歩行記録 H29-7-23(日)
歩行時間:3時間45分 休憩時間:0時間45分 延時間:4時間30分
出発時刻:10時30分 到着時刻:15時00分
歩 数: 15、307歩(推定距離10.86km) GPS距離10.1km
行程表
坂下地蔵堂 0:15> 宇津ノ谷峠 0:25> 蔦の細道峠 1:10> 444m峰 0:30> 鞍掛峠 1:25> 焼津駅
宇津ノ谷峠から蔦の細道峠概略図
どうせこれから歩くなら宇津ノ谷峠と蔦の細道峠の間を歩いて、その差を実感するのも面白そうだ。
それから先はその時考えるとして、兎も角家に4時までに戻りTV桟敷で千秋楽を楽しむ事ができるようにする。
と云う事は焼津駅には3時頃には着かなければならない。マーそんな気持ちで坂下地蔵堂を出発しました。
蔦の細道との分岐 髭題目
地蔵堂を出ると道は分岐していて、直進する道は蔦の細道で左に上る道が宇津ノ谷峠に向かう旧東海道です。
ここの分岐が国の史跡指定の開始点になるのだが、何とも中途半端な気がする。
指定の根拠は 「交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡」 となっているが、説明文は
「歴史の道整備事業によって地蔵堂跡等を明らかにした。崩落土の除去等をおこない、多くの人々がハイキングを楽しめる
環境を整えた。近世東海道のうち、静岡市と藤枝市との境にある峠越えの道筋を、関連遺構とともに指定する。」 となっている。
ならば宇津ノ谷峠越えの旧東海道だけでなく、蔦の細道や明治、大正トンネルも史跡に加えた方が、歴史街道の変換が良く分
かると思うのだが。史跡の見直しは無いのだろうか。
旧東海道の道幅は広く、これなら大名行列も通れそうな感じがしたが、それもそのはずで道脇にある案内板にはこの道の事を
「旧東海道(別名:大名街道」 と紹介していた。内容を読むと道幅の事には触れてなく、読んだか限りでは東海道なら何処でも
“大名街道” になってしまう感じだった。
しかしこの案内板に書いてある事は私もうなづけることが多く、例えば峠道の開通時期や十団子による鬼退治の事は
「鎌倉幕府は部隊の行進ができない旧道(蔦の細道)を廃し、新道を開いたのが宇津ノ谷峠道である。上り下り八丁(約870m)の
険路であった。ここで鬼退治にからむ十団子の伝説の生まれたのも、難所であった証拠であろう。」 と書いてある。
宇津ノ谷峠を紹介するネットの多くは、江戸時代に開通したとしているものが多いが、私は疑問を感じていた。
この案内板にある様に鎌倉時代に宇津ノ谷峠があったかは分からないが、少なくとも今川家が駿府に常駐する頃には有ったと
思われる。今川の部隊は駿府から何度も遠江に遠征に出かけて、その度にここを山越えしていた。
今川の武将の中には地元岡部の岡部氏もいたのに、態々標高も高く傾斜も強い蔦の細道を行進したとは思えない。
地元の岡部氏なら近くに住む猟師や木こりから山の状態を聞く事ができ、険路の蔦の細道の近くに、標高も低く傾斜も緩い鞍部が
ある事を掴んでいたと思う。いやそれより前から地元坂下(岡部)と逆川(静岡)住民は昔から宇津ノ谷峠の道を歩いていたと思う。
もっと言うなら本当に蔦の細道があったのか、私は疑問に感じている。
なんて言い切ったら、江戸時に “つたの細道” の存在を明らかにした 「蘿径記(らけいき)」 という石碑が建っていた。
現在その石碑は坂下地蔵尊境内にあるが、浅学の私に難し過ぎて読む事が出来ない。
蘿径記は江戸時代の駿府代官が宇津谷の古道を愛し、その消滅を恐れて建てた石碑という事です。
そうなると蔦の細道はあった事になるので、私の妄想的歴史観は成り立たないことになってしまう。しかしそれでも納得できず、蔦の
細道には石仏も無いが、蔦の細道より更に古い日本坂峠には、それらしき石仏や史跡もある。と反論が頭に浮かぶのでした。
排煙設備との分岐 宇津ノ谷峠の新しい階段
太かった東海道が峠の下に来ると突然細くなる。写真右の舗装路は国道1号線の排煙設備に行く道で、峠には柵の所を行きます。
宇津ノ谷峠には前回も書いたが新しい階段ができていて、「満観峰➜」 の標識も付いていた。
確かにここを尾根伝いに行けば満観峰に行けるし、途中に危ない所は無い。しかしこんな標識と階段を見た初心者がその気になって
入り込んだらどうだろう。きっとハイキングコースの満観峰を想像していた人は、アップダウン多さや距離の長いことに驚くだろう。
矢張りこのような場所の標識は、ハイキングコースから奥まった見えない所に付けるべきだと思う。
排煙装置 蛇がいないといいのだが
なんだかんだと言っても階段があったお陰で難なく排煙設備に行く舗装路に出る事ができた。でも初めての人がここに立ったら
早速悩むでしょう。舗装路を進むのか法面にある階段を進むのか。
マーどちらからでも行けるが最近の私は専ら舗装路歩いている。理由は勿論楽だからです。
蔦の細道への道は排煙設備の奥の西側から入り込むのだが、雑草が生茂っていて中々入りにくい。蛇がいませんようにと念じ
ながら草を掻き分けて進みます。
羊歯の道 最初のピーク
雑草の生茂っていたの排煙設備の場所だけで、林の中に入れば羊歯の間の道になり気持ちよく歩く事ができる。
最初のピークは丸みを持った穏やかな傾斜で、名付けるならここを 「宇津の山」 と名付けたくなる。
ここで方向を東に変えるのだが、直進する方向には 「注意 これより先行き止まり。下の道路には行けません。」 となっています。
このピークのの標高は227mで峠から62m上がりました。
いい道もあるが 蔦の細道の峠が見えた
ピークからの下りは明瞭な道と踏み跡の薄い場所があるが、左の斜面側は下らないようにします。
二つ目のピークは下りだすと放置された畑があり、その横は雑草や低木が生茂り、左に巻く時があるが必ず右に戻ってください。
そうして宇津ノ谷峠から20分余も歩けば蔦の細道に到着です。少し大げさに書いたけどマー普通の道です。
宇津ノ谷峠から蔦の細道までの標高を比べました。
標 高 標高差
宇津ノ谷峠 165m 0m
排煙設備 215m +50m
ピーク1 227m +12m
鞍 部 201m -26m
ピ-ク2 231m +30m
蔦の細道 195m -36m 距離はGPSでおおよそ800mでした。
こんな事を書いて何を言いたいのかって?
ようは、たったこれしか離れていない場所に、楽に山越えできる鞍部があるのだから、そこを利用しないわけはない。
最初の官道を造るのに必ず地元の住民の協力を得た筈です。それなら蔦の細道が官道になるわけはない。
と、まだ自分の妄想的歴史観に拘っている私です。
さてこれで一応目的は果たした。昼飯も食べ終わり時刻は11時50分。このまま蔦の細道を坂下に下りバスで帰るか。
それとも静岡側に下り安倍川駅まで歩くか等と考えているとき、どうせなら最初の東海道の日本坂に行ったらと思い出した。
ここから満観峰まで私の足で約2時間弱で、日本坂までなら3時間も掛からず行けそうだが、それでも日本坂峠には2時半
頃にはなってしまう。そこから花沢へ下り焼津駅までを1時間半としても、焼津駅には4時着になってしまう。
焼津駅にはせめて3時頃には着きたいと思っているのでこれでは駄目だ。問題外だ。
なら満観峰まで行って鞍掛峠から焼津駅はどうだろう。これなら満観峰から焼津駅までを1時間半で歩けばなんとかなる。
と、云うことで蔦の細道峠から最初のピークを目指して歩き出した。
蔦の細道から鞍掛峠の概略図
(標高は地理院Webにて測定)
蔦の細道から444m峰の間にある二つのピークは中々上りがいがあり、特に一つ目と二つ目のピークの上りはきつく感じる。
峠から第1ピークまでの標高差は約107mで、次のコルから第2ピークまでは83mある。数値だけ見れば第1ピークの方が
大変に感じるが、中々どうして私には2番目の上りの方がきつく感じる。
第2ピークから444m峰までは標高差112mもあるが、この間は距離も長いため疲れはするが傾斜は左程でもない。
444m峰から満観峰は、満観峰300m下の分岐までは歩きやすい下りで快調に歩ける。ただ最後の分岐から満観峰は傾斜は
強いものの、距離は短く山頂が近い事もあり左程の事はありません。
満観峰からの帰りは、分岐までは傾斜は強いので注意して歩くが、分岐から鞍掛峠までは標高差が115mあるものの歩き
やすい下り坂です。
第1ピークへの上り キノコ キノコ
歩き出すとじきに急な上りが始まったが思ったより快調に歩けた。加齢による脚力の低下と真夏の暑さの中なので心配していたが
これなら静焼アルプス縦走の時より快調そうだ。
もう生え始めたキノコを写す余裕もあり、放置茶畑のある第1ピークに13分で到着した。
第1ピークから急な傾斜を下れば直ぐ最初の鞍部に着く。
上りだしに調子が良いと感じたのが良かったのか、二つ目のピークも休まず上る事ができた。
この快調さは今月になってから再開した、大井川の河川敷歩きがもたらしたものだろうか。先月までは月に3・4回の低山歩き以外は
家に閉じこもり、その毎日の歩数は300歩から500歩に過ぎなかった。
これには流石の私も驚き、せめて成人男子の平均歩数である7千歩は歩かなければと河川敷歩きを再開したのです。
その効果が早速出た? まさかなぁー。でも調子が良いのはいいことだ。
鞍部近くの大木 鞍部の木の根の道 ここにもキノコが
二つ目の鞍部の近くには名前は分からないが大木があったり、木の根が張めぐされたネットの上を歩いたりする。
鞍部にはこのコース唯一岩もあり、他とは違った雰囲気を感じさせます。
これがあればピークは近い キノコ?
木の根の鞍部を歩きだした当初は傾斜はきつい物の、すぐに道をゆるやかに登る道になる。
ダラダラと上っていくと道端にモノラックの残骸があり、その手前には農業用のケーブルの架線もある。(頭を引っ掻けないように)
ここまで来ればピークは近いが周りには茶畑はない。これはこの先のピ-クの茶畑の収穫物を、ここまでモノラックで運び降ろし、
ここからはケーブルを利用して麓の逆川集落まで降ろしていた当時の残骸です。
放置茶畑 唯一草が生えていた道
前方が明るくなり高草山から北のピークへ続く尾根が見えてきます。以前はもっとスッキリ見えていたのですが放置茶畑や雑木が
延びて見えにくくなってしまいました。さっきのモノラックはこの茶畑まで続いていたのでしょう。
地理院の地図で見ればこの放置茶畑が426m峰だと思われるが、この稜線は静岡市と藤枝市の境界になっていて、尾根より西は
藤枝市になっている。なのでこの茶畑は藤枝市で、ケ-ブルの先は静岡市になる。
私はこの尾根の下の廻沢集落の住民は、きつい傾斜の上まで茶畑やミカン畑を造り勤勉な人たちだと思っていた。なのにここでは
静岡の逆川の人に越境されている。なら逆川の人たちの方が勤勉なのだろうか?
余裕があるのかどうでもいいことを考えながら歩く。
放置茶畑の横の道は日が当たるので雑草が延びていた。しかし蔦の細道から満観峰までの間でこんな場所はここだけでした。
このコースは市のハイキングコースンは認定されいないが、ここに公の標識さえ立てればすぐにハイキングコースになりそうです。
静けさだけが取り柄のこの道が賑やかになってしまうのは残念な気がするが、多くの人に歩いてもらいたい気もあります。
ギボウシ(擬宝珠) ギボウシ(擬宝珠)
444m峰の手前にギボウシ(擬宝珠)が咲いていた。この花は大崩山塊でもよく見かけるが、いつも見るのは葉っぱだけで
花を見るのは久し振りだ。名前のギボウシは橋の欄干にある玉ねぎを逆さにしたような物(擬宝珠)と、この花の蕾が似ている
ことからギボウシになったそうです。
左の写真の一番上にある蕾を上に立てたら擬宝珠に似ていますか。
444m峰 並木道
快調さを感じながら444m峰に着いたのは12時57分で、蔦の細道から1時間7分で歩いたことになる。多分ここ2・3年で
一番の速さだったろうと感じた。この気分的快調さは焼津駅まで続き、予想していたより早く焼津駅に着いたと思っていた。
しかしです。家に帰り平成25年からの静焼アルプス縦走時の蔦の細道・444m峰間のデータを調べてみると、62分、65分、
60分、70分、67分と毎年余り代わり映えはしない値でした。
今回快調だと思った67分も、昨年よりは若干良い程度で大した違いなかった。それに今年は計測開始点の蔦の細道の前には
たったの6.7kmしか歩いていない。
それが静焼アルプスでは、アップダウンのきつい道を倍の13kmも歩いていた。これでは3分速くなったと喜ぶわけにはいかない。
でもマァー444m峰に着いた時は満足感で一杯で、満観峰に向かう足取りも軽かった。
満観峰・鞍掛峠分岐 鞍掛峠
満観峰・鞍掛峠分岐に着いたのが13時15分。ここから満観峰の往復は休憩を入れても約30分で行ってこれるが、更にその先の
花沢の里までが30分は掛かってしまう。となると焼津駅までを45分で歩かなければならない。
これではとても無理なので即決満観峰は止めて、そのまま鞍掛峠を目指して下りだした。
鞍掛峠に13時31分到着。いいぞ! この調子だと思いながらも花沢の里から焼津駅までの長さを思うと自信は揺らぐ。
アラー!通行止だ 今日唯一の景色
鞍掛峠から山道を下りだし最初の農道に出合って考え方を変えた。このまま花沢の里へ下りやきつ辺の道を行くと、距離は長くなり
アップダウンも増えてしまう。それなら農道を花沢城跡へ向った方が距離も短くアップダウンもない。
楽になることならすぐ採用で山道と別れ農道を歩き出した。
嘘だぁー! 農道に通行止の看板が出ていた。ここの回り道を行ったら急な上りが続き酷い目にあう。それは嫌なのでそのまま
農道を行くことにする。今日は日曜日で多分工事もやっていないだろうし、工事現場では隅を歩けばなんとかなるだろう。
しかし前回の花倉城跡の通行止は、橋が完全に無く渡ることができなかったが、ここは大丈夫だろうか。
工事は崖側の法面の工事で、山側は車も通れるくらいの巾があった。工事をやっているときは仕方ないとしても、今日のように
工事が休みの時は 「本日規制なし」 と貼紙してもらいたいな。
ヤマユリ キノコ
農道法面の崖の中腹にヤマユリが咲いていた。ヤマユリは以前はもっと見たような気がするが最近は見かけなくなった。
ザイルでも使わなければ採れない場所なので盗掘を免れているのだろうか。否そうではなく私が夏に歩くのが少なくなったのだ。
花沢城跡五差路 瀬戸川
花沢城跡の手前でやきつ辺の道と合流する。今時間は14時8分。3時までにはあと50分程しかない。
普通ならここからはやきつ辺の道を石脇口まで行って焼津駅に向かうのだが、やきつ辺の道はアップダウンんが多く大変だ。
それならここの花沢城跡五差路を下って、国道150線の歩道を歩いた方が速そうだ。国道は直線だから距離も短いだろう。
今回も楽になる話なので即実行して国道150号と新幹線の間の歩道を焼津駅に向かう。
しかしその道は新幹線と車の騒音で喧しいことこの上ない。しかも民家も無いので日陰も無く暑くてたまらなかった。
見る物もない国道の歩道を俯きながら、ただただ歩くのみです。これでは少しぐらい距離が短くなっても辛さは倍増です。
道の選択を誤ったようです。
午前中に歩いた明治から平成にかけての宇津ノ谷トンネルの名前の事を思い出した。
最初に出来た明治トンネルには 「宇津谷隧道」 銘鈑が付いていて、次の大正トンネルもまるっきり同じ 「宇津谷隧道」 だった。
これが昭和トンネルになると 「新宇津之谷隧道」 と “新” と “之” が増えていた。
サーそうなると次にできた平成トンネルの名前はどうなるでしょう? 既に “新” は使ってしまったので再び “新” は使えない。
果たして平成トンネルの名前はどうなったか?
話は変わって東名高速道路の話ですが、5年前に新しい高速道路が開通して、その名前は工事段階では “第2東名” だったが、
開通直前になって “新東名” に変わってしまった。
“新東名” だと、いつの時代か更に高速道路ができた時、 “新々東名” では具合が悪かろう。それなのに何故開通間際になって
“第2東名” が消えたのか不自然さを感じたものでした。
話を元に戻し宇津ノ谷トンネルの名前はと云うと、その答えは “無し” でした。
以前のトンネルには銘鈑があったものの、平成トンネルの上にはなにも付いていません。経費節減で止めたのかとも思いますが
若しかして時の道路公団の幹部は、 「新々宇津之谷隧道」 では格好が悪いし、かと言って今更番号を付与するのも不自然だ。
それならいっその事 “名無しの権平” で行ってしまおうと、頬被りをしてしまったのかな。
そんな例もあるのに東名高速では、またもや 「新」 にしてしまった。懲りない人たちです。
焼津駅には予定時間の3分前の14時57分に到着出来た。北口のベンチ座り休んでいると 「下り 島田行が間もなく入ります。」
と放送が聞こえてきた。ウン! 島田行なら空いている。これを逃してなる物かと、慌てて階段を駆け上がりトイカで改札を通った。
発車ベルは鳴っていたが、タイミング良く車掌と視線が合い何とか乗る事ができた。
何十年ぶりに駅の階段を駆け上ったお陰で、列車内に入っても動悸は治まりません。73歳の年寄りが必死になって走るなんて
みっともないし危ない。とは分かっていたのですが、大相撲の千秋楽を見たい一心でした。
お陰でシャワーも浴びてゆっくりTV桟敷で観戦する事ができました。
歩行時間:3時間45分 休憩時間:0時間45分 延時間:4時間30分
出発時刻:10時30分 到着時刻:15時00分
歩 数: 15、307歩(推定距離10.86km) GPS距離10.1km
行程表
坂下地蔵堂 0:15> 宇津ノ谷峠 0:25> 蔦の細道峠 1:10> 444m峰 0:30> 鞍掛峠 1:25> 焼津駅
宇津ノ谷峠から蔦の細道峠概略図
どうせこれから歩くなら宇津ノ谷峠と蔦の細道峠の間を歩いて、その差を実感するのも面白そうだ。
それから先はその時考えるとして、兎も角家に4時までに戻りTV桟敷で千秋楽を楽しむ事ができるようにする。
と云う事は焼津駅には3時頃には着かなければならない。マーそんな気持ちで坂下地蔵堂を出発しました。
蔦の細道との分岐 髭題目
地蔵堂を出ると道は分岐していて、直進する道は蔦の細道で左に上る道が宇津ノ谷峠に向かう旧東海道です。
ここの分岐が国の史跡指定の開始点になるのだが、何とも中途半端な気がする。
指定の根拠は 「交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡」 となっているが、説明文は
「歴史の道整備事業によって地蔵堂跡等を明らかにした。崩落土の除去等をおこない、多くの人々がハイキングを楽しめる
環境を整えた。近世東海道のうち、静岡市と藤枝市との境にある峠越えの道筋を、関連遺構とともに指定する。」 となっている。
ならば宇津ノ谷峠越えの旧東海道だけでなく、蔦の細道や明治、大正トンネルも史跡に加えた方が、歴史街道の変換が良く分
かると思うのだが。史跡の見直しは無いのだろうか。
旧東海道の道幅は広く、これなら大名行列も通れそうな感じがしたが、それもそのはずで道脇にある案内板にはこの道の事を
「旧東海道(別名:大名街道」 と紹介していた。内容を読むと道幅の事には触れてなく、読んだか限りでは東海道なら何処でも
“大名街道” になってしまう感じだった。
しかしこの案内板に書いてある事は私もうなづけることが多く、例えば峠道の開通時期や十団子による鬼退治の事は
「鎌倉幕府は部隊の行進ができない旧道(蔦の細道)を廃し、新道を開いたのが宇津ノ谷峠道である。上り下り八丁(約870m)の
険路であった。ここで鬼退治にからむ十団子の伝説の生まれたのも、難所であった証拠であろう。」 と書いてある。
宇津ノ谷峠を紹介するネットの多くは、江戸時代に開通したとしているものが多いが、私は疑問を感じていた。
この案内板にある様に鎌倉時代に宇津ノ谷峠があったかは分からないが、少なくとも今川家が駿府に常駐する頃には有ったと
思われる。今川の部隊は駿府から何度も遠江に遠征に出かけて、その度にここを山越えしていた。
今川の武将の中には地元岡部の岡部氏もいたのに、態々標高も高く傾斜も強い蔦の細道を行進したとは思えない。
地元の岡部氏なら近くに住む猟師や木こりから山の状態を聞く事ができ、険路の蔦の細道の近くに、標高も低く傾斜も緩い鞍部が
ある事を掴んでいたと思う。いやそれより前から地元坂下(岡部)と逆川(静岡)住民は昔から宇津ノ谷峠の道を歩いていたと思う。
もっと言うなら本当に蔦の細道があったのか、私は疑問に感じている。
なんて言い切ったら、江戸時に “つたの細道” の存在を明らかにした 「蘿径記(らけいき)」 という石碑が建っていた。
現在その石碑は坂下地蔵尊境内にあるが、浅学の私に難し過ぎて読む事が出来ない。
蘿径記は江戸時代の駿府代官が宇津谷の古道を愛し、その消滅を恐れて建てた石碑という事です。
そうなると蔦の細道はあった事になるので、私の妄想的歴史観は成り立たないことになってしまう。しかしそれでも納得できず、蔦の
細道には石仏も無いが、蔦の細道より更に古い日本坂峠には、それらしき石仏や史跡もある。と反論が頭に浮かぶのでした。
排煙設備との分岐 宇津ノ谷峠の新しい階段
太かった東海道が峠の下に来ると突然細くなる。写真右の舗装路は国道1号線の排煙設備に行く道で、峠には柵の所を行きます。
宇津ノ谷峠には前回も書いたが新しい階段ができていて、「満観峰➜」 の標識も付いていた。
確かにここを尾根伝いに行けば満観峰に行けるし、途中に危ない所は無い。しかしこんな標識と階段を見た初心者がその気になって
入り込んだらどうだろう。きっとハイキングコースの満観峰を想像していた人は、アップダウン多さや距離の長いことに驚くだろう。
矢張りこのような場所の標識は、ハイキングコースから奥まった見えない所に付けるべきだと思う。
排煙装置 蛇がいないといいのだが
なんだかんだと言っても階段があったお陰で難なく排煙設備に行く舗装路に出る事ができた。でも初めての人がここに立ったら
早速悩むでしょう。舗装路を進むのか法面にある階段を進むのか。
マーどちらからでも行けるが最近の私は専ら舗装路歩いている。理由は勿論楽だからです。
蔦の細道への道は排煙設備の奥の西側から入り込むのだが、雑草が生茂っていて中々入りにくい。蛇がいませんようにと念じ
ながら草を掻き分けて進みます。
羊歯の道 最初のピーク
雑草の生茂っていたの排煙設備の場所だけで、林の中に入れば羊歯の間の道になり気持ちよく歩く事ができる。
最初のピークは丸みを持った穏やかな傾斜で、名付けるならここを 「宇津の山」 と名付けたくなる。
ここで方向を東に変えるのだが、直進する方向には 「注意 これより先行き止まり。下の道路には行けません。」 となっています。
このピークのの標高は227mで峠から62m上がりました。
いい道もあるが 蔦の細道の峠が見えた
ピークからの下りは明瞭な道と踏み跡の薄い場所があるが、左の斜面側は下らないようにします。
二つ目のピークは下りだすと放置された畑があり、その横は雑草や低木が生茂り、左に巻く時があるが必ず右に戻ってください。
そうして宇津ノ谷峠から20分余も歩けば蔦の細道に到着です。少し大げさに書いたけどマー普通の道です。
宇津ノ谷峠から蔦の細道までの標高を比べました。
標 高 標高差
宇津ノ谷峠 165m 0m
排煙設備 215m +50m
ピーク1 227m +12m
鞍 部 201m -26m
ピ-ク2 231m +30m
蔦の細道 195m -36m 距離はGPSでおおよそ800mでした。
こんな事を書いて何を言いたいのかって?
ようは、たったこれしか離れていない場所に、楽に山越えできる鞍部があるのだから、そこを利用しないわけはない。
最初の官道を造るのに必ず地元の住民の協力を得た筈です。それなら蔦の細道が官道になるわけはない。
と、まだ自分の妄想的歴史観に拘っている私です。
さてこれで一応目的は果たした。昼飯も食べ終わり時刻は11時50分。このまま蔦の細道を坂下に下りバスで帰るか。
それとも静岡側に下り安倍川駅まで歩くか等と考えているとき、どうせなら最初の東海道の日本坂に行ったらと思い出した。
ここから満観峰まで私の足で約2時間弱で、日本坂までなら3時間も掛からず行けそうだが、それでも日本坂峠には2時半
頃にはなってしまう。そこから花沢へ下り焼津駅までを1時間半としても、焼津駅には4時着になってしまう。
焼津駅にはせめて3時頃には着きたいと思っているのでこれでは駄目だ。問題外だ。
なら満観峰まで行って鞍掛峠から焼津駅はどうだろう。これなら満観峰から焼津駅までを1時間半で歩けばなんとかなる。
と、云うことで蔦の細道峠から最初のピークを目指して歩き出した。
蔦の細道から鞍掛峠の概略図
(標高は地理院Webにて測定)
蔦の細道から444m峰の間にある二つのピークは中々上りがいがあり、特に一つ目と二つ目のピークの上りはきつく感じる。
峠から第1ピークまでの標高差は約107mで、次のコルから第2ピークまでは83mある。数値だけ見れば第1ピークの方が
大変に感じるが、中々どうして私には2番目の上りの方がきつく感じる。
第2ピークから444m峰までは標高差112mもあるが、この間は距離も長いため疲れはするが傾斜は左程でもない。
444m峰から満観峰は、満観峰300m下の分岐までは歩きやすい下りで快調に歩ける。ただ最後の分岐から満観峰は傾斜は
強いものの、距離は短く山頂が近い事もあり左程の事はありません。
満観峰からの帰りは、分岐までは傾斜は強いので注意して歩くが、分岐から鞍掛峠までは標高差が115mあるものの歩き
やすい下り坂です。
第1ピークへの上り キノコ キノコ
歩き出すとじきに急な上りが始まったが思ったより快調に歩けた。加齢による脚力の低下と真夏の暑さの中なので心配していたが
これなら静焼アルプス縦走の時より快調そうだ。
もう生え始めたキノコを写す余裕もあり、放置茶畑のある第1ピークに13分で到着した。
第1ピークから急な傾斜を下れば直ぐ最初の鞍部に着く。
上りだしに調子が良いと感じたのが良かったのか、二つ目のピークも休まず上る事ができた。
この快調さは今月になってから再開した、大井川の河川敷歩きがもたらしたものだろうか。先月までは月に3・4回の低山歩き以外は
家に閉じこもり、その毎日の歩数は300歩から500歩に過ぎなかった。
これには流石の私も驚き、せめて成人男子の平均歩数である7千歩は歩かなければと河川敷歩きを再開したのです。
その効果が早速出た? まさかなぁー。でも調子が良いのはいいことだ。
鞍部近くの大木 鞍部の木の根の道 ここにもキノコが
二つ目の鞍部の近くには名前は分からないが大木があったり、木の根が張めぐされたネットの上を歩いたりする。
鞍部にはこのコース唯一岩もあり、他とは違った雰囲気を感じさせます。
これがあればピークは近い キノコ?
木の根の鞍部を歩きだした当初は傾斜はきつい物の、すぐに道をゆるやかに登る道になる。
ダラダラと上っていくと道端にモノラックの残骸があり、その手前には農業用のケーブルの架線もある。(頭を引っ掻けないように)
ここまで来ればピークは近いが周りには茶畑はない。これはこの先のピ-クの茶畑の収穫物を、ここまでモノラックで運び降ろし、
ここからはケーブルを利用して麓の逆川集落まで降ろしていた当時の残骸です。
放置茶畑 唯一草が生えていた道
前方が明るくなり高草山から北のピークへ続く尾根が見えてきます。以前はもっとスッキリ見えていたのですが放置茶畑や雑木が
延びて見えにくくなってしまいました。さっきのモノラックはこの茶畑まで続いていたのでしょう。
地理院の地図で見ればこの放置茶畑が426m峰だと思われるが、この稜線は静岡市と藤枝市の境界になっていて、尾根より西は
藤枝市になっている。なのでこの茶畑は藤枝市で、ケ-ブルの先は静岡市になる。
私はこの尾根の下の廻沢集落の住民は、きつい傾斜の上まで茶畑やミカン畑を造り勤勉な人たちだと思っていた。なのにここでは
静岡の逆川の人に越境されている。なら逆川の人たちの方が勤勉なのだろうか?
余裕があるのかどうでもいいことを考えながら歩く。
放置茶畑の横の道は日が当たるので雑草が延びていた。しかし蔦の細道から満観峰までの間でこんな場所はここだけでした。
このコースは市のハイキングコースンは認定されいないが、ここに公の標識さえ立てればすぐにハイキングコースになりそうです。
静けさだけが取り柄のこの道が賑やかになってしまうのは残念な気がするが、多くの人に歩いてもらいたい気もあります。
ギボウシ(擬宝珠) ギボウシ(擬宝珠)
444m峰の手前にギボウシ(擬宝珠)が咲いていた。この花は大崩山塊でもよく見かけるが、いつも見るのは葉っぱだけで
花を見るのは久し振りだ。名前のギボウシは橋の欄干にある玉ねぎを逆さにしたような物(擬宝珠)と、この花の蕾が似ている
ことからギボウシになったそうです。
左の写真の一番上にある蕾を上に立てたら擬宝珠に似ていますか。
444m峰 並木道
快調さを感じながら444m峰に着いたのは12時57分で、蔦の細道から1時間7分で歩いたことになる。多分ここ2・3年で
一番の速さだったろうと感じた。この気分的快調さは焼津駅まで続き、予想していたより早く焼津駅に着いたと思っていた。
しかしです。家に帰り平成25年からの静焼アルプス縦走時の蔦の細道・444m峰間のデータを調べてみると、62分、65分、
60分、70分、67分と毎年余り代わり映えはしない値でした。
今回快調だと思った67分も、昨年よりは若干良い程度で大した違いなかった。それに今年は計測開始点の蔦の細道の前には
たったの6.7kmしか歩いていない。
それが静焼アルプスでは、アップダウンのきつい道を倍の13kmも歩いていた。これでは3分速くなったと喜ぶわけにはいかない。
でもマァー444m峰に着いた時は満足感で一杯で、満観峰に向かう足取りも軽かった。
満観峰・鞍掛峠分岐 鞍掛峠
満観峰・鞍掛峠分岐に着いたのが13時15分。ここから満観峰の往復は休憩を入れても約30分で行ってこれるが、更にその先の
花沢の里までが30分は掛かってしまう。となると焼津駅までを45分で歩かなければならない。
これではとても無理なので即決満観峰は止めて、そのまま鞍掛峠を目指して下りだした。
鞍掛峠に13時31分到着。いいぞ! この調子だと思いながらも花沢の里から焼津駅までの長さを思うと自信は揺らぐ。
アラー!通行止だ 今日唯一の景色
鞍掛峠から山道を下りだし最初の農道に出合って考え方を変えた。このまま花沢の里へ下りやきつ辺の道を行くと、距離は長くなり
アップダウンも増えてしまう。それなら農道を花沢城跡へ向った方が距離も短くアップダウンもない。
楽になることならすぐ採用で山道と別れ農道を歩き出した。
嘘だぁー! 農道に通行止の看板が出ていた。ここの回り道を行ったら急な上りが続き酷い目にあう。それは嫌なのでそのまま
農道を行くことにする。今日は日曜日で多分工事もやっていないだろうし、工事現場では隅を歩けばなんとかなるだろう。
しかし前回の花倉城跡の通行止は、橋が完全に無く渡ることができなかったが、ここは大丈夫だろうか。
工事は崖側の法面の工事で、山側は車も通れるくらいの巾があった。工事をやっているときは仕方ないとしても、今日のように
工事が休みの時は 「本日規制なし」 と貼紙してもらいたいな。
ヤマユリ キノコ
農道法面の崖の中腹にヤマユリが咲いていた。ヤマユリは以前はもっと見たような気がするが最近は見かけなくなった。
ザイルでも使わなければ採れない場所なので盗掘を免れているのだろうか。否そうではなく私が夏に歩くのが少なくなったのだ。
花沢城跡五差路 瀬戸川
花沢城跡の手前でやきつ辺の道と合流する。今時間は14時8分。3時までにはあと50分程しかない。
普通ならここからはやきつ辺の道を石脇口まで行って焼津駅に向かうのだが、やきつ辺の道はアップダウンんが多く大変だ。
それならここの花沢城跡五差路を下って、国道150線の歩道を歩いた方が速そうだ。国道は直線だから距離も短いだろう。
今回も楽になる話なので即実行して国道150号と新幹線の間の歩道を焼津駅に向かう。
しかしその道は新幹線と車の騒音で喧しいことこの上ない。しかも民家も無いので日陰も無く暑くてたまらなかった。
見る物もない国道の歩道を俯きながら、ただただ歩くのみです。これでは少しぐらい距離が短くなっても辛さは倍増です。
道の選択を誤ったようです。
午前中に歩いた明治から平成にかけての宇津ノ谷トンネルの名前の事を思い出した。
最初に出来た明治トンネルには 「宇津谷隧道」 銘鈑が付いていて、次の大正トンネルもまるっきり同じ 「宇津谷隧道」 だった。
これが昭和トンネルになると 「新宇津之谷隧道」 と “新” と “之” が増えていた。
サーそうなると次にできた平成トンネルの名前はどうなるでしょう? 既に “新” は使ってしまったので再び “新” は使えない。
果たして平成トンネルの名前はどうなったか?
話は変わって東名高速道路の話ですが、5年前に新しい高速道路が開通して、その名前は工事段階では “第2東名” だったが、
開通直前になって “新東名” に変わってしまった。
“新東名” だと、いつの時代か更に高速道路ができた時、 “新々東名” では具合が悪かろう。それなのに何故開通間際になって
“第2東名” が消えたのか不自然さを感じたものでした。
話を元に戻し宇津ノ谷トンネルの名前はと云うと、その答えは “無し” でした。
以前のトンネルには銘鈑があったものの、平成トンネルの上にはなにも付いていません。経費節減で止めたのかとも思いますが
若しかして時の道路公団の幹部は、 「新々宇津之谷隧道」 では格好が悪いし、かと言って今更番号を付与するのも不自然だ。
それならいっその事 “名無しの権平” で行ってしまおうと、頬被りをしてしまったのかな。
そんな例もあるのに東名高速では、またもや 「新」 にしてしまった。懲りない人たちです。
焼津駅には予定時間の3分前の14時57分に到着出来た。北口のベンチ座り休んでいると 「下り 島田行が間もなく入ります。」
と放送が聞こえてきた。ウン! 島田行なら空いている。これを逃してなる物かと、慌てて階段を駆け上がりトイカで改札を通った。
発車ベルは鳴っていたが、タイミング良く車掌と視線が合い何とか乗る事ができた。
何十年ぶりに駅の階段を駆け上ったお陰で、列車内に入っても動悸は治まりません。73歳の年寄りが必死になって走るなんて
みっともないし危ない。とは分かっていたのですが、大相撲の千秋楽を見たい一心でした。
お陰でシャワーも浴びてゆっくりTV桟敷で観戦する事ができました。