歩行記録 H28-3-29(火)
歩行時間:8時間00分 休憩時間:1時間05分 延時間:9時間05分
出発時刻:7時30分 到着時刻:16時35分
歩 数: 25、611歩(推定距離18.17km) GPS距離13.2km
行程
原木駅 1:10> 日守山 1:35> 大平山 0:50> 鷲頭山 0:10> 小鷲頭山 0:40> 志下山 0:45> 徳倉山 0:40>
横 山 1:00> 香貫山 1:10> 沼津駅
奥沼津アルプス
松理さんのブログの奥沼津アルプスの記事を見て急にその気になってしまった。
沼津アルプスには5年前、巷間に囁かれている 「アップダウンが多く厳しい山」 と思って歩いたがが、思っていたより楽に感じた。
香貫山に着いた時間が早かったので更に千本浜を片浜駅まで歩こうとさえ思った事を覚えている。
その所為かどうか、静焼アルプスの方がよっぽど大変だと変な郷土愛に目覚めてしまっていた。
その沼津アルプスを歩いている時、地元の人が 「奥沼津アルプスは余り開拓されていないので人は少なく、梯子場などもあって
面白い。沼津アルプスを含めての縦走は余程の健脚でないと歩けない」 等聞き、なら一度は歩かなければと思った。
しかし記憶力がとみに薄くなったこの頃は、すっかりそんな事は忘れていた。
それが飯間山で出会った若者と沼アと静焼アの比較を話したこともあり、松理さんのブログで記憶の隅に埋まれていた物が
甦り、ブログを見た翌日には出かけてしまった。
登山道入り口までの地図
伊豆箱根鉄道駿豆線の原木(ばらき)駅から登山道入り口までは石堂橋を渡る分かりやすい道でした。
狩野川越しの富士山 石堂橋
いつもなら富士山が見えるかどうか気になる場所だが、今日は突然の出発だったのでそんなことは忘れていた。
だがご覧のように少し薄いが見えていた。薄かろうがどうだろうが見えればいい。
富士山の裾は愛鷹山に隠されてしまっているが明らかに静岡側から見るより雪の量が多い。以前NHKで山梨県側に比べて
静岡側の雪の少ない理由は “本州の太平洋側と日本海側の雪の量の違いと同じで、水分を含んだ冷たい空気が富士山に当たり
大量の雪を降らせ、雪を降らせた後の乾燥した空気が静岡側に流れるので雪が降らない” と説明をしていた。
しかしその説明をしたお天気お姉さんがこの景色を見たらきっと顔を赤くするだろう。だってあの雪が多い場所は静岡県の御殿場
なのだし、更に言うなら山梨県の山中湖から見る冬の富士山は、右側に雪が多いものが多い。あの雪の多い場所も静岡県側だ。
石堂橋の向こうに見える山は倒木や竹林などあって荒れているように見えるが、これから行く道は大丈夫だろうか。
急に不安になってきた。けど松理さんのブログには “道が荒れている” 等の記述は無かったから多分大丈夫だろう。
と、すぐ他人の所為にする。
石堂橋を渡った先の道は、田舎道なのにやけに交通量のある道だった。だが横断歩道に立つと車はすぐ止まってくれた。
伊豆の人は何と親切だろう。感謝です。
車道を渡り一先ず下の道に下りたが、車道を歩いても登山道入口には出合う事ができます。
登山道入り口 県道沿いにある入口の標識
車道と山が接近した所に登山道入り口の標識が立っていた。ここから登山道に入ってからはもう道に迷うことなかった。
そうだ香貫山の上りと下りを除いてはですが。
最初の上り(鳥居の手前を右) 何処までも続く竹藪の道 ロープがあちこちに
車道横の細い上りの舗装道を、こんな道が続いているのだろうかなど下向いて黙々と登る。小さな祠の鳥居まで来てアレー?
道が無い。慌てて振り返ったら少し下に分岐が見えた。良かったが気を付けなければ。
たったさっき “道に迷うことはなかった” と書いてしまったが、これも道に迷ったのかな?
大崩山塊でも時折見かける竹藪の道だが、よく踏まれている道は道幅も広く竹の切株もない。
これなら安心して歩けると思ったが、昨晩雨が降ったのか、それとも今朝霜が降りたのか、竹の葉が濡れていて上着もズボンも
ビッショリ濡れてしまった。しかも道も湿っていてヌルヌルしている。滑らないように気を付けなければ。
こんな道が日守山まで続いた。
最初のうちは触らなかったロープも、一度利用してしまうと癖になるのか、その後はあれば使う状態になってしまった。
自分以外に誰もいないので自分専用にロープを使えるので振られる心配はない。
日守山入口(中から写す) 日守山の展望台
前方に柵が見えてきた。確か松理さんは柵の隙間から出て大平山に登ったとあったが、ここは柵の下を潜らなければ中に
入れない。柵の中にはむこう向きの標識が立っているので、ともかく中に入ろう。
標識は右(南)方向を指して 「大平山」 になっていた。
柵の中は芝生公園のようになっていて展望台もある。桜の枝に吊るした山名表示には 「日守山192m」 とあった。
待てよ? 昨晩大雑把に見た地理院の地図には、大平山の手前の山は 「大嵐山」 になっていた。なのにここは “日守山”?
箱根山方面 富士山が隠れてしまった愛鷹山方面
展望台からの景色は富士山こそ雲に隠れてしまっていたが広大な裾野が広がっているのが見える。眼下には蛇行した狩野川も
見えていたので渡ってきた石堂橋を探したが分からなかった。更に展望台から下には遊歩道と思われる擬木の階段が続いている。
どうやらこちらが正規の道のようで松理さんはこの道を登ってきたようだ。
広場で掃除をしていたお年寄りに話を聞くと
「ここの公園は竹下首相時代の故郷創生資金に 『田方平野を一望する公園』 として応募したら、当選して整備した公園だよ。
あんたが歩いた道は昔は畑へ行く道だったが、今は畑をやるモンが居なくなったので、山に登るモンだけが歩いているよ。」
だって。
日守村三角点案内板 大平山と鷲頭山 日守山出口
日守山の日守村三角点の案内。これを見た時はフーンと思っただけだったが、後で大平山の三角点を調べたくて地理院の
“準点閲覧サービス” 見た時、ついでに日守村の三角点を見てみたら標高が違っている事に気がついた。
案内板には 「192.20m」 地理院では 「191.20m」 と1mの違いがある。更に案内板の設置年月を見ると 「平成24年5月」と
あり、一方地理院の標高改算は 「20140313」 となっていた。
既に今日の日付さえ覚束なくなってきた私には、年号と西暦がごっちゃになっているとチンプンカンプンだ。
これを年号に統合すると 「H24年 対 H26年」 なる。
そうか平成24年に案内板を付けた時は192.2mだったのが、2年後の標高調査で1m低い191.2mになったのだろう。
以前測量に詳しいウォークキング仲間に 「三角点の白い杭に標高を書けば、三角点にもっと親しみが湧く」 と話したら
「三角点は標高の改定があるので、その度に杭を訂正するのは手間暇が掛かり過ぎる」 と言われてしまった。
その時は納得できなかったが、確かにこのような事が起こる場合がある。標高を知りたければ自分で調べろと云う事だろう。
広場から二つの尖った山が見えたのでお年寄りに聞くと
「手前の高く見えるのが大平山で、奥の低く見える方が鷲頭山だが実際は奥の鷲頭山の方が30m以上高いらしいよ」 と
教えてくれた。確かに手前の山の方が高く見える。あれで30m以上も奥の山が高いとは思えないが事実なら仕方ない。
そういえば高草山の三角点と祠と比べ、どちらの標高が高いか論争があったが、あそこの標高の差はたった2mだった。
それじゃあ遠くからの見た目で高さ比べをするのは無理と云うものだ。あの時の講師がこの写真を見たら何と言うかな。
日守山から大平山に向かうルートは柵の切れ目になっている。標識もあるので迷うことは無いが、この広場を作った団体の
中に山歩きをする人がいなかったのだろうか。歩いてばかりいて地元の行事に参加しないハイカーの私は反省しなければ。
石切場跡 江間分岐の標識 ケルン
絶壁が見えるが余りに絶壁過ぎる。良く見れば絶壁の同士の角度が直角になっている。これは昔の石切場の跡なのだろう。
江戸城築城の際には伊豆から多くの石を切出し、その跡が伊豆の西海岸には多く残っている。ここも江戸城の石を切出したのか?
いやここは東海岸なので江戸に送るには伊豆半島をグルリ回らなければならない。じゃぁ江戸城でなければどこの城だろう?
ここに案内板があれば納得できるのだが。
江間への分岐点には沼津アルプスらしい標識が立っていた。そこに 「横穴群 下り10分くらい」 とあったので一瞬迷ったが
下りに10分、登りに15分、見学5分でも30分は掛かってしまう。この先がどうなるのか分からないので諦めるしかなかった。
そこの標識に 「大嵐山(日守山)」 と書かれていた。どうやら日守山は地元の人の呼び名で、大嵐山は地図からきた名前のようだ。
シドメの花 伊豆3山(城山・葛城山・発端丈山)多分
道脇に “シドメ” の花が咲いていた。この花は御殿場では荷車の通る轍の間に良く咲いていた花で、花の後には緑色の
ピンポン玉くらいの実を付ける。食べてもおいしくないが一時期果実ブームの時は、このシドメの実も漬けたと聞く。
そうそうシドメの名前は余り流通していなくて “草ぼけ” の方が知られているようです。
南の方が開けた場所から城山・葛城山・発端丈山がらしき山が見えていた。
中央の一番高い山には山頂にアンテナも見える事から葛城山で間違いはない。では左に見えるのは岩登りで有名な城山で、
右が発端丈山なのだろう。
左から城山(342m)、葛城山(452m)、発端丈山(410m)だが、矢張り一番近い葛城山がより高く見える。
苔むした大きな岩が道を塞ぐ。ここは分岐点で岩の前の木の幹に、マジックで書かれた行き先表示があった。
イタズラ? いえ違いした。その木の前には上の写真のような長い標識も取り付けてあった。
岩陰を行く道 梯子(上から) 梯子(下から)
岩が多くなり道も細くなってきた。そろそろ梯子のある場所に近づいてきたようだ。
アラー岩の上から覗き込むと梯子の先が見えていた。私は高い場所に向かっているので当然梯子は登るものだと思っていた。
それが下りとは想定外だ。きっと下りの方が怖いだろうと、慎重に手にしていたストックを背中とザックの間に差す。
怖い所が苦手な私だが、梯子はしっかり固定され怖さを感じることなく下りる事ができた。
写真では梯子の降り口が怖そうに見えるが左程の事はありません。尤も恐怖感は人により違いはあるので何とも言えないが
小笠山の小笠池から中継所に登る痩せ尾根 (否あれは尾根と云えるような場所ではない) の方がよっぽども怖かった。
あそこを渡った後も怖さは続き、普段何ともないような場所でも怖くて近づけなかったくらいだった。
松理さんのブログには、この階段の事には触れていませんでしたので、あの超ベテランにはこの程度は普通の道なのでしょう。
細い道 礫岩? ロープのある岩場
ここの岩も小笠丘陵と同じように小石が圧力等により固まった礫岩(れきがん)のようだ。だが小笠丘陵の礫岩と明らかに違う
のは礫の大きさだった。通常礫の大きさは直径2mm以上の岩石の破片とされているが、まさに小笠丘陵の礫岩はその言葉通りの
小さな砂利状の礫の中に、少し大き目の河原の石のように丸みのある礫が混じっている。
一方ここの礫は10㎝以上と大きく、しかも角の尖った山の石のような礫だった。
更に小笠丘陵では出っ張っている礫をストックで突っつくとポロリと抜け落ちるのもあるが、ここのは礫を固める粘着物が強いのか
びくともしない。
小笠丘陵の礫岩は脆くて如何にも小石が強烈な圧力で固まったように見えるが、ここの礫岩はセメントのような接着物質で固めた
ように見える。同じ礫岩でも大分違いがある事を知った。
写真右端のような場所もあったが取っ手になる岩が多く難なく通過できる。かえってロープなど触らない方が登りやすかった。
小山が島のように見える 大平山が近い
そんな難所を過ぎると平らな岩の上から田方平野を一望でる場所があったが、相変わらず富士山は隠れたままだった。
山の際には飛び石のごとく小山が続いていて、この辺りが内海だった時代にはさぞかし風光明媚な場所だったと思えた。
尤もその時代にこの景色を眺める人間が居たかどうかは知らないが。
振り返れば大平山がすぐ近くに見える。思ったより時間が掛かっているがあと少しだ。
梯子(上から) 梯子(下から) 大平山の山頂表示
景色を眺めた場所からは岩も無くなり後は傾斜の強い道だけだろうと思ったら違った。またもや梯子の頭が見えている。
今度も梯子を下るようだ。でもここの梯子は最初の梯子より楽に下る事ができた。
二つ目の梯子を過ぎると急登が待っていた。それでもロープにすがって登れたので大分楽ができた。
梯子から15分ほどの奮闘でやっと大平山到着。
歩行時間:8時間00分 休憩時間:1時間05分 延時間:9時間05分
出発時刻:7時30分 到着時刻:16時35分
歩 数: 25、611歩(推定距離18.17km) GPS距離13.2km
行程
原木駅 1:10> 日守山 1:35> 大平山 0:50> 鷲頭山 0:10> 小鷲頭山 0:40> 志下山 0:45> 徳倉山 0:40>
横 山 1:00> 香貫山 1:10> 沼津駅
奥沼津アルプス
松理さんのブログの奥沼津アルプスの記事を見て急にその気になってしまった。
沼津アルプスには5年前、巷間に囁かれている 「アップダウンが多く厳しい山」 と思って歩いたがが、思っていたより楽に感じた。
香貫山に着いた時間が早かったので更に千本浜を片浜駅まで歩こうとさえ思った事を覚えている。
その所為かどうか、静焼アルプスの方がよっぽど大変だと変な郷土愛に目覚めてしまっていた。
その沼津アルプスを歩いている時、地元の人が 「奥沼津アルプスは余り開拓されていないので人は少なく、梯子場などもあって
面白い。沼津アルプスを含めての縦走は余程の健脚でないと歩けない」 等聞き、なら一度は歩かなければと思った。
しかし記憶力がとみに薄くなったこの頃は、すっかりそんな事は忘れていた。
それが飯間山で出会った若者と沼アと静焼アの比較を話したこともあり、松理さんのブログで記憶の隅に埋まれていた物が
甦り、ブログを見た翌日には出かけてしまった。
登山道入り口までの地図
伊豆箱根鉄道駿豆線の原木(ばらき)駅から登山道入り口までは石堂橋を渡る分かりやすい道でした。
狩野川越しの富士山 石堂橋
いつもなら富士山が見えるかどうか気になる場所だが、今日は突然の出発だったのでそんなことは忘れていた。
だがご覧のように少し薄いが見えていた。薄かろうがどうだろうが見えればいい。
富士山の裾は愛鷹山に隠されてしまっているが明らかに静岡側から見るより雪の量が多い。以前NHKで山梨県側に比べて
静岡側の雪の少ない理由は “本州の太平洋側と日本海側の雪の量の違いと同じで、水分を含んだ冷たい空気が富士山に当たり
大量の雪を降らせ、雪を降らせた後の乾燥した空気が静岡側に流れるので雪が降らない” と説明をしていた。
しかしその説明をしたお天気お姉さんがこの景色を見たらきっと顔を赤くするだろう。だってあの雪が多い場所は静岡県の御殿場
なのだし、更に言うなら山梨県の山中湖から見る冬の富士山は、右側に雪が多いものが多い。あの雪の多い場所も静岡県側だ。
石堂橋の向こうに見える山は倒木や竹林などあって荒れているように見えるが、これから行く道は大丈夫だろうか。
急に不安になってきた。けど松理さんのブログには “道が荒れている” 等の記述は無かったから多分大丈夫だろう。
と、すぐ他人の所為にする。
石堂橋を渡った先の道は、田舎道なのにやけに交通量のある道だった。だが横断歩道に立つと車はすぐ止まってくれた。
伊豆の人は何と親切だろう。感謝です。
車道を渡り一先ず下の道に下りたが、車道を歩いても登山道入口には出合う事ができます。
登山道入り口 県道沿いにある入口の標識
車道と山が接近した所に登山道入り口の標識が立っていた。ここから登山道に入ってからはもう道に迷うことなかった。
そうだ香貫山の上りと下りを除いてはですが。
最初の上り(鳥居の手前を右) 何処までも続く竹藪の道 ロープがあちこちに
車道横の細い上りの舗装道を、こんな道が続いているのだろうかなど下向いて黙々と登る。小さな祠の鳥居まで来てアレー?
道が無い。慌てて振り返ったら少し下に分岐が見えた。良かったが気を付けなければ。
たったさっき “道に迷うことはなかった” と書いてしまったが、これも道に迷ったのかな?
大崩山塊でも時折見かける竹藪の道だが、よく踏まれている道は道幅も広く竹の切株もない。
これなら安心して歩けると思ったが、昨晩雨が降ったのか、それとも今朝霜が降りたのか、竹の葉が濡れていて上着もズボンも
ビッショリ濡れてしまった。しかも道も湿っていてヌルヌルしている。滑らないように気を付けなければ。
こんな道が日守山まで続いた。
最初のうちは触らなかったロープも、一度利用してしまうと癖になるのか、その後はあれば使う状態になってしまった。
自分以外に誰もいないので自分専用にロープを使えるので振られる心配はない。
日守山入口(中から写す) 日守山の展望台
前方に柵が見えてきた。確か松理さんは柵の隙間から出て大平山に登ったとあったが、ここは柵の下を潜らなければ中に
入れない。柵の中にはむこう向きの標識が立っているので、ともかく中に入ろう。
標識は右(南)方向を指して 「大平山」 になっていた。
柵の中は芝生公園のようになっていて展望台もある。桜の枝に吊るした山名表示には 「日守山192m」 とあった。
待てよ? 昨晩大雑把に見た地理院の地図には、大平山の手前の山は 「大嵐山」 になっていた。なのにここは “日守山”?
箱根山方面 富士山が隠れてしまった愛鷹山方面
展望台からの景色は富士山こそ雲に隠れてしまっていたが広大な裾野が広がっているのが見える。眼下には蛇行した狩野川も
見えていたので渡ってきた石堂橋を探したが分からなかった。更に展望台から下には遊歩道と思われる擬木の階段が続いている。
どうやらこちらが正規の道のようで松理さんはこの道を登ってきたようだ。
広場で掃除をしていたお年寄りに話を聞くと
「ここの公園は竹下首相時代の故郷創生資金に 『田方平野を一望する公園』 として応募したら、当選して整備した公園だよ。
あんたが歩いた道は昔は畑へ行く道だったが、今は畑をやるモンが居なくなったので、山に登るモンだけが歩いているよ。」
だって。
日守村三角点案内板 大平山と鷲頭山 日守山出口
日守山の日守村三角点の案内。これを見た時はフーンと思っただけだったが、後で大平山の三角点を調べたくて地理院の
“準点閲覧サービス” 見た時、ついでに日守村の三角点を見てみたら標高が違っている事に気がついた。
案内板には 「192.20m」 地理院では 「191.20m」 と1mの違いがある。更に案内板の設置年月を見ると 「平成24年5月」と
あり、一方地理院の標高改算は 「20140313」 となっていた。
既に今日の日付さえ覚束なくなってきた私には、年号と西暦がごっちゃになっているとチンプンカンプンだ。
これを年号に統合すると 「H24年 対 H26年」 なる。
そうか平成24年に案内板を付けた時は192.2mだったのが、2年後の標高調査で1m低い191.2mになったのだろう。
以前測量に詳しいウォークキング仲間に 「三角点の白い杭に標高を書けば、三角点にもっと親しみが湧く」 と話したら
「三角点は標高の改定があるので、その度に杭を訂正するのは手間暇が掛かり過ぎる」 と言われてしまった。
その時は納得できなかったが、確かにこのような事が起こる場合がある。標高を知りたければ自分で調べろと云う事だろう。
広場から二つの尖った山が見えたのでお年寄りに聞くと
「手前の高く見えるのが大平山で、奥の低く見える方が鷲頭山だが実際は奥の鷲頭山の方が30m以上高いらしいよ」 と
教えてくれた。確かに手前の山の方が高く見える。あれで30m以上も奥の山が高いとは思えないが事実なら仕方ない。
そういえば高草山の三角点と祠と比べ、どちらの標高が高いか論争があったが、あそこの標高の差はたった2mだった。
それじゃあ遠くからの見た目で高さ比べをするのは無理と云うものだ。あの時の講師がこの写真を見たら何と言うかな。
日守山から大平山に向かうルートは柵の切れ目になっている。標識もあるので迷うことは無いが、この広場を作った団体の
中に山歩きをする人がいなかったのだろうか。歩いてばかりいて地元の行事に参加しないハイカーの私は反省しなければ。
石切場跡 江間分岐の標識 ケルン
絶壁が見えるが余りに絶壁過ぎる。良く見れば絶壁の同士の角度が直角になっている。これは昔の石切場の跡なのだろう。
江戸城築城の際には伊豆から多くの石を切出し、その跡が伊豆の西海岸には多く残っている。ここも江戸城の石を切出したのか?
いやここは東海岸なので江戸に送るには伊豆半島をグルリ回らなければならない。じゃぁ江戸城でなければどこの城だろう?
ここに案内板があれば納得できるのだが。
江間への分岐点には沼津アルプスらしい標識が立っていた。そこに 「横穴群 下り10分くらい」 とあったので一瞬迷ったが
下りに10分、登りに15分、見学5分でも30分は掛かってしまう。この先がどうなるのか分からないので諦めるしかなかった。
そこの標識に 「大嵐山(日守山)」 と書かれていた。どうやら日守山は地元の人の呼び名で、大嵐山は地図からきた名前のようだ。
シドメの花 伊豆3山(城山・葛城山・発端丈山)多分
道脇に “シドメ” の花が咲いていた。この花は御殿場では荷車の通る轍の間に良く咲いていた花で、花の後には緑色の
ピンポン玉くらいの実を付ける。食べてもおいしくないが一時期果実ブームの時は、このシドメの実も漬けたと聞く。
そうそうシドメの名前は余り流通していなくて “草ぼけ” の方が知られているようです。
南の方が開けた場所から城山・葛城山・発端丈山がらしき山が見えていた。
中央の一番高い山には山頂にアンテナも見える事から葛城山で間違いはない。では左に見えるのは岩登りで有名な城山で、
右が発端丈山なのだろう。
左から城山(342m)、葛城山(452m)、発端丈山(410m)だが、矢張り一番近い葛城山がより高く見える。
苔むした大きな岩が道を塞ぐ。ここは分岐点で岩の前の木の幹に、マジックで書かれた行き先表示があった。
イタズラ? いえ違いした。その木の前には上の写真のような長い標識も取り付けてあった。
岩陰を行く道 梯子(上から) 梯子(下から)
岩が多くなり道も細くなってきた。そろそろ梯子のある場所に近づいてきたようだ。
アラー岩の上から覗き込むと梯子の先が見えていた。私は高い場所に向かっているので当然梯子は登るものだと思っていた。
それが下りとは想定外だ。きっと下りの方が怖いだろうと、慎重に手にしていたストックを背中とザックの間に差す。
怖い所が苦手な私だが、梯子はしっかり固定され怖さを感じることなく下りる事ができた。
写真では梯子の降り口が怖そうに見えるが左程の事はありません。尤も恐怖感は人により違いはあるので何とも言えないが
小笠山の小笠池から中継所に登る痩せ尾根 (否あれは尾根と云えるような場所ではない) の方がよっぽども怖かった。
あそこを渡った後も怖さは続き、普段何ともないような場所でも怖くて近づけなかったくらいだった。
松理さんのブログには、この階段の事には触れていませんでしたので、あの超ベテランにはこの程度は普通の道なのでしょう。
細い道 礫岩? ロープのある岩場
ここの岩も小笠丘陵と同じように小石が圧力等により固まった礫岩(れきがん)のようだ。だが小笠丘陵の礫岩と明らかに違う
のは礫の大きさだった。通常礫の大きさは直径2mm以上の岩石の破片とされているが、まさに小笠丘陵の礫岩はその言葉通りの
小さな砂利状の礫の中に、少し大き目の河原の石のように丸みのある礫が混じっている。
一方ここの礫は10㎝以上と大きく、しかも角の尖った山の石のような礫だった。
更に小笠丘陵では出っ張っている礫をストックで突っつくとポロリと抜け落ちるのもあるが、ここのは礫を固める粘着物が強いのか
びくともしない。
小笠丘陵の礫岩は脆くて如何にも小石が強烈な圧力で固まったように見えるが、ここの礫岩はセメントのような接着物質で固めた
ように見える。同じ礫岩でも大分違いがある事を知った。
写真右端のような場所もあったが取っ手になる岩が多く難なく通過できる。かえってロープなど触らない方が登りやすかった。
小山が島のように見える 大平山が近い
そんな難所を過ぎると平らな岩の上から田方平野を一望でる場所があったが、相変わらず富士山は隠れたままだった。
山の際には飛び石のごとく小山が続いていて、この辺りが内海だった時代にはさぞかし風光明媚な場所だったと思えた。
尤もその時代にこの景色を眺める人間が居たかどうかは知らないが。
振り返れば大平山がすぐ近くに見える。思ったより時間が掛かっているがあと少しだ。
梯子(上から) 梯子(下から) 大平山の山頂表示
景色を眺めた場所からは岩も無くなり後は傾斜の強い道だけだろうと思ったら違った。またもや梯子の頭が見えている。
今度も梯子を下るようだ。でもここの梯子は最初の梯子より楽に下る事ができた。
二つ目の梯子を過ぎると急登が待っていた。それでもロープにすがって登れたので大分楽ができた。
梯子から15分ほどの奮闘でやっと大平山到着。