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Channel: はぐれ遍路のひとりごと
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愛鷹・越前~呼子周回2

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歩行記録                                                          H27-11-13(火)
歩行時間:6時間35分   休憩時間:1時間00分   延時間:7時間35分
出発時刻:7時15分     到着時刻:14時50分
歩  数: 14、951歩(推定距離10.5km)    GPS距離8.6km
行程表
山神社P 0:40(45)> 富士見峠 0:25(25)> 黒岳 0:25>(20) 富士見峠 1:15(1:15)> 富士見台 0:20(25)> 越前岳
 1:00>(60) 呼子岳 0:15>(15) 割石峠 0:10> 蓬莱山 0:10> 割石峠 1:45>(1:30) 林道出合 0:10>(20) 山神社P
 ※:()内は山と高原地図(昭文社)の表示タイム ・・・・・ 合計タイム 7時間15分(蓬莱山往復含まず)

                     愛鷹山系・黒岳-越前-呼子-割石周回ルート観歩記2

 
              落葉間近の黄葉                               麓はまだ紅葉が

 この尾根道を歩くのは3回目だが前2回は半世紀以上前の事なので何の記憶も無い。それにしても越前からの下りがこんなに
急だったとは思いもよらなかった。ここを登りにしなくて良かったな。

 紅葉は黒岳・越前間は殆ど終わっていたが、こちらの尾根にはまだ残っていた。時折見える須津側の山麓の山肌の紅葉は
マダマダ残っているように見える。

         
                       最初のピーク                       数少ない紅葉

 越前から下り、最初のピークから又もやギザギザした山容の尾根が見える。鋸岳だとは思うがどうも納得がいかない。
小さなピークが幾つも続くこの尾根も、離れて見ればギザギザの尾根のように見えるだろう。
鋸岳展望台から見えたギザギザは、この尾根も含まれていたのだろうか。

  
                                       山道3様

 急な下りの道は兎も角、呼子に続く道は変化があって楽しめた。危ない所は無いがロープや梯子もあったりして気を引き締める
場所はある。時折須津(右)側が開けた場所は自然に体が左に寄ってしまうおまけもある。

  
             リンドウ                     トリカブト                   イワカガミ?

 リンドウがたった一輪咲いていた。トリカブトも終いのようで、葉が黒く変色して花も枯れていた物が多かった。
黒く変色したと云えば3枚目の写真がイワカガミですかね? 花は当然無いが葉の形がイワカガミそっくりだ。
ただ葉の色が春と違って黒葉(?)しているけど、その黒い群落がアチコチにあった。
植物辞典を調べても 「葉の形は卵円形で、表面には艶がある。これが和名の由来でもある。」 と解説した物が多く、写真を
見ても緑の葉だけで黒い葉の写真はなかった。でも多分イワカガミだと思う。
この花の咲く頃歩いてみたいが、ここは愛鷹ツツジも咲くので時季が重なれば最高だが。

 イワカガミは最初に覚えた高山植物名で、その切っ掛けは昔、鋸岳で女子大のグループと話をした事がある。
そのとき彼女達が話していた 「イワカガミが咲くような場所は私たちには向かない」 と言っていたのを今でも覚えている。
きっと岩の多い高山は自分たちの技量以上の場所だと言ったのだろうが、それからイワカガミの名と花が一致するようになった。

 
                                    呼子岳山頂

 呼子岳の記憶は “岩尾根に座って休憩した” 事だが、そんな岩は無かった。ただ山頂から割石峠とは別の方向に、踏み跡が
延びていたが、この先に岩場があるのだろうか。でも “老子危うきに近寄らず” だ。

 山頂の山名表示板に 「呼子岳 1313m」 とあったが、国土地理院の地図には 「1310m」 となっている。
昨年の山頂標高の見直しで訂正されたのかと思い、地理院の 「標高値を改定する山岳一覧(標高が低くなった山:39山)」 を
検索したが呼子岳は含まれていなかった。因みに低くなった標高はすべて1mで3mも低くなった山はない。
この標識を建てたのは “須山地区青少年育成連絡会” で、私的に建てた物ではなかったが・・・・・

 もう一つ気になる標識があった。それは “裾野市立富岡第二小学校50周年記念登山” で2000年に建てた物だ。
このコースを小学生の団体が登ったとは驚きだ。私が若い頃なら息子や娘を連れてくる事はできただろうが、あくまでも個人的に
1人か2人ならばだ。
それを小学生の団体を連れて来たなんて信じられない。小学6年生なら体力的には何の問題も無いが、ふざけて歩けば危ない
個所が何ヵ所かある。子供は兎も角、ここに子供を連れてきた引率の人に敬意を称したい。

 呼子の山頂に単独行の人がいて、どちらに行くのか聞くと越前からピストンだという。凄い人がいるものだと思っていたら
今日(5日)大人の遠足(旧)のあやさんのブログが更新されていて、矢張り十里木から越前経由で呼子をピストンしていた。
私には考えられないコース取りで、ピストンするのは万やむを得ない時しかしない。
因みにあやさんは越前から呼子までを45分で歩いているが、私は1時間掛かっている。更に凄いのは帰りの上りも55分で
歩いているのだ。もうあやさんのコースタイムを見るのは止めよう。

  
           割石峠須津側                  峠道標                   割石峠須山側

 割石峠は記憶通りの景色でした。名前を聞いて形状は想像できても現地で現物を見ると違っている場合が多い。
だがこの割石峠はほぼ想像した通りの眺めだと思う。

この峠は夜中に一人で2回須津側の河原まで下った事がある。当時のこと故ヘッドランプなど無く、懐中電灯を片手に下った
筈なので、それ程危険な道では無かったのだろう。
それが須津側の道は落石の危険があるという事で、通行禁止になったと聞いた事があるが、通行止の表示は無かった。
ただ峠に立つ道標には須津側の表示は無かったが、少し離れた古い道標杭には 「割石沢中里」 の文字が見えた。
中里とは須津側の部落の名前だから通行禁止になったという話はデマだったのだろうか。

 
                                  蓬莱山須津側斜面

 割石峠にあった道標に鋸岳の方を指して蓬莱山と出ていたが、この名前は覚えはない。鋸岳を蓬莱山と呼ぶのだろうか?
斜面を一気に登った斜面は紅葉が残っていた。


 
                 蓬莱山山頂                            鋸岳通行注意の案内板

 またもや私の記憶とは違っていた。蓬莱山の標識のある所は、昔は 「鋸の広場」 と呼んでいた。それにその広場からは
鋸岳の1枚目から4枚目までは見えていたと思うのだが、今は木が邪魔をして何も見えなくなっている。
殆ど朽ちている道標の後ろに 「?ねずみ」 と書かれた樹名板があるが、初めの文字は木に食われて読むことができない。

 鋸岳方面に 「警告 ●蓬莱山より位牌岳までのルート(鋸岳)は、山が古く風化・崩壊が進んでおり非常に危険です。 
 ●滑落死亡事故も発生しておりますので立入はご遠慮ください。」 の看板が立っていた。

       
                                       鋸 岳

 鋸岳の刃の部分を見ようと看板の後ろに延びている道を少し進んで写真を写した。
手前の高めの瘤が1枚目と2枚目でここまでは誰でも行けたが、捲き道は下に付いていて今でもはっきり見える。
この2枚目の後ろの木にザイルを結び懸垂下降の練習を得意になってした事も懐かしい。
3枚目は独立した岩峰で正面から登るのは容易だが、横面を下って4枚目に行くのは刃渡りの中でも一番の難所だった。

この辺りを下るとチムニー状になった岩場があり、よく背中と膝を使って登攀練習の真似事をしたものだ。
そこに下から行くには割石峠を少し下った沢から入ったが、鋸を縦走している人いると落石があるので早朝に遊んでいた。
そのため須津側にテントを張ったのだが、金の無い私はアルバイトを終えてから来たので、夜中に割石を下る事になった。

4枚目からは捲き道と一緒になり位牌へ向かう道のなる。

こんな事を書くと岩登りをやったように聞こえるが、指導者無しで仲間たちと遊んでいただけなので上達はしなかった。
今日はせめて2枚目までと思ったが止めた。ここも “老子危うきに近寄らず” だ。
最近分かった事がある。この歳になり発達した感覚と衰退した感覚があり、発達したのは恐怖心、衰退したのは平衡感覚だ。
こうなるととても2枚目までも行けなかった。

 
                沢源頭部                                   紅葉が綺麗だ

 石がゴロゴロした沢の源頭部は歩きずらい。踏み跡も無くただ歩きやすそうな所を探しながら下る。
最初に右から合流した沢を遡って行くと須山側の鋸岳の直下にでるが、こちらは岩場は無く、急なガレ場で登ることができない。
一度この沢を試登したときは仕方なく蓬莱山の草付を登って広場に出た事もある。(記憶違いがあるかも)

 こちら側もまだ紅葉が残っていて綺麗に見える場所もあった。

    
                            紅葉が綺麗だ

 道の無い沢を大分下ったが踏み跡は出てこない。確か最初の踏み跡は右岸からだったと右を中心に探したが無い。
それでもこの沢の道は何度か沢を渡るので1ッ所や2ヶ所見落としたとしてもどうという事はない。
逆に上りで道を見落とし違う沢に入ると何処に出るかも分からなくなる。それが分かっていたので今回はここを下りにした。

   
                 ケルンがあった                              目印の赤い丸印

 最初の踏み跡は左岸にあり、ここでも記憶違いだった。
目印はケルンとリボンやテープで、目印の付いて所は対岸も注意すると案外目印がある事が多い。

 
              目印を見落としそうに                          対岸にケルンがあった

 左岸を歩いたり、沢を歩いたり、そして右岸を歩いたりと何度も沢を渡ったが、道の全てを歩いたかどうかは分からない。
時には見落としそうな目印やケルンもあったので多分見落とした所もあったろう。
良くマーこんな所を夜中に一人で歩けたものだと感心してしまうが、若かったのだな。

    
                 大 杉                             こんな標識なら見落とさない

 大杉の標識ある所を過ぎるとハッキリした標識と道になるのでもう安心だ。

 
               位牌岳分岐                                 沢の向うに林道

 またまた記憶違いの話で恐縮だが、今回は大杉を過ぎてから元は無舗装の林道だったと思われる太い道が続き、途中には
大沢橋と名の付いたコンクリの橋まであった。50年前にも有ったのだろうか? 
さらに記憶に無かったのは位牌岳への分岐があった事だ。本当に昔もあったのだろうか? 
いやきっとあったのでろう、最近の私はとみに記憶力が落ちてきているから。

最後に記憶通りの場所に出た。半世紀以上前も山道が大きな沢に塞がれた場所に出て、その先に林道の開始点があったが、
今回も沢を横断した先に林道があった。ここまで来れば山神社までは10分位のものだと思う。

 山神社Pの所に4・5人が集まっていて一人が携帯で話をしている。興奮しているのか大きな声なので良く聞こえる。
通話先は警察のようで、なんでも朝通った愛鷹山荘の板張りの橋から下に落ちて、起き上がれなくなった人がいるらしい。
仲間が声を掛けると 「大丈夫」 との返事はするが、腰を打ったのか動けないでいるらしい。
確かにあの橋は平らで滑り易そうだが滑り止めの桟も打ってあり手摺には鎖もあった。高さも1mか2m程だと思ったが
特に危険は感じなく歩いていた。
前回の写真も探したが梯子の写真はあったが橋の写真は無かった。つまり前回も危険は感じず歩いていたのだろう。
今回私は無事ゴールできたが、どんな所に危険が潜んでいるか分からない。例え舗装された林道でも、転んで足をくじく事も
あるだろう。今日も呼子岳から先は完全な一人旅で、これから後を歩いて来る人がいるかどうかも分からない。
ケイタイも持たない私なので、そんな時はどうすれば良いか。
兎も角 「老子危うき近寄らず」 で、なるべく臆病な山歩きに徹しよう。と今日の教訓でした。
救助のヘリコプターが来たが爆音だけで機影は見えなかった。

山神社の駐車場に着いたのは2時50分で、出発してから7時間35分で予定より35分多くなってしまった。
内訳は山神社Pから越前までは4時間の予定が休憩を入れて3時間35分。越前から割石の1時間の予定が昼飯を入れて
1時間35分。それに予定になかった蓬莱山往復に30分。最後の沢下りが2時間の予定が2時間5分だった。
これからこのコースを歩く時は全体で8時間みればゆっくり歩けるだろう。尤もこの時間は私の時間で、普通の人の足なら
6時間から7時間みれば十分でしょう。
次回ここには愛鷹ツツジやイワカガミが咲くころ再訪しようと思っています。

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