歩行記録 H27-8-24(月)
歩行時間:4時間55分 休憩時間:1時間45分 延時間:6時間40分
出発時刻:9時25分 到着時刻:16時05分
歩 数: 31、745歩(推定距離23.8km) GPS距離24.5km
行程表
師崎港バス停 0:35> 番外 0:50> 40番 0:50> 43番 0:10> 番外 0:20> 42番 0:15> 41番 0:40> 44番
0:30> 45番 0:20> 46番 0:15> 47番 0:10> 内海駅
40番影向寺(木鼻)
野間大坊の案内 海の岩場
40番影向寺(ようごうじ)は海辺の国道247号を4kmほど西に行った中之浦部落にある。
浄土寺から国道を歩き始めると、電柱に 「野間大坊」 の案内が現れだした。野間大坊? 今日打つ予定の札所には無いが
調べ漏れをしてしまったのかと一瞬ドキッ!とする。だが看板をよく見ると小さく 「15km↑」 とあるのを見て今度はホッとした。
更に 「51」 の数字も見えるが、これは札所番号だろうと手持ち資料を見ると間違いなく51番札所は野間大坊となっていた。
51番は予定では次回打つことになっているが、今日は47番で終わる予定だ。そうなると今日の残りは10km程度という事なのか。
まだ1ヶ所しか終わってないのに少なすぎる気がした。
海岸に洗濯板のようにギザギザ波打った岩場があり、その入口に 「あさり増殖中につき・・・・・採取禁止」 の看板があった。
アサリって砂場にいるんですよね、こんな岩場のどこにアサリは潜るのだろう。
この看板は岩場の事ではなく、この辺りの海岸全般についての注意なのかな。でも立てる場所が悪い。
峠の地蔵 お堂の石仏
峠のバス停を過ぎて 「峠のお地蔵さん」 の幟の立つお堂に女性たちがいて、私に 「お詣りして行ってください」 と声を掛けてきた。
若しやお茶でも接待してくれるかと国道を横断して立ち寄った。
お堂の中に7体の石仏が祀られていて、それぞれの石仏の前には生花とぶどうや菓子が供えられている。さらにお堂の中央には
額に白毫のある坐像も祀られている。この石仏は唇は赤く目は黒く彩られていて、更にあたかも赤い僧衣を着ていてかのように
赤い布がかけられている。頭巾と前掛けは花柄模様で随分お洒落な石仏だった。
「お茶でも・・・」 の声を期待したさもしい遍路は、更にさもしい心になってそこを後にした。
椿の実 漁港のイワシ
国道を離れ豊浜漁港への道を行くと、歩道沿いに植えられていた椿に実がビッシリ付いていた。
歩道にも沢山落ちていて、中には車に轢かれたものもある。椿の背丈は大きくないのに何故こんなに実を付けるのだろう?
花が咲いていないのでハッキリしないが、葉や幹は間違いなく椿のように見える。これだけ実がなるなら椿油を絞れないかな。
広場の中を適当に歩いて行くと漁港に出た。そこではホークリフトで小魚の入った箱を盛んに運んでいた。
箱の中を覗くとまさに 「大羽鰮(いわし)の大漁だ。」 だった。そして 「海のなかでは何萬の鰮のとむらい」 なのだろう。
とら薬師 いわしの一言
漁港の前のお寺に 「とら薬師」 とか 「ごめんなさい地蔵」 などと書かれた大看板が立っていた。
札所ではないがその言葉が気になりチョットだけ寄ってみる事にした。
結局 “とら薬師” の答えは見つからなかったが 「寅の日に薬師如来に参ること」 とネットの辞書には書かれていた。
だが寅年の守り本尊は虚空蔵菩薩なのだから分からない。
きっと生まれ年に関係なく寅の日に薬師如来に参詣するとご利益が多いのだろう。
“ごめんなさい地蔵” には 「子供が生き物を殺した時、嘘をついた時、物を盗んだ時に「ごめんなさい」と言って手を合わせて
謝るお地蔵さん」 の説明があり、陶器の童地蔵が置かれていた。
門の横には “いわしの一言” の詩がが掲げられていたが、金子みすゞの詩と比べ、主旨は似ていない事も無いが何か説教調だ。
他にも魚を抱いた “魚天観音” の立像があったり、タコの鼻から手水が出たりして中々ユニークな寺だった。
因みにこの寺は光明寺といい 「南知多三十三観音18番札所」 だった。
参道より本堂 弘法堂
国道沿いに寺の駐車場があり、大きく派手な 「影向寺」 の看板があるので見落とす事はなかった。
特に山門もなく、参道がそのまま境内のような寺の弘法堂に行くと、扁額に 「子安大師殿」 の文字や 「安産お守腹帯授与」 の
文字があるので、どうやら影向寺は安産祈願の寺のようだ。
本堂の前には白い掲示板があり、近づいて見ると・・・・・
立川流の案内 木鼻像
「当寺の本堂正面上部の親子龍・両側の師子・漠等の彫刻は信州諏訪の立川流名工の作です。」 とあった。
立川流とは初めて聞く名なので調べてみると “神社仏閣などの楼閣建築を飾る装飾彫刻を施す宮彫師(宮師)の一派”の
の事で、建物本体を造る宮大工に対し宮彫師(宮師)と呼ばれているようです。
その柱の両側にある彫刻は、先程の浄土寺と同じ象と漠(バク)の彫刻で、この場所を 「木鼻」 と呼ぶようだ。
因みに木鼻とは、柱などの貫の部分の事で、「木の先端」 が 「木端(きばな)」 が転じ 「木鼻」 に書き換えられたものだそうです。
要は貫などの水平材(横木)が柱から突き出した部分に施された彫刻などの装飾の事を木鼻と呼ぶそうです。
普門山の扁額と親子龍
影向寺の山号 「普門山」 の上に親子龍の彫刻があるが、龍がいる事は分かるが細かい部分は分からなかった。
手水舎 寺の山門? 子安観音の入口?
境内にあった新しい手水舎に近づくと突然龍の口から水が流れ出した。どうやら人感センサーを設置して、人が近づくと水が出る
仕掛けのようだ。中々面白い試みだ。
なんか場違いな感じの門があるが、まさかこれが山門ではないよな。
子安観音 地下室の十二支守り本尊
弘法堂横から入る裏の境内には築山なのか自然の地形なのか、その高台の上に子安観音が安置されていた。
その後ろはコンクリを吹き付けた擁壁になっているが。浄土寺と同じように前は海、後ろは山の地形を上手に取り入れている。
そして影向寺にも地下室のような洞窟があり、中には十二支の守り本尊が祀られていた。
因みに寅年の守り本尊は薬師如来ではなく虚空蔵菩薩でした。私の干支の猿は大日如来です。
「おん ばさらだ とばん、おん ばさらだ とばん、おん ばさらだ とばん」
番外浄土寺から40番影向寺への道
歩行時間:4時間55分 休憩時間:1時間45分 延時間:6時間40分
出発時刻:9時25分 到着時刻:16時05分
歩 数: 31、745歩(推定距離23.8km) GPS距離24.5km
行程表
師崎港バス停 0:35> 番外 0:50> 40番 0:50> 43番 0:10> 番外 0:20> 42番 0:15> 41番 0:40> 44番
0:30> 45番 0:20> 46番 0:15> 47番 0:10> 内海駅
40番影向寺(木鼻)
野間大坊の案内 海の岩場
40番影向寺(ようごうじ)は海辺の国道247号を4kmほど西に行った中之浦部落にある。
浄土寺から国道を歩き始めると、電柱に 「野間大坊」 の案内が現れだした。野間大坊? 今日打つ予定の札所には無いが
調べ漏れをしてしまったのかと一瞬ドキッ!とする。だが看板をよく見ると小さく 「15km↑」 とあるのを見て今度はホッとした。
更に 「51」 の数字も見えるが、これは札所番号だろうと手持ち資料を見ると間違いなく51番札所は野間大坊となっていた。
51番は予定では次回打つことになっているが、今日は47番で終わる予定だ。そうなると今日の残りは10km程度という事なのか。
まだ1ヶ所しか終わってないのに少なすぎる気がした。
海岸に洗濯板のようにギザギザ波打った岩場があり、その入口に 「あさり増殖中につき・・・・・採取禁止」 の看板があった。
アサリって砂場にいるんですよね、こんな岩場のどこにアサリは潜るのだろう。
この看板は岩場の事ではなく、この辺りの海岸全般についての注意なのかな。でも立てる場所が悪い。
峠の地蔵 お堂の石仏
峠のバス停を過ぎて 「峠のお地蔵さん」 の幟の立つお堂に女性たちがいて、私に 「お詣りして行ってください」 と声を掛けてきた。
若しやお茶でも接待してくれるかと国道を横断して立ち寄った。
お堂の中に7体の石仏が祀られていて、それぞれの石仏の前には生花とぶどうや菓子が供えられている。さらにお堂の中央には
額に白毫のある坐像も祀られている。この石仏は唇は赤く目は黒く彩られていて、更にあたかも赤い僧衣を着ていてかのように
赤い布がかけられている。頭巾と前掛けは花柄模様で随分お洒落な石仏だった。
「お茶でも・・・」 の声を期待したさもしい遍路は、更にさもしい心になってそこを後にした。
椿の実 漁港のイワシ
国道を離れ豊浜漁港への道を行くと、歩道沿いに植えられていた椿に実がビッシリ付いていた。
歩道にも沢山落ちていて、中には車に轢かれたものもある。椿の背丈は大きくないのに何故こんなに実を付けるのだろう?
花が咲いていないのでハッキリしないが、葉や幹は間違いなく椿のように見える。これだけ実がなるなら椿油を絞れないかな。
広場の中を適当に歩いて行くと漁港に出た。そこではホークリフトで小魚の入った箱を盛んに運んでいた。
箱の中を覗くとまさに 「大羽鰮(いわし)の大漁だ。」 だった。そして 「海のなかでは何萬の鰮のとむらい」 なのだろう。
とら薬師 いわしの一言
漁港の前のお寺に 「とら薬師」 とか 「ごめんなさい地蔵」 などと書かれた大看板が立っていた。
札所ではないがその言葉が気になりチョットだけ寄ってみる事にした。
結局 “とら薬師” の答えは見つからなかったが 「寅の日に薬師如来に参ること」 とネットの辞書には書かれていた。
だが寅年の守り本尊は虚空蔵菩薩なのだから分からない。
きっと生まれ年に関係なく寅の日に薬師如来に参詣するとご利益が多いのだろう。
“ごめんなさい地蔵” には 「子供が生き物を殺した時、嘘をついた時、物を盗んだ時に「ごめんなさい」と言って手を合わせて
謝るお地蔵さん」 の説明があり、陶器の童地蔵が置かれていた。
門の横には “いわしの一言” の詩がが掲げられていたが、金子みすゞの詩と比べ、主旨は似ていない事も無いが何か説教調だ。
他にも魚を抱いた “魚天観音” の立像があったり、タコの鼻から手水が出たりして中々ユニークな寺だった。
因みにこの寺は光明寺といい 「南知多三十三観音18番札所」 だった。
参道より本堂 弘法堂
国道沿いに寺の駐車場があり、大きく派手な 「影向寺」 の看板があるので見落とす事はなかった。
特に山門もなく、参道がそのまま境内のような寺の弘法堂に行くと、扁額に 「子安大師殿」 の文字や 「安産お守腹帯授与」 の
文字があるので、どうやら影向寺は安産祈願の寺のようだ。
本堂の前には白い掲示板があり、近づいて見ると・・・・・
立川流の案内 木鼻像
「当寺の本堂正面上部の親子龍・両側の師子・漠等の彫刻は信州諏訪の立川流名工の作です。」 とあった。
立川流とは初めて聞く名なので調べてみると “神社仏閣などの楼閣建築を飾る装飾彫刻を施す宮彫師(宮師)の一派”の
の事で、建物本体を造る宮大工に対し宮彫師(宮師)と呼ばれているようです。
その柱の両側にある彫刻は、先程の浄土寺と同じ象と漠(バク)の彫刻で、この場所を 「木鼻」 と呼ぶようだ。
因みに木鼻とは、柱などの貫の部分の事で、「木の先端」 が 「木端(きばな)」 が転じ 「木鼻」 に書き換えられたものだそうです。
要は貫などの水平材(横木)が柱から突き出した部分に施された彫刻などの装飾の事を木鼻と呼ぶそうです。
普門山の扁額と親子龍
影向寺の山号 「普門山」 の上に親子龍の彫刻があるが、龍がいる事は分かるが細かい部分は分からなかった。
手水舎 寺の山門? 子安観音の入口?
境内にあった新しい手水舎に近づくと突然龍の口から水が流れ出した。どうやら人感センサーを設置して、人が近づくと水が出る
仕掛けのようだ。中々面白い試みだ。
なんか場違いな感じの門があるが、まさかこれが山門ではないよな。
子安観音 地下室の十二支守り本尊
弘法堂横から入る裏の境内には築山なのか自然の地形なのか、その高台の上に子安観音が安置されていた。
その後ろはコンクリを吹き付けた擁壁になっているが。浄土寺と同じように前は海、後ろは山の地形を上手に取り入れている。
そして影向寺にも地下室のような洞窟があり、中には十二支の守り本尊が祀られていた。
因みに寅年の守り本尊は薬師如来ではなく虚空蔵菩薩でした。私の干支の猿は大日如来です。
「おん ばさらだ とばん、おん ばさらだ とばん、おん ばさらだ とばん」
番外浄土寺から40番影向寺への道