になってきたのでようやく別れました。
そう云えば以前烏帽子形山に行ったとき、山頂から北に下る斜面に古い階段を見つけ、何処に行くのか興味を覚えたが
 「10数年前、地元紺屋の衆が山頂から石仏の方に下る道を整備した。」 と言っていたので、あの階段は石仏隧道に通じている
のかもしれません。
貴重な話をありがとうございました。また長い時間作業の手を停めさせてしまい申し訳ありませんでした。

  県道の入口に 「臨済宗普門禅寺 今川良真菩提寺」 の案内が立っていた。今川良真?聞いたことがないが誰だろう?
普門寺の境内では何の案内板も目にしなかったが気になる。家に戻り調べてみるとウイキペディアには
 「玄広 恵探(げんこう えたん)は、今川良真(ながさね)を名乗ったとする説もある。」 と載っていた。
ナニー! 玄広恵探が今川良真だって。初めて知った。じゃぁあの人の話は何だったのだ。
さらに調べたが、多くは “瀬戸谷の普門寺(庵)で自刃” としたものが多かったが、これではどちらで自刃したか分からない。
しかし地元の人のHPの “瀬戸川流域の歴史” には
 「今川良真の墓 藤枝市瀬戸谷・藤枝市立藤の瀬会館の東,亀ヶ谷沢にある。「花蔵の乱」の最終地点である。
今川義元に滅ぼされた今川良真が自刃したところである。寛永8年普門寺を再興した当時の住職により碑が立てられた。」
とあり写真もアップされていた。
どうやらこれが正解のようだが、普門寺が菩提寺であることも間違いない。しかし紛らわしい事も確かだ。

          
                      サカキカズラ(榊葛)                              サカキカズラの実

  フゥー暑い! 汗だくになり昼飯は瀬戸川の堤防の石垣に腰かけて上半身裸で食べた。
帰りは清水寺のサカキカズラを確認するする予定だが、その前に元気があれば烏帽子山から三角山の山道を歩こうと思っていた。
だが、自分の考えていた惠探の脱出路が地元の人の説と違っていたので、その気は無くなってしまった。
お陰で照り返しの強い車道歩きをするはめに。ウーン!暑い!

  助宗から清水越えの道は本来ならたいした事はないのだが今日は疲れる。何とか稜線近くの日陰に入りホッとする。
清水寺は近づいたが、今日もサカキカズラの花は見る事ができなと思う。前回は桜の咲く4月に行ったが、蕾らしき物はあったが、
まだ固く小さかった。それから4ヶ月近く過ぎてしまったので、すでに花は無理だろうと思っていた。
とは言え若干の期待をもって葉の中を覗き込むと、花どころか既に竹とんぼ状の実が幾つも付いていた。ガッカリ。

  清水寺には寄る気も起きず、そのまま農道を下り、水の流れている不動尊の前でしゃがみ込んで休憩をする。ウーン!疲れた。

 
             総合運動場の照明設備                           サルスベリ(百日紅)

  清水寺からは道も太くなったがまだ日陰の道は続いた。だがサッカー場の照明塔が見えた辺りからは、また陽射しの中を歩く事に
なる。それでも運動場の駐車場に、こんもりした木を覆うようにピンクと赤い花が咲いているのを見つけるとまだ近づく余裕もあった。
名札は無かったが木肌と花の付き方からサルスベリだと分かった。
ピンクと赤の花は1本の木が咲き分けているのではなく、2本の木が植えられていたが遠くから見ると咲き分けているように見えた。
サルスベリにしては見ごたえのある木だった。

  運動場から瀬戸川横の勝草橋まで一気に歩く元気は無く、途中にある金吹橋の横の延命地蔵尊前でまた座り込んでの休憩をした。
ここからバスが出ているが、まだ18k程度しか歩いてないし、暑いけどまだまだ大丈夫だ。

  桜の咲いていない時は長く感じる瀬戸川の桜並木を、ようよう歩いて勝草公園に到着。またもやベンチに座り込んで休憩する。
ここからバスは何本も出ているが、まだバスに乗る気は起きていない。

  勝草橋から藤枝駅には歩行者専用道路のある旧田沼街道を歩く。本当に疲れていればバスに乗ったり、少しは近道になる車道を
歩くが、今日はそんな気も起きていない。それでも帰りに烏帽子形山経由をしなくて良かったと自分の判断に感謝する。
ようやく藤枝駅横の踏切に到着。駅までは後500mもないが、生憎踏切の警報が鳴りだした。仕方ない柵に座って待つことにしよう。

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