歩行記録 H28-4-6(水)
歩行時間:6時間25分 休憩時間:1時間25分 延時間:7時間50分
出発時刻:7時00分 到着時刻:14時50分
歩 数: 31、123歩(推定距離22.09km) GPS距離19.4km
行程
二川駅 0:40> 松明峠(東山) 1:00> TV塔 0:15> 普門寺峠 0:15> 神石山 0:10> 雨宿岩 0:30> 多米峠 1:10>
大知波峠 0:25> 富士見岩 0:30> 本坂峠 0:30> 国道出合い 1:00> 三ケ日駅
新・花の百名山
タラの芽 マムシグサ 赤い道
私が勝手にタラの芽の若木と思っている木はあり過ぎるほどあったが、本物のタラの芽も所々で見かける。
本物の芽を取って香りを嗅ぐが匂いはしない。横にある若木の芽も嗅いてみると爽やかな香りする。
一度のこの新芽をザックに入れて歩いたら、常に爽やかな香りが漂ってきた。その新芽を家で天麩羅にして食べると、香りは
わからなくなり、タラの芽の特有のヌルッとした感触もしなかった。
別に腹痛にもならずに済んだが、特に美味しい物でもなく、まずい物でもなかった。
マー天麩羅にしてしまえば柿やお茶やユキノシタも皆同じようなものだが。
以前長野の旅館でモミジの葉の天麩羅を食べて 「美味しい!」 と盛んに褒めている人がいたが、本当に味が分かっているのか
疑問に感じた。尤も私みたいな味音痴に言われたくはないだろうが・・・・・
この時季お馴染みのマムシクサだが、その名は茎のまだら模様がマムシに似ているところからついたという。
だが茎もすることながら、この新芽の時の皮の表面の模様の方が、ハッキリしていて蛇の皮に似ていると思うのだが。
イヌツゲの案内 石巻尾根分岐
この辺りはイヌツゲの自生地だと案内した案内があったが、イヌツゲの木は余り見当たらなかった。
このルートを歩いてて道に悩み事は無かったが、一カ所アレ~って感じの標識があった。
豊橋自然歩道の稜線から西に分かれて石巻山へ行く分岐点の標識に、西向けて “遊歩道経て石巻山へ” とあり、北に向けて
“石巻尾根分岐” 、南は今来た “多米峠” になっていた。 私の行きたいのは大知波峠や本坂峠だがその記載は無い。
標識が無ければ何も悩むことなく北に向かった登っていく所だったのでそのまま直進をした。
するとまた石巻山を案内する標識が出て来た。さっきの標識はこの分岐を案内していたのだろうが、一言本坂峠か大知波峠を加えて
おけばもっと優しい標識になるだろう。
大知波峠 大知波峠
広々とした草原に出た。広場には標識や案内板、それと陶製の置物は五百羅漢か。
石碑には 「国指定史跡 大知波峠廃寺跡」 とある。案内場を読んだがあまりはっきりしないが、兎も角ここに10世紀から11世紀に
かけて大きな寺があったようだ。
広い草原では蕨採りをしている女性が3人と小さな愛玩犬を曳いた中年女性がいた。今日はすれ違った人は4・5人と少なく
カタクリ群生地や神石山のベンチでも2人づつ腰かけていただけだ。平日だからこんなものかもしれないが勿体ない気がする。
多米村三角点 イヌツゲ イヌツゲ
多米村の三等三角点の標高は400.34mでここまでの最高峰だが、沼津アルプスのような急激なアップダウンは無いので
案外楽に歩ける。花もあり、景色も良く、完備された標識と楽な道。お勧めのハイキングコースです。
イヌツゲの案内板があった辺りでは、小さな木しか見つからなかったが、ここには太くなったイヌツゲが何本もあった。
しかし花が咲くわけでも葉が紅葉するわけでもないイヌツゲは、魅力を感じない木の仲間だろう。
でも私はこの木に愛着がある。私が小学生だった頃の御殿場地方は、道祖神(どうそうじんと言っていた)が盛んで、地区の
小学生は総出で竹刈やお飾り集めに没頭した。1月14日のどんどん焼(どんど焼とは言わなかった)の夜は1軒の家に集まり
御馳走の夕飯を食べて、その後は無料の映画を見に行ったものだ。それが当時の私には一番の楽しみごとだった。
それとイヌツゲがどう結びつくかだが、各家庭では “どうそうじん” に合わせて紅白の花餅をイヌツゲ(ビンカと言っていた)の枝に
差して飾る風習があり、そのビンカを取ってくるのも子供の役目だった。
オッと誤解しないでくださいよ、餅を差すといっても1個や2個じゃぁないので、高さ横ともに60cm位はある枝でした。なのでとても
手で折るなん事はできないので鋸で切ったものです。そのビンカを家に持ち帰り無駄な枝や葉を落として整枝してから餅を差します。
そしてそれを玄関近くの柱に縛って飾ったものです。 そんな思い出があるのでこの面白みのない木に愛着を感じるのです。
でもここのイヌツゲは上に高いが、子供の頃あったビンカは、もっと背が低く横幅のある木で小川の畔に生えていました。
私の後ろを犬を連れた女性が付いてくるので、何処まで来るのか心配になり声を掛けた。すると
「大知波峠の下にある “おちばの里” に車を置いてあるので、富士見岩まで行ってそこからおちばの里に下る」 のだそうだ。
成程そんなコースも取れるのか。そういえば今日出会った人で縦走をしている感じの人はいなかった、皆軽装でザックも持たない
人もいたが、きっとこんな周回コースや目的地へピストンしているのだろう。
で、チョッと気になる事があった。確か今の人は 「おちばの里」 と言っていたが 「おおちば(大知波)」 の聞き間違いなのか、それとも
“大知波” は “おちば” と読むのか。湖西市の地名を調べると 「大知波」 は 「おおちば」 だった。なら聞き間違えかと湖西市のHPで
確認すると、大知波峠の下に 「おちばの里 親水公園」 ありました。紛らわしい話で済みませんでした。
富士見岩 富士見岩
オォー! 立派な岩がドンと居座っている。岩の上には先客の女性が2名いたが私も仲間入りさせてもらった。
流石に今日の空模様では富士山は見えなかったので 「本当にここから富士山が見えるのですか」 と聞くと
「勿論見えますよ。こっちの方角です。」 と鉄塔の立つ方角を指さした。
富士見岩から 富士見岩から
上の写真の方向に富士山が見えるらしいが今日は途中の山すら見えない。その彼女たちが面白い事を教えてくれた。
豊橋自然歩道は 「新花の百名山」 に指定されていて、途中に分岐のあった葦毛(いもう)湿原は元からの 「花の百名山」 だと言う。
疑り深い私は家に帰り早速花の百名山を調べてみると、間違いなく両方共に指定されていた。
因みに花の百名山とは田中澄江が 「花の百名山」 の随筆集で紹介した山で、新・花の百名山も田中澄江の 「新・花の百名山」 の
随筆集で紹介した山だそうだ。
まず “花の百名山” を見ると、葦毛湿原に咲く 「シラタマホシクサ(白玉星草)」 と、聞いたこともない花が指定されていた。
記事欄には葦毛湿原のことを 「東海のミニ尾瀬」 と紹介していて、湿原を渡る木道の写真も掲載されていた。
一方 “新・花の百名山” は豊橋自然歩道の名前ではなく、静岡県と愛知県を範囲にした 「弓張山地」 となっていた。
記事欄にはまたもや葦毛湿原の名前が載っていて、花は 「チゴユリ・ミカワバケイソウ・キリンソウ」 だった。
これじゃぁ次回は何としてでも葦毛湿原に行かなければ。と、また新しい宿題が出来てしまった。
女性たちは先に岩を下りていたっが、私は本坂峠を下る事にしたので岩の上でゆっくり景色を眺めていた。
たまにはこんなゆとりもいいものだ。これで氷結があれば・・・・ イエ私は歩きの途中では飲みません。
嵩山(すやま)自然歩道分岐 頭浅間
剥きだしになった岩盤の上の道に 「嵩山(すせ)自然歩道」 の分岐があった。普通なら “嵩山” を “すせ” とはとても読めないが
東海道の脇街道である姫街道を歩いた時に “嵩山宿” を通ったので、その時に覚えた地名だ。(だがすぐ忘れる)
その嵩山宿への分岐があるなら姫街道の峠である本坂峠は近い。
“頭浅間” とか “大山浅間” と名の付いた小さな神社に着いた。最初はてっきり浅間神社と思っていたが神社の由緒書きを見て
それが間違いだと云う事に気がついた。
「頭浅間(大山社) 祭神・大山祗命(おおやまずみのみこと) 御利益・頭の病に霊験あらたかとされる。大黒頭巾が願かけの
お礼として、神前の大榊に吊るす風習がある」 そうです。大黒頭巾とは “大きい黒頭巾” ではなく、七福神の大黒天が被っている
ダブダブのベレー帽、謂わば和製ベレー帽みたいなやつです。
浅間神社の祭神と云えば 「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」 なのだから大山祗命では浅間神社ではない。
大山祗命と云えば愛媛県今治市大三島にある大山祇神社や、静岡県三島市にある三嶋大社の祭神として知られているが、あの
神社は確か海の神を祀っていた筈だ。
少し引っかかったので “頭浅間” をさらに調べると、こんな事が分かった
嵩山集落には 「頭浅間(大山社)」 の他にも 「腹浅間(原川社)」 と 「足浅間(富士社)」 が祀られていて、この三社三神を総称して
「嵩山浅間神社」 としているようだ。
それぞれの神の御利益は、名前の通り “頭浅間” は頭の病、 “腹浅間” は腹の病、そして “足浅間” は勿論足の病に御利益が
あるそうだ。お礼参りには頭巾、腹掛け、脚絆を神前の大榊に掛けるようになっている。
成程その三つが揃えば足腰、腹胸、頭と体の全てに御利益があるわけだから効率がいい。
この神社には興味や疑問はまだまだあるが、今回はこの位で先に進もう。オッと神前の木には何も無かったが、神社の壁には
白い布の袋のような物が何枚か吊るされていた。これが大黒頭巾なのだろう。
更に壁には祭りのポスターも貼られていて、そこには
「嵩山浅間神社は、天平勝宝2年富士山現神社より勧請されたと伝えられる。」 とあった。
更に祭神は腹浅間は “木花咲耶姫” で、足浅間は “秋津姫命” となっていた。
ウーン それでは矢張りこの神社は浅間神社なのだろう。しかし大山祗命や秋津姫命はなぜ祭神になったのか?
きりがないからここらで止めて先に行こう。
最後の浜名湖 送電線が地中に?
神社の裏の浜名湖が見えている所にあった鉄塔は、西から来た送電線は受けているが、そこから先には送電線が延びていなかった。
そのため鉄塔が一方に引かれて倒れるのを防ぐためか、鉄塔上から東の地中に向かって6本のワイヤが延びていた。
と、思ったが、それでは送電線の行き先が無くなってしまう。なら地中に延びているワイヤは送電線なのか?
しかしこんな山の中から送電線を地中化したら設備費が掛かってどうしょうもない。と言っても近くにある施設と云えば神社というより
社に近い腹浅間があるだけだ。さらよく見ると西から来た送電線は7本で地中に向かっているのは6本だ。
本数は見間違いかもしれないが、その鉄塔は間違いなく片方にしか送電線は伸びていなかった。
家に帰り地理院の地図で調べると、神社の鳥居のマークの少し北に、西から伸びて来た線がそこで少し向きを変えて東に延びている。
その時の私は一時的に錯乱していたのか。いやそんなことはない。鉄塔の証拠写真もあるのだから・・・・・
本坂峠 本坂峠から中山峠への道
本坂峠に1時15分到着。この峠は今回で4回目だが過去の3回は全て姫街道の峠越えだった。今回はその峠道を横断して更に
北の峠を目指していたが、それは断念してこの峠を下る事にした。
しかしいささか未練が残りその先の道を覗いてみた。 「豊橋自然歩道本線 中山峠まで約4km余 健脚コース」 と書かれた標識の
先に入っていくと、10mも行かないうちに道は雑草や笹に覆われてしまった。止めた、止めた。これで未練はなくなった。
私が覗いた自然歩道の標識は大きな案内板の左側だったが、案内板の右側には踏み跡もしっかりした道が北に登っている。
その道脇にある白い案内板は営林署の注意書きで道標ではないが、雰囲気としてこの道が中山峠への道だろうと思った。
だが既に気持ちは冷めていて今更登る気にはなれなかった。
姫街道の石畳 鏡 石
石畳の途中に 「椿の群生地」 の看板があったが、そこに落下ししている椿の量は尾根道で見たものより少なかった。
標高が低いので花が終わるのが早いのだろう。それでも並木のように両側にある椿の木の数は多く、一度は歩いてみたくなる。
群生地が終わると一旦舗装道を横断しまた石畳の道を下るのだが、その道は歩きづらかった。
踏みつける事の出来ない木の枝や石がゴロゴロしているし、石畳も滑りやすい。どうやら椿見物やハイカーの人は、さっきの
舗装道路に車を置いて行くので、ここは歩かないようだ。
三ケ日の宿が近づくと昔の旅人はこの鏡岩に身を写し身だしなみを整えたという。(本当かな?)
国道合流(ミカン畑) 奥浜名湖自然歩道案内板
歩きづらく感じていた峠道がやっと国道に合流してホッとした。ここからは滑る心配のない舗装道路だけだ。
国道の先に “ふじのくに” と看板のある建物があるがトイレのように見える。
と、ここに旧三ヶ日町が建てた 「奥浜名湖自然歩道案内板」 があった。
それには富士見岩から北の本坂峠・中山峠・宇利峠そしてその先の雨生山を 「奥浜名湖自然歩道」 と案内していた。
そうなると今日は二川自然歩道を松明峠まで歩き、そこから豊橋自然歩道を神石山までを行き、そこで湖西連峰と合流して富士見岩
まで行く。富士見岩で湖西連峰は終り、今度は奥浜名自然歩道と豊橋自然歩道を本坂峠まで歩いた事になる。
これらの名前以外にも、前回コメントをくれたあやさんの “3月の山” のブログに 「弓張山地」 とも書いてがあった。
初めて聞く名前だったので早速調べてみると
弓張山地概念図
「弓張山地は、赤石山脈の南側の愛知県豊橋市・新城市と静岡県湖西市・浜松市北区にまたがる、南アルプスの南端の山域で、
愛知県と静岡県境を弓状に連なる山域であり、太平洋沿岸付近まで約50kmに亘って延びている。」 のだそうだ。
南アルプス云々はさておき、ここの山域全体を表すには中々いい呼称のように感じる。これに浜名湖の西側に当たる本坂峠の
辺りから南を “弓張山地の湖西連峰” 、北を “弓張山地の湖北連峰” としたらどうだろう。
アッ これでは愛知県側が納得しないな。私は矢張り静岡県人だった。
洞窟利用 石 垣
家の後ろ側が崖になっている民家では、崖に穴を掘って利用しているようだ。物置だろうか。
三ケ日の街中を歩いていると感じの良い石材を使った石垣が目につく。ネットで調べると 「三ケ日石」 なる物があるようだが詳細は
分からなかった。石垣を作った当初は白っぽく、年月が経つと色の濃さが増して赤黒く見えるようだ。
浜納豆 考える人
三ケ日駅に着き電車の時刻表を見ると、前の電車は10分ほど前に出たばかりで、次の電車まで50分ほど待たなければならない。
それなら三ケ日名物 「浜納豆」 を久し振りの土産にしようと町の中をうろついた。
浜納豆は普通の糸引き納豆と違い、練っても糸は引かず、形は兎の糞のように丸めた物で色は黒っぽい茶色だ。材料も豆ではなく
味噌そのものの様で、味はショッぱく一度に沢山の量は食べられない。
私は暖かいご飯の中に入れて膨らんで柔らかくして食べたり、そのまま酒のつまみにしたりするが、年中食べたい物ではない。
写真の包装紙にある “大福寺” とは、中国から浜納豆の製法を持ってきた寺の名前で、今でも製造販売しているそうです。
三ケ日駅の構内にあるロダンの像。何故ここにと、私が考える人になってしまった。
イエ、ロダンの像を写したかったのではなく、横にある標高表示を写したかったのです。
そこには 「海抜1.6m」 とあるが、これを見るたびに不思議な感覚になる。海から遠く離れ山の中なのに何故1.6mかと。
浜名湖が湖でなく海の一部だとは頭では理解しているのに、山上から見る浜名湖は海には見えないし、岸辺を歩いても打ち寄せる
波の大きさは湖そのものだ。なので海という知識はあるが感覚は湖なってしまうようだ。
三ケ日駅 天浜線電車
浜納豆を買って店にタイミング良く氷結を売っていたので2本購入した。常なら1本だが今日は掛川まで電車を2時間弱も乗る。
それなら1本では足りなかろうと2本買ったのだが、電車に乗る前に1本は飲んでしまい。もう1本を我慢するのが大変だった。
歩行時間:6時間25分 休憩時間:1時間25分 延時間:7時間50分
出発時刻:7時00分 到着時刻:14時50分
歩 数: 31、123歩(推定距離22.09km) GPS距離19.4km
行程
二川駅 0:40> 松明峠(東山) 1:00> TV塔 0:15> 普門寺峠 0:15> 神石山 0:10> 雨宿岩 0:30> 多米峠 1:10>
大知波峠 0:25> 富士見岩 0:30> 本坂峠 0:30> 国道出合い 1:00> 三ケ日駅
新・花の百名山
タラの芽 マムシグサ 赤い道
私が勝手にタラの芽の若木と思っている木はあり過ぎるほどあったが、本物のタラの芽も所々で見かける。
本物の芽を取って香りを嗅ぐが匂いはしない。横にある若木の芽も嗅いてみると爽やかな香りする。
一度のこの新芽をザックに入れて歩いたら、常に爽やかな香りが漂ってきた。その新芽を家で天麩羅にして食べると、香りは
わからなくなり、タラの芽の特有のヌルッとした感触もしなかった。
別に腹痛にもならずに済んだが、特に美味しい物でもなく、まずい物でもなかった。
マー天麩羅にしてしまえば柿やお茶やユキノシタも皆同じようなものだが。
以前長野の旅館でモミジの葉の天麩羅を食べて 「美味しい!」 と盛んに褒めている人がいたが、本当に味が分かっているのか
疑問に感じた。尤も私みたいな味音痴に言われたくはないだろうが・・・・・
この時季お馴染みのマムシクサだが、その名は茎のまだら模様がマムシに似ているところからついたという。
だが茎もすることながら、この新芽の時の皮の表面の模様の方が、ハッキリしていて蛇の皮に似ていると思うのだが。
イヌツゲの案内 石巻尾根分岐
この辺りはイヌツゲの自生地だと案内した案内があったが、イヌツゲの木は余り見当たらなかった。
このルートを歩いてて道に悩み事は無かったが、一カ所アレ~って感じの標識があった。
豊橋自然歩道の稜線から西に分かれて石巻山へ行く分岐点の標識に、西向けて “遊歩道経て石巻山へ” とあり、北に向けて
“石巻尾根分岐” 、南は今来た “多米峠” になっていた。 私の行きたいのは大知波峠や本坂峠だがその記載は無い。
標識が無ければ何も悩むことなく北に向かった登っていく所だったのでそのまま直進をした。
するとまた石巻山を案内する標識が出て来た。さっきの標識はこの分岐を案内していたのだろうが、一言本坂峠か大知波峠を加えて
おけばもっと優しい標識になるだろう。
大知波峠 大知波峠
広々とした草原に出た。広場には標識や案内板、それと陶製の置物は五百羅漢か。
石碑には 「国指定史跡 大知波峠廃寺跡」 とある。案内場を読んだがあまりはっきりしないが、兎も角ここに10世紀から11世紀に
かけて大きな寺があったようだ。
広い草原では蕨採りをしている女性が3人と小さな愛玩犬を曳いた中年女性がいた。今日はすれ違った人は4・5人と少なく
カタクリ群生地や神石山のベンチでも2人づつ腰かけていただけだ。平日だからこんなものかもしれないが勿体ない気がする。
多米村三角点 イヌツゲ イヌツゲ
多米村の三等三角点の標高は400.34mでここまでの最高峰だが、沼津アルプスのような急激なアップダウンは無いので
案外楽に歩ける。花もあり、景色も良く、完備された標識と楽な道。お勧めのハイキングコースです。
イヌツゲの案内板があった辺りでは、小さな木しか見つからなかったが、ここには太くなったイヌツゲが何本もあった。
しかし花が咲くわけでも葉が紅葉するわけでもないイヌツゲは、魅力を感じない木の仲間だろう。
でも私はこの木に愛着がある。私が小学生だった頃の御殿場地方は、道祖神(どうそうじんと言っていた)が盛んで、地区の
小学生は総出で竹刈やお飾り集めに没頭した。1月14日のどんどん焼(どんど焼とは言わなかった)の夜は1軒の家に集まり
御馳走の夕飯を食べて、その後は無料の映画を見に行ったものだ。それが当時の私には一番の楽しみごとだった。
それとイヌツゲがどう結びつくかだが、各家庭では “どうそうじん” に合わせて紅白の花餅をイヌツゲ(ビンカと言っていた)の枝に
差して飾る風習があり、そのビンカを取ってくるのも子供の役目だった。
オッと誤解しないでくださいよ、餅を差すといっても1個や2個じゃぁないので、高さ横ともに60cm位はある枝でした。なのでとても
手で折るなん事はできないので鋸で切ったものです。そのビンカを家に持ち帰り無駄な枝や葉を落として整枝してから餅を差します。
そしてそれを玄関近くの柱に縛って飾ったものです。 そんな思い出があるのでこの面白みのない木に愛着を感じるのです。
でもここのイヌツゲは上に高いが、子供の頃あったビンカは、もっと背が低く横幅のある木で小川の畔に生えていました。
私の後ろを犬を連れた女性が付いてくるので、何処まで来るのか心配になり声を掛けた。すると
「大知波峠の下にある “おちばの里” に車を置いてあるので、富士見岩まで行ってそこからおちばの里に下る」 のだそうだ。
成程そんなコースも取れるのか。そういえば今日出会った人で縦走をしている感じの人はいなかった、皆軽装でザックも持たない
人もいたが、きっとこんな周回コースや目的地へピストンしているのだろう。
で、チョッと気になる事があった。確か今の人は 「おちばの里」 と言っていたが 「おおちば(大知波)」 の聞き間違いなのか、それとも
“大知波” は “おちば” と読むのか。湖西市の地名を調べると 「大知波」 は 「おおちば」 だった。なら聞き間違えかと湖西市のHPで
確認すると、大知波峠の下に 「おちばの里 親水公園」 ありました。紛らわしい話で済みませんでした。
富士見岩 富士見岩
オォー! 立派な岩がドンと居座っている。岩の上には先客の女性が2名いたが私も仲間入りさせてもらった。
流石に今日の空模様では富士山は見えなかったので 「本当にここから富士山が見えるのですか」 と聞くと
「勿論見えますよ。こっちの方角です。」 と鉄塔の立つ方角を指さした。
富士見岩から 富士見岩から
上の写真の方向に富士山が見えるらしいが今日は途中の山すら見えない。その彼女たちが面白い事を教えてくれた。
豊橋自然歩道は 「新花の百名山」 に指定されていて、途中に分岐のあった葦毛(いもう)湿原は元からの 「花の百名山」 だと言う。
疑り深い私は家に帰り早速花の百名山を調べてみると、間違いなく両方共に指定されていた。
因みに花の百名山とは田中澄江が 「花の百名山」 の随筆集で紹介した山で、新・花の百名山も田中澄江の 「新・花の百名山」 の
随筆集で紹介した山だそうだ。
まず “花の百名山” を見ると、葦毛湿原に咲く 「シラタマホシクサ(白玉星草)」 と、聞いたこともない花が指定されていた。
記事欄には葦毛湿原のことを 「東海のミニ尾瀬」 と紹介していて、湿原を渡る木道の写真も掲載されていた。
一方 “新・花の百名山” は豊橋自然歩道の名前ではなく、静岡県と愛知県を範囲にした 「弓張山地」 となっていた。
記事欄にはまたもや葦毛湿原の名前が載っていて、花は 「チゴユリ・ミカワバケイソウ・キリンソウ」 だった。
これじゃぁ次回は何としてでも葦毛湿原に行かなければ。と、また新しい宿題が出来てしまった。
女性たちは先に岩を下りていたっが、私は本坂峠を下る事にしたので岩の上でゆっくり景色を眺めていた。
たまにはこんなゆとりもいいものだ。これで氷結があれば・・・・ イエ私は歩きの途中では飲みません。
嵩山(すやま)自然歩道分岐 頭浅間
剥きだしになった岩盤の上の道に 「嵩山(すせ)自然歩道」 の分岐があった。普通なら “嵩山” を “すせ” とはとても読めないが
東海道の脇街道である姫街道を歩いた時に “嵩山宿” を通ったので、その時に覚えた地名だ。(だがすぐ忘れる)
その嵩山宿への分岐があるなら姫街道の峠である本坂峠は近い。
“頭浅間” とか “大山浅間” と名の付いた小さな神社に着いた。最初はてっきり浅間神社と思っていたが神社の由緒書きを見て
それが間違いだと云う事に気がついた。
「頭浅間(大山社) 祭神・大山祗命(おおやまずみのみこと) 御利益・頭の病に霊験あらたかとされる。大黒頭巾が願かけの
お礼として、神前の大榊に吊るす風習がある」 そうです。大黒頭巾とは “大きい黒頭巾” ではなく、七福神の大黒天が被っている
ダブダブのベレー帽、謂わば和製ベレー帽みたいなやつです。
浅間神社の祭神と云えば 「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」 なのだから大山祗命では浅間神社ではない。
大山祗命と云えば愛媛県今治市大三島にある大山祇神社や、静岡県三島市にある三嶋大社の祭神として知られているが、あの
神社は確か海の神を祀っていた筈だ。
少し引っかかったので “頭浅間” をさらに調べると、こんな事が分かった
嵩山集落には 「頭浅間(大山社)」 の他にも 「腹浅間(原川社)」 と 「足浅間(富士社)」 が祀られていて、この三社三神を総称して
「嵩山浅間神社」 としているようだ。
それぞれの神の御利益は、名前の通り “頭浅間” は頭の病、 “腹浅間” は腹の病、そして “足浅間” は勿論足の病に御利益が
あるそうだ。お礼参りには頭巾、腹掛け、脚絆を神前の大榊に掛けるようになっている。
成程その三つが揃えば足腰、腹胸、頭と体の全てに御利益があるわけだから効率がいい。
この神社には興味や疑問はまだまだあるが、今回はこの位で先に進もう。オッと神前の木には何も無かったが、神社の壁には
白い布の袋のような物が何枚か吊るされていた。これが大黒頭巾なのだろう。
更に壁には祭りのポスターも貼られていて、そこには
「嵩山浅間神社は、天平勝宝2年富士山現神社より勧請されたと伝えられる。」 とあった。
更に祭神は腹浅間は “木花咲耶姫” で、足浅間は “秋津姫命” となっていた。
ウーン それでは矢張りこの神社は浅間神社なのだろう。しかし大山祗命や秋津姫命はなぜ祭神になったのか?
きりがないからここらで止めて先に行こう。
最後の浜名湖 送電線が地中に?
神社の裏の浜名湖が見えている所にあった鉄塔は、西から来た送電線は受けているが、そこから先には送電線が延びていなかった。
そのため鉄塔が一方に引かれて倒れるのを防ぐためか、鉄塔上から東の地中に向かって6本のワイヤが延びていた。
と、思ったが、それでは送電線の行き先が無くなってしまう。なら地中に延びているワイヤは送電線なのか?
しかしこんな山の中から送電線を地中化したら設備費が掛かってどうしょうもない。と言っても近くにある施設と云えば神社というより
社に近い腹浅間があるだけだ。さらよく見ると西から来た送電線は7本で地中に向かっているのは6本だ。
本数は見間違いかもしれないが、その鉄塔は間違いなく片方にしか送電線は伸びていなかった。
家に帰り地理院の地図で調べると、神社の鳥居のマークの少し北に、西から伸びて来た線がそこで少し向きを変えて東に延びている。
その時の私は一時的に錯乱していたのか。いやそんなことはない。鉄塔の証拠写真もあるのだから・・・・・
本坂峠 本坂峠から中山峠への道
本坂峠に1時15分到着。この峠は今回で4回目だが過去の3回は全て姫街道の峠越えだった。今回はその峠道を横断して更に
北の峠を目指していたが、それは断念してこの峠を下る事にした。
しかしいささか未練が残りその先の道を覗いてみた。 「豊橋自然歩道本線 中山峠まで約4km余 健脚コース」 と書かれた標識の
先に入っていくと、10mも行かないうちに道は雑草や笹に覆われてしまった。止めた、止めた。これで未練はなくなった。
私が覗いた自然歩道の標識は大きな案内板の左側だったが、案内板の右側には踏み跡もしっかりした道が北に登っている。
その道脇にある白い案内板は営林署の注意書きで道標ではないが、雰囲気としてこの道が中山峠への道だろうと思った。
だが既に気持ちは冷めていて今更登る気にはなれなかった。
姫街道の石畳 鏡 石
石畳の途中に 「椿の群生地」 の看板があったが、そこに落下ししている椿の量は尾根道で見たものより少なかった。
標高が低いので花が終わるのが早いのだろう。それでも並木のように両側にある椿の木の数は多く、一度は歩いてみたくなる。
群生地が終わると一旦舗装道を横断しまた石畳の道を下るのだが、その道は歩きづらかった。
踏みつける事の出来ない木の枝や石がゴロゴロしているし、石畳も滑りやすい。どうやら椿見物やハイカーの人は、さっきの
舗装道路に車を置いて行くので、ここは歩かないようだ。
三ケ日の宿が近づくと昔の旅人はこの鏡岩に身を写し身だしなみを整えたという。(本当かな?)
国道合流(ミカン畑) 奥浜名湖自然歩道案内板
歩きづらく感じていた峠道がやっと国道に合流してホッとした。ここからは滑る心配のない舗装道路だけだ。
国道の先に “ふじのくに” と看板のある建物があるがトイレのように見える。
と、ここに旧三ヶ日町が建てた 「奥浜名湖自然歩道案内板」 があった。
それには富士見岩から北の本坂峠・中山峠・宇利峠そしてその先の雨生山を 「奥浜名湖自然歩道」 と案内していた。
そうなると今日は二川自然歩道を松明峠まで歩き、そこから豊橋自然歩道を神石山までを行き、そこで湖西連峰と合流して富士見岩
まで行く。富士見岩で湖西連峰は終り、今度は奥浜名自然歩道と豊橋自然歩道を本坂峠まで歩いた事になる。
これらの名前以外にも、前回コメントをくれたあやさんの “3月の山” のブログに 「弓張山地」 とも書いてがあった。
初めて聞く名前だったので早速調べてみると
弓張山地概念図
「弓張山地は、赤石山脈の南側の愛知県豊橋市・新城市と静岡県湖西市・浜松市北区にまたがる、南アルプスの南端の山域で、
愛知県と静岡県境を弓状に連なる山域であり、太平洋沿岸付近まで約50kmに亘って延びている。」 のだそうだ。
南アルプス云々はさておき、ここの山域全体を表すには中々いい呼称のように感じる。これに浜名湖の西側に当たる本坂峠の
辺りから南を “弓張山地の湖西連峰” 、北を “弓張山地の湖北連峰” としたらどうだろう。
アッ これでは愛知県側が納得しないな。私は矢張り静岡県人だった。
洞窟利用 石 垣
家の後ろ側が崖になっている民家では、崖に穴を掘って利用しているようだ。物置だろうか。
三ケ日の街中を歩いていると感じの良い石材を使った石垣が目につく。ネットで調べると 「三ケ日石」 なる物があるようだが詳細は
分からなかった。石垣を作った当初は白っぽく、年月が経つと色の濃さが増して赤黒く見えるようだ。
浜納豆 考える人
三ケ日駅に着き電車の時刻表を見ると、前の電車は10分ほど前に出たばかりで、次の電車まで50分ほど待たなければならない。
それなら三ケ日名物 「浜納豆」 を久し振りの土産にしようと町の中をうろついた。
浜納豆は普通の糸引き納豆と違い、練っても糸は引かず、形は兎の糞のように丸めた物で色は黒っぽい茶色だ。材料も豆ではなく
味噌そのものの様で、味はショッぱく一度に沢山の量は食べられない。
私は暖かいご飯の中に入れて膨らんで柔らかくして食べたり、そのまま酒のつまみにしたりするが、年中食べたい物ではない。
写真の包装紙にある “大福寺” とは、中国から浜納豆の製法を持ってきた寺の名前で、今でも製造販売しているそうです。
三ケ日駅の構内にあるロダンの像。何故ここにと、私が考える人になってしまった。
イエ、ロダンの像を写したかったのではなく、横にある標高表示を写したかったのです。
そこには 「海抜1.6m」 とあるが、これを見るたびに不思議な感覚になる。海から遠く離れ山の中なのに何故1.6mかと。
浜名湖が湖でなく海の一部だとは頭では理解しているのに、山上から見る浜名湖は海には見えないし、岸辺を歩いても打ち寄せる
波の大きさは湖そのものだ。なので海という知識はあるが感覚は湖なってしまうようだ。
三ケ日駅 天浜線電車
浜納豆を買って店にタイミング良く氷結を売っていたので2本購入した。常なら1本だが今日は掛川まで電車を2時間弱も乗る。
それなら1本では足りなかろうと2本買ったのだが、電車に乗る前に1本は飲んでしまい。もう1本を我慢するのが大変だった。