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Channel: はぐれ遍路のひとりごと
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藤枝の里山4山:五州岳

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歩行記録   H29-1-31(火)
歩行時間:1時間30分   休憩時間:0時間35分   延時間:2時間05分
出発時刻:7時50分     到着時刻:9時55分
歩  数: 9、760歩(推定距離6.93km)    GPS距離km
行程表
 勝草橋 0:10> 金毘羅山 0:30> 五州岳 0:20> 金吹橋 0:30> 蓮華寺池

                                   五州岳概略図
     

 藤枝市のハイキングコースを案内しているが、五州岳コースは以前歩いたときは時期が悪く、途中でコースを離脱して団地の
中の道を歩いてしまった。それでは案内にならないので歩き直す必要があるが、夏は団地の裏山なので蜘蛛、虫、蛇が襲って
くるので歩きたくない。なら今の時期が丁度良いが五州岳だけだと余りにも短すぎる。
そこで矢張り逆コースしか歩いていない清水山コースも歩き直す必要のあるので序に歩いてしまう事に。ウーンそれでも短すぎる。
では以前から歩こうと思いながら機会が無かったあの山にも行ってしまおうと出かける事にしました。

 
                 勝草橋                                 対岸の桜トンネルと清水山

 勝草橋右岸袂の公園に自転車を置いて出発。いつもは駅に置いて歩いてくるのだが、今日は帰りもここに戻る予定なので楽をする。
瀬戸川右岸にある五州岳に向かい堤防を溯って行くと、対岸の桜の枝先がモヤットして見えている。蕾が少し膨らんできたのだろう。
途中にあった看板には 「東海一の桜トンネル」 とあったが、確かにトンネルの長さは長い。
今日も帰りはそのトンネルを歩くのだが桜が咲いていないと長すぎて厭きてくる。しかも車も走っているのでのんびり歩く事も出来ない。
せめて一方通行に出来ないものかと毎回愚痴りながら歩いている。

 写真の左こんもりした山が清水山で、その右の平らになった右端(下から伸びたポ-ルの先)に白くポツンと見えるのがタンクです。
タンクからの眺めは清水山の縦走路随一で志太平野は勿論、志太奥の山々や富士山も見える乞うご期待の景色です。

 
              金毘羅山緑地                                富士山ビューポイントから

 金毘羅山も桜の名所なのだが瀬戸川に桜見物に来る人の多くは、桜トンネルを歩きながら対岸の金毘羅山の桜を眺めるだけの
人が多いが、それでは勿体ない。
平地から見る桜と違い斜面から見るの桜は一目何本と云うか、一気に桜が覆い被さってくるので、また違った風情があります。
瀬戸川の桜見物に来る人は是非金毘羅山側もお忘れなく。

 
              金毘羅山の梅園                                河川敷の梅園

 金毘羅神社に梅園の案内があったので寄ってみたが、数本の梅の木があるだけでわざわざ行くまでの事はなかった。
それに神社から五州岳に向かって下りだすと、そこがさっき行った梅園の続きだった。更に金毘羅山を下り再度堤防の上の道に
戻るとその先にも梅園があった。

 
               河川敷の梅園                                 水の少ない瀬戸川

 河川敷の梅園は金毘羅山の梅園より規模も大きく背が低いので見やすい。ただ品種名の札は小梅・中梅・白加賀が殆どなので
鑑賞用と云うより実を取るための梅園かもしれない。

 川が五州岳の裾にぶつかる所で堤防は終わり道も途絶えていた。川の少し先には桜トンネルが終わる金吹き橋も見えている。
川の流れを見ると勢いも弱く幅も狭い。これならここに沈下橋とか橋の片方のみ固定し、大水時には流れに逆らわない流れ橋を
架けたらどうだろう。そうなれば桜見物は片方を往復すのではなく、同じ距離で両方を見ることができる。
私の空想が実現する事はないが、仮に実現すれば車の走る桜トンネルの堤防を歩かないで済むのになぁ。

 
              エッ!ここがコース?                            一転感じの良い山道に

 梅園の先で道が終わった所から、標識に従い団地の中の道を歩いていくと道は突き当りになり終わっていた。
でも大丈夫! 舗装路より一段下った所にハイキングコースの標識がある。だがその示している先は、なんと家と家の隙間で路地とも
呼べないような空間だった。
これでは標識が無ければ分からないし、あっても気兼ねしながら歩かなければならない。でも面白い。

 そこを過ぎると道は竹藪と放置茶畑の間の山道になる。ここから先が時期によっては歩きにくくなるのだが今はどうという事もなく
歩ける。左下に大きな建物が見えてきたが前回はここから建物の方に抜けてしまった。
離脱した距離は思ったほどではなくこれなら夏でも歩けそうだが、先程の河川敷の梅園には 「まむし注意!」 の札が何枚もあった。
時々見かけるのあの注意書きは、何をどう注意すればよいのだと思いながらも不安を感じてしまい好きではない。

 建物との分岐地点を過ぎると、こんな団地の近くにこんな道が、と思えるような快適な山道になる。でも山頂はもうすぐだ。

       
                      五州岳山頂から                               五州岳山頂のアンテナ

 五州岳山頂はアンテナを囲む金網に占領され、その周りを歩くしかない。ここからも富士山は見えていたが 「富士山ビューポイント」  
の看板はない。ここからの富士山も大した事はないが、それでもさっき見た金毘羅山からよりははっきり見えるだけでもこっちのがいい。
この藤枝の富士山ビューポイントの看板は私のお気に入りの椿山や北のピークは建っていない。いつか全てのビューポイントを歩いて
比較するのも面白そうだ。

 五州岳の名前の謂れを探したが見つからない。それなら私の妄想的歴史観で判断するしかないが、先ず “州” とは何を意味するか
考えて思いつくのは、駿河の国=駿州、遠江の国=遠州、伊豆の国=豆州などの呼び方だ。
だがこの低い五州岳からでは良くて駿州と遠州の二州しか見る事ができない。

 藤枝の地名には大井川の中洲だった場所が大洲とか高洲等として今も残っている。ではここから瀬戸川の中洲が五つ見えた? 
いやそれなら五州岳でなく五洲岳になるだろう。どうやら今日の歴史感は冴えていないようだ。
いやいや待てよ! アメリカのように州の集合体が合衆国(合州国)になっている国もある。ならば州は国より小さな存在ともいえる。
そうした観点で駿河の国を考えると “郡” や “村” がある。
例えばここから見えそうな “郡” と云えば、地元の志太郡、高草山の益津郡、大井川の榛原郡、更に粟ヶ岳の佐野郡があるが
まだ四つだ。あと一つは、そーだ隣の安倍郡の山も見えるだろう。ウンこれで丁度五つだ。
でも調べて行く過程でこんな事も分かった。瀬戸川の流れる藤枝宿は水守村、市部村、五十海村、若王子村、鬼岩寺村の五村で
構成されていた。そうなるとこちらとも思えてくる。
果たしてどちらが正解か、いや両方外れで他に正解があるかもしれない。どうも自信がない。

       
       北西側からの五州岳                                金吹橋

 山頂から少し急な道を3分も下りと舗装道路に出てしまった。まあ簡単!簡単!あっけなかった。
なのでこれから清水山の登山口蓮華寺池公園を目指して車道を歩かなければならない。本来なら金吹橋を渡って清水寺から縦走を
始めた方がベターだが、何故かハイキングコ-スの案内は出発が蓮華寺池からになっている。

       

 金吹橋の袂の 「川中島八兵衛碑」 にお参りし写真を撮っていると、先にいたお年寄りの一人が
 「何を写しているのかな?」 と聞いてきた。そこで八兵衛さんの事を知っているかと聞くと 「知らない」 と答える。
ならばと得意になり
  「八兵衛さんは志太地方だけの川の守り神で、むかし川が決壊すると疫病が流行らないようにと、薬を住民に分けて歩いたので、
それを感謝して村々で石碑を建ててお参りしていたようです。」
 「フーンそれはいい話を聞かせてもらっった。ありがとうよ。」 と感謝されてしまった。
 「ところでここから何処へ行くのだね。」 と聞かれたので 「蓮華寺池から清水山に行こうかと思って。」
 「それならあそこの淵に藤枝祭の山車の車輪を沈めてあるから見てくるといい。」 と教えてくれた。
へ~屋台の車輪を水に沈めて保管しているとは珍しい。ならば寄ってみよう。

 
                 山車の車輪                                山車の車軸?

 淵と聞いたので川の方を見ながら進むと、確かに堤防下に水溜りがあったが車輪のような物は見えない。
変だなと水辺まで下って確かめても車輪は無い。そのまま水辺を山の付根まで行っても車輪らしき物は無かった。
これ以上先では車輪を沈めるにも取り出すにも大変なだけなのでありそうもない。と諦めて岸辺の踏み跡に上がり堤防上に戻った。
帰りに何となく堤防の内側を見ると水溜りがあり、その中には何と丸い車輪のようなものが見えていた。
淵が堤防の内側にあるとは思っていなかったので危うく見落とすところだった。

 淵と呼べるかどうか分からないが、水溜りの水は澄んでいて流れも無いので水底まではっきり見えている。でも小魚が群れをなして
泳いでいるのをみると水の流れはあるのだろう。
車輪と一緒に四角の部材に穴の空いた物も見えるが、あれは車軸なのだろうか?

 木材を水に浮かべて保管する方法は、貯水池に浮かべて保管する木場があるし、地面に保管する貯木場では木材に散水しながら
保管している。だがそれらは材料としての木材で完成した木工製品ではない。
更に疑問なことは車輪や車軸が水に浮いてなく沈んでいることだ。木製品なのに水に浮かない?? なんでだ。
車輪は重たいから水面には浮かびきれないとしても、車軸の中には小型な物もあるがそれすうら浮いていない。
若しや木ではなく金属なのか。よしさっきのお年寄りたちに確かめてみようと、お堂に戻ったが既に誰も居なかった。

                              金吹橋から蓮華寺池まで
   

 金吹橋から清水寺入口を過ぎると長い直線道路になる。この道が昔からあったならきっと “清水畷(なわて)” と呼んだことだろう。
旧東海道を歩くと “◯◯畷” と名前の付いた直線の道があるが、あまり好きではなかった。何しろ先の方まで見えているので、あの
先に何があるのだろうといった期待感が湧いてこない。そのため長く感じて疲れが増すような感じがした。
一番楽しかった道は坂道の先に空が見えている場所で、あの先には何が見えるのだろうとワクワクして疲れを感じる度合いが減って
くる。なので峠道が好きなのだが、そこの地蔵さんでもあればさらにいい。

 
                若一王子神社                                    蓮華寺池

 なんでもない神社だがこの鳥居の前の案内板に
 「若一王子神社と藤枝の由来 源八幡太郎義家が “松に花咲く藤枝の一王子 宮居ゆたかに幾千代をえん” と云う和歌を詠みました。
その後、この辺一体を “藤枝” と呼ぶようになったといわれております。」 と書いてある。
確かにそうとも取れるが、藤の花と当時も使われていた藤枝の地名をかけたとも私には思える。さらに調べてみると
大正五年に刊行された 「静岡県志太郡誌 」に次のようなことが書かれていた。
 「瀬戸川の分れ、瀬戸川の東堤防に沿ひて流るる小川を藤枝川といふより、藤枝は淵枝の謂なるべきか。」 と。
そして解説に “淵とは現在の金吹橋のたもとのことで、堤防が完備する前はおそらく水霊を祭る場であったと思われる。” とあった。
成程、現在の金吹橋付近の淵から枝のように小川が流れ出していたので 「淵枝➡藤枝」 になったのか。
私にはこちらの説の方がすんなり受け取れるがどうだろう。そうなると今日は藤枝の名のおこりの淵枝を見てきた事になる。

 蓮華寺池に池に9時55分到着。すでに2時間以上も掛かっている。でも今日は焦る事はない。何しろ地元の里山だから。

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