歩行記録 H27-8-19(水)
歩行時間:1時間50分 休憩時間:1時間50分 延時間:3時間40分
出発時刻:10時05分 到着時刻:13時45分
歩 数: 11、909歩(推定距離8.9km) GPS距離8.5km
行程表
大井バス停 0:10> 上陸大師 0:25> 35番 0:15> 36番 0:10> 師崎港 0:10> 篠島港 0:15> 38番 0:05> 番外
0:05> 39番 0:15> 篠島港 0:06> 日間賀島港 0:05> 37番 0:05> 日間賀島 0:05> 師崎港
37番大光院(バス料金)
日間賀島に行きの高速船 日間賀島
次の」日間賀島行の船はタイミングよく37番札所大光院(だいこういん)のある東港に接岸する船だった。
日間賀島には西港と東港の二つの港があるが、札所と離れている島の中心地にある西港に着いても、所詮は小さな島なので
20分も歩けば着いてしまうようだ。
だが先ほどから雨がポツポツしているので、船が東港行きなのはありがたかった。
日間賀島ターミナル 大光院通用口
東港は船着き場がそのまま道路になっている感じの小さな港だったが、その正面の交差点には篠島には無かった信号機が
付いていた。雰囲気は篠島港より静かな感じだが、交通量が多いのだろうか。
船を下り切符を確認している人に、次の師崎行の時刻を確認すると25分後の1時40分だと言う。
25分では寺を探してお詣りして戻るには少し忙しすぎると思ったが 「大光院をお詣りして間に合いますかね?」 と聞いてみると
「充分間に合うよ。ほらあの角の入口から入ればすぐお寺だ」 と教えてくれた。
半信半疑でその方向に行くと、すぐ 「大光院 通用口」 の石碑が目に入った。そこを上り、閉まっていた土産屋の前を通ると
大光院だった。それこそ港から1・2分で着いてしまう場所で、これなら次の船に十分間に合う。
大光寺本堂 本堂内部
大光寺は昭和50年に本堂を落慶した現在の住職が中興の祖とかで、それまでは無住だったという。
開創は行基と伝えられていて、寺号も 「魚養山」 で、しかも漁業の盛んな島なのに何故大事にされてこなかったのだろう。
篠島では八十八の島弘法等を祀っていたのに比べ、その落差は何なんだろう。
寺や島に残る言い伝えを探したが面白い物はなかった。
遍路像? 大光院山門
変わった銅像が建っていて、遠くから見ると兵隊が銃を杖に行軍しているようにも見えたが、近付いてみるとどうやら遍路の
ようだった。学帽のような帽子を被り、国民服を着て脚にはゲートルを巻いているが、左手に数珠、右手は金剛杖を突いている。
さらに首からサンヤ袋をさげているので遍路像で間違いはなさそうだ。だだ恰好から行くと現在や昔の遍路ではなく、戦時中から
戦後にかけての遍路だろう。まさか中興の祖といわれる住職の若かりし頃の遍路姿か?
さっき登って来た道は矢張り裏口で、山門は別の所にあった。帰り道は手持ちの地図通り歩いたが、遠回りといっても港まで
2・3分で着いてしまった。
蛸像 蛸の土産
日間賀島はタコとふぐが名物とかで港には蛸の置物があった。蛸と云えばそれこそ蛸を凧のように広げて干している写真を
見た事があるが、今日は生憎の空模様でそんな風景を見る事が出来なかった。
代わりに何か土産物はないかと乗船券売り場の土産物屋を覗くと 「たこ飯の元」 が売っていたので購入。中々の味でした。
37番と日間賀島東港の道 (参考)
日間賀島には25分の滞在で1時40分の船で師崎港に戻りました。
朝は一電車遅くなり1時間遅れで出発したのが、ゴールに着いてみたら予定より1時間以上も早く着いてしまった。
この2時間は島見物をしようとした時間だったが、雨で中止したため早い到着になってしまった。
さて、次の河和行のバスはと時刻表を見ると、予定していた東側周りの河和行は40分待ちだったが、西回りの内海駅経由の
河和行もあり、そのバスは10分待ちだった。ただ西回りだと途中で半島を横断するので距離が断然長くなるから当然バス代も
高くなる。なら内海駅から電車に乗る手もあるが、朝、河和駅で時間があったので知多武豊駅までの切符は購入済みだった。
悩んでいても仕方ないので西周りのバスが来たので料金を聞いてみた。すると 「300円です」 と思いもよらない返事。
だって朝乗った河和駅~大井漁港までも300円だったのですよ。その何倍かの距離なのに同じ料金とは。
それなら迷う事はない、東回りのバスは次回も乗るので、今日は西回りの最初で最後の路線に乗ろう。
バスが空いていたので運転手にバス料金の事を聞いてみた。
「このバスは町営なので町内は160円だが、町を跨ぐと300円になる」 との事だった。
これで納得すればよいのに暇な頭は余計な事を考え出す。では次のバス停が隣町だったら料金はどうなる?
車内の料金表を停留所のたびに見ていると、内海高校前までは整理番号1が160円だったのが、ここを過ぎると300円になり、
新しく整理番号2の160円が表示された。その表示は終点河和駅まで変わらなかった。
という事は次のバス停が隣町だと即300円いなってしまうのだ。これではいけない。これでは町境の住民は隣町に行くときは
バスに乗らなくなる。私が経営者なら町境の前後3停留所位は160円に設定する。
300円で乗客がいないより160円にして少しでも乗客が乗った方のが儲かるだろう。マー暇な私です。
歩行時間:1時間50分 休憩時間:1時間50分 延時間:3時間40分
出発時刻:10時05分 到着時刻:13時45分
歩 数: 11、909歩(推定距離8.9km) GPS距離8.5km
行程表
大井バス停 0:10> 上陸大師 0:25> 35番 0:15> 36番 0:10> 師崎港 0:10> 篠島港 0:15> 38番 0:05> 番外
0:05> 39番 0:15> 篠島港 0:06> 日間賀島港 0:05> 37番 0:05> 日間賀島 0:05> 師崎港
37番大光院(バス料金)
日間賀島に行きの高速船 日間賀島
次の」日間賀島行の船はタイミングよく37番札所大光院(だいこういん)のある東港に接岸する船だった。
日間賀島には西港と東港の二つの港があるが、札所と離れている島の中心地にある西港に着いても、所詮は小さな島なので
20分も歩けば着いてしまうようだ。
だが先ほどから雨がポツポツしているので、船が東港行きなのはありがたかった。
日間賀島ターミナル 大光院通用口
東港は船着き場がそのまま道路になっている感じの小さな港だったが、その正面の交差点には篠島には無かった信号機が
付いていた。雰囲気は篠島港より静かな感じだが、交通量が多いのだろうか。
船を下り切符を確認している人に、次の師崎行の時刻を確認すると25分後の1時40分だと言う。
25分では寺を探してお詣りして戻るには少し忙しすぎると思ったが 「大光院をお詣りして間に合いますかね?」 と聞いてみると
「充分間に合うよ。ほらあの角の入口から入ればすぐお寺だ」 と教えてくれた。
半信半疑でその方向に行くと、すぐ 「大光院 通用口」 の石碑が目に入った。そこを上り、閉まっていた土産屋の前を通ると
大光院だった。それこそ港から1・2分で着いてしまう場所で、これなら次の船に十分間に合う。
大光寺本堂 本堂内部
大光寺は昭和50年に本堂を落慶した現在の住職が中興の祖とかで、それまでは無住だったという。
開創は行基と伝えられていて、寺号も 「魚養山」 で、しかも漁業の盛んな島なのに何故大事にされてこなかったのだろう。
篠島では八十八の島弘法等を祀っていたのに比べ、その落差は何なんだろう。
寺や島に残る言い伝えを探したが面白い物はなかった。
遍路像? 大光院山門
変わった銅像が建っていて、遠くから見ると兵隊が銃を杖に行軍しているようにも見えたが、近付いてみるとどうやら遍路の
ようだった。学帽のような帽子を被り、国民服を着て脚にはゲートルを巻いているが、左手に数珠、右手は金剛杖を突いている。
さらに首からサンヤ袋をさげているので遍路像で間違いはなさそうだ。だだ恰好から行くと現在や昔の遍路ではなく、戦時中から
戦後にかけての遍路だろう。まさか中興の祖といわれる住職の若かりし頃の遍路姿か?
さっき登って来た道は矢張り裏口で、山門は別の所にあった。帰り道は手持ちの地図通り歩いたが、遠回りといっても港まで
2・3分で着いてしまった。
蛸像 蛸の土産
日間賀島はタコとふぐが名物とかで港には蛸の置物があった。蛸と云えばそれこそ蛸を凧のように広げて干している写真を
見た事があるが、今日は生憎の空模様でそんな風景を見る事が出来なかった。
代わりに何か土産物はないかと乗船券売り場の土産物屋を覗くと 「たこ飯の元」 が売っていたので購入。中々の味でした。
37番と日間賀島東港の道 (参考)
日間賀島には25分の滞在で1時40分の船で師崎港に戻りました。
朝は一電車遅くなり1時間遅れで出発したのが、ゴールに着いてみたら予定より1時間以上も早く着いてしまった。
この2時間は島見物をしようとした時間だったが、雨で中止したため早い到着になってしまった。
さて、次の河和行のバスはと時刻表を見ると、予定していた東側周りの河和行は40分待ちだったが、西回りの内海駅経由の
河和行もあり、そのバスは10分待ちだった。ただ西回りだと途中で半島を横断するので距離が断然長くなるから当然バス代も
高くなる。なら内海駅から電車に乗る手もあるが、朝、河和駅で時間があったので知多武豊駅までの切符は購入済みだった。
悩んでいても仕方ないので西周りのバスが来たので料金を聞いてみた。すると 「300円です」 と思いもよらない返事。
だって朝乗った河和駅~大井漁港までも300円だったのですよ。その何倍かの距離なのに同じ料金とは。
それなら迷う事はない、東回りのバスは次回も乗るので、今日は西回りの最初で最後の路線に乗ろう。
バスが空いていたので運転手にバス料金の事を聞いてみた。
「このバスは町営なので町内は160円だが、町を跨ぐと300円になる」 との事だった。
これで納得すればよいのに暇な頭は余計な事を考え出す。では次のバス停が隣町だったら料金はどうなる?
車内の料金表を停留所のたびに見ていると、内海高校前までは整理番号1が160円だったのが、ここを過ぎると300円になり、
新しく整理番号2の160円が表示された。その表示は終点河和駅まで変わらなかった。
という事は次のバス停が隣町だと即300円いなってしまうのだ。これではいけない。これでは町境の住民は隣町に行くときは
バスに乗らなくなる。私が経営者なら町境の前後3停留所位は160円に設定する。
300円で乗客がいないより160円にして少しでも乗客が乗った方のが儲かるだろう。マー暇な私です。