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Channel: はぐれ遍路のひとりごと
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奥沼+沼津アルプス Ⅲ

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歩行記録                                                           H28-3-29(火)
歩行時間:8時間00分   休憩時間:1時間05分   延時間:9時間05分
出発時刻:7時30分     到着時刻:16時35分
歩  数: 25、611歩(推定距離18.17km)    GPS距離13.2km
行程
 原木駅 1:10> 日守山 1:35> 大平山 0:50> 鷲頭山 0:10> 小鷲頭山 0:40> 志下山 0:45> 徳倉山 0:40>
 横 山 1:00> 香貫山 1:10> 沼津駅

                              沼津アルプス2回目
          

      
             志下坂峠を登ると淡島が見えた。                            リョウブ?

 前回沼アを歩いたのは12月で、富士山もバッチリ見えていたが、今日は春霞なのか遠くの景色は霞んでいてはっきり見えない。
加えて安いカメラを上手に操作する撮影技術もないので、実際の景色より悪い状態にしか写す事ができない。
きっとここを歩いた方は写真と現物が違うと思われる事でしょう。

 キリンの縞模様のように肌が剥けた木が目につくようになった。確か 「リョウブ(令法)」 だったとどこかの山で見て調べた事を
思い出した。語源は 「昔、飢饉に備え、若葉を食料にするため、令にて植えさせたため」 で法律で命じた事が名の謂れらしい。
今でも “リョウブ飯” といい、この木の葉を炊きこんだご飯があるそうだ。
このリョウブの木に 「象の背282」 の標識が掛かっているのを見て、この木の名が “象の背” なのかと思ったが、象皮病にしては
縞模様は大きくザラザラにもなっていない。では木の恰好かとも思ったが、まっすぐ伸びた幹は象の背中とはとても思えなかった。
だが “282” とは標高のようで、どうやら “象の背” と呼ぶピークのようだ。
家で地形図を見ると志下坂峠の北に282mのピークがあったので、そのピークが象の背なのだろう。

      
               しおみち広場からの沼津市街                        旧塩満村の馬頭観音

 石仏がある少し広くなった場所に案内板が建っていた。
 「徳倉山(通称象山)の南面の200坪くらいの平地は、明治時代の養蚕殖産振興のため桑野植栽をしていました。
昭和に入り第2次世界大戦の末期には、米軍機の抗戦のために機関銃座を据えた事もありました。
戦後の食糧難にはサツマイモ畑に転用されたこともあります。」 とあった。
 海岸線の狭い村には平地が少なく、こんな上の方にも桑畑やサツマイモ畑を作らなければならなかったのだろう。

 馬頭観音は案内板を読むと “永享5年作” とあるので270年近く前になり、鷲頭山にあった “文政3年” より80年も古い
事になる。その当時ここは峠でもなく桑畑も無い時代なのになぜ馬頭観音が祀られているのか?
その答えは案内板に書いてあった。
 「永享年代は江戸幕府徳川吉宗の時代(「生類憐みの令」があった時代)で、家族同様に飼っていた牛馬が亡くなった折りには
ねんごろに供養をしました。以前から徳倉山には馬頭観音はあると伝えられていましたが何処にあるか不明でした。
ところが平成25年に塩満町有志が徳倉山の山中で馬頭観音を見つけることが出来ました。」 

      
                     機関銃座の跡                               木の根の道

 案内が無ければただの穴に過ぎないが案内板を見ると感慨を覚える。
沼津大空襲は昭和20年の事で私の住んでいた御殿場からでも沼津方面が赤く見えたという。勿論私は1歳そこそこなので何の
記憶もないが、両親から聞いたこの話は不思議に覚えている。
当時は日本軍の高射砲は上空を飛ぶB29を撃っても弾は届かなかったという。そこで少しでも高台に銃座を設けたのだろう。
で、また私の悪い癖が出てきてしまった。
ここにあったのは高射砲でなく機関銃? それでは当然弾はB29には届かなかったろう。それに案内板には 「昭和18年頃の
対空濠」 とあるが、本土がB29により空襲を受け始めたのは昭和19年で、昭和18年なら戦況が悪化してきた間際だ。
沼津の司令部は随分準備が良かったことになるが・・・・・

  
      こんなロープ場もある                徳倉山の標識                  徳倉山の三角点

 岩もない場所にもロープ場もあったが、ロープを掴む癖がついてしまったのかすぐロープを頼りにいてしまった。

 徳倉山からの景色の写真がないので多分山頂からの眺めは余り良くなかったのだろう。
広場になった山頂には256mの三角点があった。若しかしてこの三角点の名称は “象山” ではないかと調べたが・・・・
残念。徳倉山だった。案内板に徳倉山の通称は “象山” だとあったので期待したのだが・・・・

 この256mの山頂が象の頭で、282mのピークが象の背となると、首にあたる部分の鞍部はと調べると203mだった。
地形図から山の形などとても想像できないが、背中に当たる尾根が平らになっている。この山を麓から見れば像に見えるかもと
画像を検索したがヒットしなかった。

      
                  木陰に香貫山が                                 牛臥山か

 徳倉山から横山峠への下りにはロープ場ならぬクサリ場があった。と、書くとクサリ場? と恐れられてしまうが、通常のクサリ場
とは違い、今まであったロープがクサリになっただけの事です。
どちらかと云えば鎖を支える杭の間隔が狭く、しかも低いのでクサリの振れる幅も少なく利用しやすい感じでした。

 前方の左側の木陰に頂が見えてきた。あれは香貫山か横山か。いずれにしてもまだ先は長そうだ。
海岸には海際に小山が見えているが、あれは我入道の牛臥山なのだろう。あの山の横に我入道出身の芹沢光治良記念館が
あり一度寄った事がある。

 横山に登る手前の細い道を下ってくる団体に出会った。狭くてすれ違う事が出来ないので横に除けたが中々行列が終わらない。
自分も団体歩行をしたことはあるので前の人と間が開くのは嫌だったのは覚えている。でもこう際限もないとナ~。
やっと終わったと思ったら後ろの方から 「ありがとうございました。」 の声が聞こえてきた。きっと先頭の人が言ってくれたのだろう。
これでイライラし始めた気は治まった。

      
                     横山山頂                                  八重坂峠

 前回の記憶では横山はアップダウンが少なくロープ場は無いが山頂は狭くて景色の見えないと記憶していた。
だが違った。景色こそ見えなかったが特段狭い山頂ではなかった。
更に無いと思っていたロープ場は、八重坂峠に下る途中に長いロープ場があって、これで終わりかと思ったらまた出て来た。
流石ロープには飽きてきたが、ロープを頼る癖がついてしまい、ロープを見れば掴む始末だった。

 近くに学校があるのだろう子供たちの運動する声が聞こえるようになり、車の走行音も近くになってきた。
フ~やっと八重坂峠に到着。日守山の登山口を入ってからズーと山道だったのが、ここからしばらくは舗装された道になる。

 ここから香貫山を通り狩野川までの道は何通りもあるので、初めての時は何処を歩けば良いか迷ってしまった。
今回、ほぼこれが沼アコースと思える道を歩いたので、少し詳しく案内します。

      
                    近道とある標識                             八重近道とある標識

 八重坂峠で舗装路に出たら左折して歩道を200m程下ると、道路の反対側の法面の上に沼アの標識が見えてくる。
車に注意して車道を渡ったら、近道と書いてある標識から山道を登る。
すぐにガードレールの所に次の標識があり、今度は右折してゴルフ場に続く舗装路を登る。

  
               ゴルフ練習場横の道                       この標識はパスして直進

 ゴルフ場の建物の横の車止めを越して更に舗装路を登る。ゴルフ場横の道に入り、最初にある “山道・桜台・山頂” の標識は
パスしてそのまま舗装路を 「山頂・旧車道」 に進む。(パスした道は前回歩いたら車道が長かった)

 
              ゴルフ場のネット                             桜台へ向かう

 ここまでは飛んで来そうもないがしっかりネットを張ってある場所過ぎると右側に標識がある。ここで車道と別れて手すりのある
 「桜台」に向かう。 大きな標識の横にある頭が白い杭、これが香貫山の中の沼アの標識のようで、ここの杭には 「㉔」 とあった。



           徳倉山(象山)と象の背                         八重象山は横山の事か

 桜台の入口に来ると徳倉山(象山)と象の背と思われる山が見えた。似ている似ていないは見る人の心次第でしょう。
更に上に行くと今度は 「八重象山」 の標識が。また新しい山の名前だ。標識の先を見ると先程の徳倉山とは違う山で、徳倉山より
手前にあるので横山らしい。では横山の事を八重象山とも呼ぶのだろうか?

 この “八重” が付く名は横山を下った八重坂峠もそうだった。なら若しかして、と地図で調べると案の定八重坂峠の西側は
 “沼津市下香貫八重” だった。では象と名の付く地名も探したが見当たらない。
ついでに “塩満” の地名も探してみたら、徳倉山の西麓に “沼津市下香貫塩満” があった。
この塩満集落から見えていた山を象山と呼んでいたのが何故徳倉山となったのか? 疑問を覚え今度は稜線の東側の清水町の
地図を調べると、徳倉山の東麓は “駿東郡清水町戸倉” だった。
そうか海岸線の狭い集落での呼名は、人も多い田方平野側の呼名に駆逐され、何時しか戸倉山になってしまったのだろう。

 
                 桜 台                                   水門が見えた

 桜台なら桜が咲いているかと期待していたが、登り口にある桜の古木は蕾で花は咲いていない。更に上の若木の桜は全て
葉桜だった。早咲きの河津桜なのだろうか。

 海岸を見ると駿河湾に水門が見えていた。あの水門は大地震発生時の津波被害を防ぐために自動的に閉まる仕組みいなって
いると聞いたことがある。その時はこの水門は狩野川の水門だと思っていた。

 
                桜台の四阿                                 狩野川と水門

 桜台には四阿もあり景色を眺めながらの花見も乙なものだろう。
更に高度が上がった所で水門を見ると、さっきはうっかりあの水門は狩野川用だと思ったが、間違っていた事に気づいた。
あの水門は狩野川の横にある沼津漁港に対しての水門だった。道理で小さい筈だ。疲れてくるとこんな勘違いも多くなる。 

 
   香貫山山頂(右)のアンテナと展望台のアンテナ                  車道を横断すれば山頂は近い

 四阿を過ぎても車道には出ずに標識を左に行く。前方に香貫山山頂のアンテナと左に展望台のアンテナが大きく見えてくる。
ようやく出合った車道を横断して山道を少し登れば山頂だ。標識の番号は⑱になっていた。

    
                  無粋な香貫山山頂                              山頂標識

 苦労して歩いた沼津アルプスの最後の香貫山は一番面白くない山頂だった。
標識には直進が 「山道 ・夫婦岩・五重塔・黒瀬」 となっていて、左が 「黒瀬・五重塔・車道・展望台」 となっている。
前回は展望台に上りたくて左の道をそのまま下ってしまったが車道歩きが長くて後悔をした。なので今回は山道を歩く予定だが
展望台には登りたいと思っている。
 そこで展望台に登ってから再度ここに戻る予定を立て展望台に向かって下り始めると、車道に出る前に夫婦岩に向かう近道の
標識が立っていた。ラッキー! 例え短い近道でも登りが無い方が助かる。

      
             展望台                                   立体案内

 展望台は視界が効く中段まで上がれるので、木の枝が邪魔になる山頂では無理に写真を写す必要はない。
展望台横にはモニュメントがあり富士山が見えていれば偽物の上に本物の富士山を載せて写す事ができます。
前回はその写真を写すことができたが、今回は駄目でした。



 南の方角には今歩いてきた稜線が見えている。このように歩き終わった後でコースを省みる事ができると嬉しさが深まります。
一応山名を記入したが間違っていたらご免なさい。



 西の方角には駿河湾が楕円形のレンズのように見えていた。
北の富士山方面や東の箱根方面は黒っぽくて鑑賞のようにはならなかった。

 
               山頂下の標識                                夫婦岩

 一先ず香貫山山頂の道まで引き返し、山頂には行かずに “夫婦岩・香陵台” 方面に進む。
道はすぐ分岐しているが、どちらの道も先で合流しています。

 ウッ! これが夫婦岩か? ラクダ岩かと思った。オッと止めよう、心を清らかにしてみればこれも夫婦岩。
でもせめて注連縄でも張ってあれば・・・・・ 

      
                   分岐の道標                               香貫山の沼アの標識

 中瀬町がどこにあるか知らないが兎も角 “御陵台” に向かう。
香貫山の沼アの②番の標識があった。ゴルフ場の道の所で㉔番を見つけてから全て番号順に歩いたかどうか分からないが
今日歩いたコースは何となくスムースに歩けた感じがする。だがこの後①番の標識は見当たらなかった。

      
                   五重塔直前の標識                                 五重塔

 標識には無いが五重塔は見えています。その前の広場が多分御陵台なのでしょう。
五重塔からは北に向かう車道を下ります。(標識の中瀬町方面の舗装路ではない)

      
            黒瀬町の標識                         香貫山登山口(黒瀬口)

 車道を下って行くと右側に 「黒瀬町0.2km」 の標識があるので、そこから車道と別れ山道を下る。
沼津駅からこの登山口に行くには、旧国1の沼津警察社前から狩野川の黒瀬橋を渡り、すぐの信号を渡たる。信号を渡ると左に
あるコケ脅かしの甲羅本店の前を通り、山が接近して所に登山口はあります。

 こうして奥沼アと沼アを通しで歩いて感じたのは、日守(大嵐)山から香貫山を通しで沼津アルプスとしたらという案だ。
日守山から大平山を奥沼ア、大平山から志下峠までを中沼ア、志下峠からハイカーの多い香貫山を前沼アとしたらどうだろう。
穂高に前穂、奥穂、西穂、北穂や日本アルプスには南ア、中央ア、北アがあるように、ここも区間ごと奥沼、中沼、前沼として
総称を沼津アルプスとした方が説明しやすいし恰好もいい。通りっこない案だが結構いいと思うがな。

 
            黒瀬橋から狩野川の流れ                            沼津駅

 4時35分沼津駅到着。静焼アルプスに比べ歩き始めは遅く、歩き終わりは早くて約9時間。13時間も掛かってしまった
静焼アに比べ随分短くて済んだ。これで奥沼アも含んでいるのだから沼アだけなら推して知るべきだろう。
 “厳しい”との 評判で沼津アルプスを迷っている方は是非歩いてみてください。ただ雨のあとは滑るので注意が必要です。

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