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Channel: はぐれ遍路のひとりごと
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知多四国48番良参寺

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歩行記録                                                              H27-8-28(金)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:2時間20分   延時間:8時間45分
出発時刻:9時10分     到着時刻:17時55分
歩  数: 40、334歩(推定距離30.2km)    GPS距離29.0km
行程表
 内海駅 0:45> 48番 0:25> 49番 0:15> 56番 0:05> 52番 0:05> 53番 0:05> 51番 0:05> 50番 0:20>
  55番 0:30> 57番 1:35>  番外 0:05 58番 0:05> 59番 0:20> 60番 0:30> 61番 0:15> 62番 0:25>
  63番 0:10> 65番 0:10> 64番 0:15> 常滑駅

                                48番良参寺(海嶺)

 藤枝では雨は降っていなかったが、途中から電車の窓に雨粒が付きだした。今日の降水確率は50%なので雨は覚悟して、
傘と軽いポンチョを支度してあったが、朝からの雨とは情けない。

 今回は旅費を節約して、前々回と同じようにJR武豊駅から名鉄知多武豊駅の間を歩く事にしている。だが今回の目的地は
河和線の河和駅ではなく、新知多線の内海駅なので乗換時間に余裕があり、目の前を電車が通り過ぎる事はない。

 武豊駅でも雨が強く降っていたのでポンチョを着ようと思ったが、これを濡らすと後々処理が面倒になると傘をさして歩いた。
おかげでズボンの膝から下はグッショリ濡れ、今日これからの行程が思いやられた。

 
                梅原猛の本家跡                               最高点の峠

 内海駅に着くと雨は小降りになっていて空も何となく明るく感じる。これなら雨は止んでくれるかもしれない。
毎回出発地点でGPS歩行器のSWを入れているが、今日は駅の屋根の下だったので中々人工衛星からの電波をキャッチできず
雨支度と共に手間取ってしまった。

 48番良参寺(りょうさんじ)には、海岸沿いの国道247号を歩けば分かりやすいが、今回も1本内陸の道を選んであった。
雨さえ降っていなければこの道の方がいいだろうが、果たして今日はどうだろう、少々気も重く歩き出した。

 内海の住宅地の中に 「哲学者 梅原猛先生の本家跡」 の看板があったが、梅原猛の名前の覚えはあるが何をした人なのかは
知らない。しかもここは “生家跡” ではなく “本家跡” では興味すら湧かなかった。
そう云えば何処の駅だったか、駅の駐輪場の壁に 「新美南吉」 の童画が描かれていた。新美南吉も童話 「ごん狐」 の作家で
ある事は知っていたが、ごん狐の話の中身は知らない。ようは私の知識は何でも中途半端なのです。

 道は農道状態になってきて歩く人は勿論、車さえ走っていなかった。切通しの峠らしき所か道が下り坂になり正直ホッとした。
地図を信じて歩くのは毎回の事だが、こんな雨の日はなるべく山奥の道は歩きたくない。
だがそんな心配は不要で、直にホテル入口の案内やキャンプ場が現れた。知多半島は狭いので助かる。

 
                 良参寺山門                                  弘法堂

 前回までの遍路は南知多町を廻っていたが良参寺から美浜町に入った。美浜町は3回目の遍路で歩いた旧河和海軍航空隊の
あった所なので、知多半島の東西の海に接している事になる。一方その先にある南知多町は、半島を陸路で出るには美浜町を
横断しないと出る事ができない。そんな理由で合併の機運が盛り上がったのだろうが残念ながらその話はポチャになってしまった。

 その美浜町の良参寺に前に建つ案内板に 「当寺の墓所には初の和訳聖書の制作に協力した 「三吉」 を含む宝順丸の乗組員の
墓碑が建てられています。」 と記されたいた。
待てよ! 日本初の聖書って、若しかしたら三浦綾子の小説になかったか。
現地ではそれ以上思い浮かばず後で調べると、間違いなく三浦綾子の 「海嶺」 は、初の日本語聖書の話が主題だった。

概略は 「知多小野浦の千石船宝順丸が江戸に向かう途中遭難し、アメリカに漂着した3人の乗組員は、幕府の鎖国政策日本に
戻ることができず、聖書の日本語訳に協力した。」 であって、いかにも三浦綾子が好みそうな内容だった。
 既に内容は忘れているので再度“海嶺” を読み直してみよう。

        
              不動明王                             宝珠正覚坊

 山門を入ると亀の形をした自然石の上に、加工された真丸い石が乗っているモニュメントがあった。
 「宝珠正覚坊(おたからおかめさん)」 の銘板はあるが説明が見当たらないので意味不明だった。

 良参寺の弘法大師は 「お助け大師」 と呼ばれ、昭和初期に盲目の女性が開眼したと門前に書いてあったが、境内には
その詳細と他の霊験も書かれていた。それによれば
●若き盲女の眼が開いたこと
●名医から見放された難病の治った人
●若尾さんのご利益          と実名入りで紹介してあった。

  
        大槙と本堂                                            子抱観音

 更に良参寺にはこんな現象も起きたとか。
 「樹齢400年余の伊吹の根元に、昭和58年子抱観音が出現されました。」 と案内板に書いてある。
子宝に恵まれな人や子供の成長に悩みのある人にご利益があるそうだ。
子抱観音は? 止めときましょう。信じる者は救われるのでしょうから。

                                   内海駅から48番良参寺への道

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