初めて行く焼津市立病院で受付をすまし建物の一番奥にある神経内科を目指すのだが、
たった50mあるかないかなのに、杖を突いてもハーハー、ヨロヨロで中々辿りつけない。
途中の長椅子に座込んでしまったものの横になって寝るわけにもいかずハーハードキドキは中々治まらなかった。
何とか神経内科の窓口に行くと今度は呼吸器科へ行けと言う、なんで呼吸器科なのか疑問に思ったが聞き返す気力は無かった。
呼吸器科で名前を呼ばれて医師の前に座ると、医師は開口一番 「血液検査に異常があります。」 と言う。
ビックリしながらも血液検査はまだしてないのにと思うと 「◯◯医院から送ってきた血液検査に甲状腺の数値が高くなっています。」
なんだぁー それなら◯◯医院で解決済みの話だったので
「私は10代の時に甲状腺が張れて入院した事があり、その数値が高いのは甲状腺の既往者に多い症状だと◯◯医師は言っていました。」
医師はしばらく無言だったが、その後甲状腺の話はせずに現在の症状の質問になった。
途中で、何処かに電話ると別の医師と看護婦が来て 「これから神経内科で診断します」 と最初受付をした神経内科の診察室に戻った。
呼吸器科同じように症状の説明をしながら、腕力や脚力を医師が手で押して調べるものの押し返す力はあって異常は無いようだ。
脚気の診断のようは金具で膝や肘辺りを軽く叩いて何かを調べているが良いのか悪いのかの説明は無かった。
その内 「原因は細かく検査しなければ分からないので今日から入院してください。」 と言い出した。
「エ~ 今日から? 幾日ぐらい入院するのですか?」 と聞き返すと
「MRIを何ヶ所か撮るので大体20日程度と思っていてください。」
「20日も!」 と驚いたものの、この苦しみから解放されるなら何でも我慢してやると承諾しました。
とは言え、本人は病院のベットで横になっているだけだが、大変なのは付添ってきた妻の方です。
妻は慌てて家に戻り着替え等を持ってきてくれたりと大忙しでした。
入院初日は採血、検尿、心電図、レントゲンなど楽な検査をしてから病棟に行き、4人部屋の廊下側のベットに横になりました。
困ったのは便所に行く時の看護師とのやり取りです。私は杖さえつけば便所など一人で大丈夫と思っていたが看護師は違かった。
看護師曰く 「外来から歩行困難の症状だと申し送りが来ているので一人で歩く事はできません。どうしても云うならベットで尿瓶で取ります」
だって。それはもっと嫌だ。仕方なく便所に行く時はナースコールで連絡することにしました。
そして初回のナースコール来てくれた看護師は、前回話をした方と違う人で、私の歩きを見て
「アラ自分シッカリ歩けますね。これなら注意して歩けば問題ないですね。」 と言ってナースセンターに戻って行った。
入院後行った検査は採血、検尿が時々と、手足の神経検査、脊髄の髄液の検査、脳と首のMRIを1回づつ。
これを2週間でやるのだから殆どが暇を持て余していた。
それでも入院翌日からリハビリが始まり、午前中は脚のリハビリで午後は手のリハビリを約30分ほど行った。
脚のリハビリは椅子に腰かけ立って座りを30回、壁に手を突いて体を斜めにして足踏み30回等を行ったが何とか
指示通りやる事はできた。
歩行訓練は床に書いた線の上を歩くのだが直線は歩けたが、電光形のジグザクは曲るたびにバランスを崩してしまった。
だがこれも3回目になると要領を覚えた事もあるがふらつかないで歩けるようになった。
歩行訓練で嬉しかったのは病院内を歩く訓練で、パジャマ姿の私を理学療養師が軽く腕を掴んで200m程歩くのだが
今回の症状が発症してからは50m先のゴミ出しに1回行っただけなので歩く事が嬉しかった。
何時もの私なら他人の前をパジャマ姿で、しかも他人に支えられながら歩くなんて考えただけでも嫌だった。
それが諦めなのか、それとも早く良くなりたい一心なのか他人の眼は余り気にならなかった。
それでも恰好を付けて背筋を伸ばしスタスタと歩こうとするので 「もっとゆっくり」 と何度も声を掛けられた。
この歩行訓練には一番軽いウォーキングシューズを履いたので快適だったが、何故か一周するうちに2・3回は右の靴底が
床面と擦れてバランスを崩してしまう。
これはいつも注意して右足をあげるようにしたのだが、最後まで右足の躓きは治らなかった。
考えてみると以前から平地の舗装道路を歩いていても、時折躓いていたのでこれは今回発生した症状ではないようです。
次に午後の手のリハビリですがこれが案外疲れた。しかも疲れた原因がリハビリの最初に行う運動で、椅子に腰かけ
両足首に1kgの重しを巻いて交互に足を上げて5秒静止するだけなんですが、両手は腹の前で組むのでこれが疲れた。
回数が午前と同じように30回なら何とも無かったでしょうが5分も続けるので息はハーハーとなり、終わって立ちがると
必ずよろめく始末です。手のリハビリに何で足の運動?と聞いてみたい気もありましたがそこは我慢です。
更に壁に向いて片足を上げて何秒保っていられるかの訓練は、左右どちらも2・3秒でよろめく始末です。
これには作業療養師も 「これはチョット早すぎますね」 と言って2回しかやらなかった。
手のリハビリ本命は、箱に入れた大豆の中に最初はボルトを10個入れ、目を閉じて3分内に取り出すことです。
一見簡単風に見えたが手足に痺れが出ている私には、掌の感覚が麻痺しているのか小さな大豆と大き目のボルトの違いが
分かりずらかった。
それでもボルトをクリアすると次はビー玉でした。ビー玉はボルトより軽く小さかったが何回かやるうちにこれもクリア。
最後はおはじきです。大豆よりは大きいおはじきだが重さが無いので形状だけで判断するのが難しく、退院するまでにクリア
する事ができませんでした。
他には鉛筆や箸を使った作業もあったが、箸も鉛筆も普段のようには持てないので余り好きな訓練ではありませんでした。
病気になってもダラダラ文章は治りません。今日ももう疲れてしまいました。残りは次回です。
たった50mあるかないかなのに、杖を突いてもハーハー、ヨロヨロで中々辿りつけない。
途中の長椅子に座込んでしまったものの横になって寝るわけにもいかずハーハードキドキは中々治まらなかった。
何とか神経内科の窓口に行くと今度は呼吸器科へ行けと言う、なんで呼吸器科なのか疑問に思ったが聞き返す気力は無かった。
呼吸器科で名前を呼ばれて医師の前に座ると、医師は開口一番 「血液検査に異常があります。」 と言う。
ビックリしながらも血液検査はまだしてないのにと思うと 「◯◯医院から送ってきた血液検査に甲状腺の数値が高くなっています。」
なんだぁー それなら◯◯医院で解決済みの話だったので
「私は10代の時に甲状腺が張れて入院した事があり、その数値が高いのは甲状腺の既往者に多い症状だと◯◯医師は言っていました。」
医師はしばらく無言だったが、その後甲状腺の話はせずに現在の症状の質問になった。
途中で、何処かに電話ると別の医師と看護婦が来て 「これから神経内科で診断します」 と最初受付をした神経内科の診察室に戻った。
呼吸器科同じように症状の説明をしながら、腕力や脚力を医師が手で押して調べるものの押し返す力はあって異常は無いようだ。
脚気の診断のようは金具で膝や肘辺りを軽く叩いて何かを調べているが良いのか悪いのかの説明は無かった。
その内 「原因は細かく検査しなければ分からないので今日から入院してください。」 と言い出した。
「エ~ 今日から? 幾日ぐらい入院するのですか?」 と聞き返すと
「MRIを何ヶ所か撮るので大体20日程度と思っていてください。」
「20日も!」 と驚いたものの、この苦しみから解放されるなら何でも我慢してやると承諾しました。
とは言え、本人は病院のベットで横になっているだけだが、大変なのは付添ってきた妻の方です。
妻は慌てて家に戻り着替え等を持ってきてくれたりと大忙しでした。
入院初日は採血、検尿、心電図、レントゲンなど楽な検査をしてから病棟に行き、4人部屋の廊下側のベットに横になりました。
困ったのは便所に行く時の看護師とのやり取りです。私は杖さえつけば便所など一人で大丈夫と思っていたが看護師は違かった。
看護師曰く 「外来から歩行困難の症状だと申し送りが来ているので一人で歩く事はできません。どうしても云うならベットで尿瓶で取ります」
だって。それはもっと嫌だ。仕方なく便所に行く時はナースコールで連絡することにしました。
そして初回のナースコール来てくれた看護師は、前回話をした方と違う人で、私の歩きを見て
「アラ自分シッカリ歩けますね。これなら注意して歩けば問題ないですね。」 と言ってナースセンターに戻って行った。
入院後行った検査は採血、検尿が時々と、手足の神経検査、脊髄の髄液の検査、脳と首のMRIを1回づつ。
これを2週間でやるのだから殆どが暇を持て余していた。
それでも入院翌日からリハビリが始まり、午前中は脚のリハビリで午後は手のリハビリを約30分ほど行った。
脚のリハビリは椅子に腰かけ立って座りを30回、壁に手を突いて体を斜めにして足踏み30回等を行ったが何とか
指示通りやる事はできた。
歩行訓練は床に書いた線の上を歩くのだが直線は歩けたが、電光形のジグザクは曲るたびにバランスを崩してしまった。
だがこれも3回目になると要領を覚えた事もあるがふらつかないで歩けるようになった。
歩行訓練で嬉しかったのは病院内を歩く訓練で、パジャマ姿の私を理学療養師が軽く腕を掴んで200m程歩くのだが
今回の症状が発症してからは50m先のゴミ出しに1回行っただけなので歩く事が嬉しかった。
何時もの私なら他人の前をパジャマ姿で、しかも他人に支えられながら歩くなんて考えただけでも嫌だった。
それが諦めなのか、それとも早く良くなりたい一心なのか他人の眼は余り気にならなかった。
それでも恰好を付けて背筋を伸ばしスタスタと歩こうとするので 「もっとゆっくり」 と何度も声を掛けられた。
この歩行訓練には一番軽いウォーキングシューズを履いたので快適だったが、何故か一周するうちに2・3回は右の靴底が
床面と擦れてバランスを崩してしまう。
これはいつも注意して右足をあげるようにしたのだが、最後まで右足の躓きは治らなかった。
考えてみると以前から平地の舗装道路を歩いていても、時折躓いていたのでこれは今回発生した症状ではないようです。
次に午後の手のリハビリですがこれが案外疲れた。しかも疲れた原因がリハビリの最初に行う運動で、椅子に腰かけ
両足首に1kgの重しを巻いて交互に足を上げて5秒静止するだけなんですが、両手は腹の前で組むのでこれが疲れた。
回数が午前と同じように30回なら何とも無かったでしょうが5分も続けるので息はハーハーとなり、終わって立ちがると
必ずよろめく始末です。手のリハビリに何で足の運動?と聞いてみたい気もありましたがそこは我慢です。
更に壁に向いて片足を上げて何秒保っていられるかの訓練は、左右どちらも2・3秒でよろめく始末です。
これには作業療養師も 「これはチョット早すぎますね」 と言って2回しかやらなかった。
手のリハビリ本命は、箱に入れた大豆の中に最初はボルトを10個入れ、目を閉じて3分内に取り出すことです。
一見簡単風に見えたが手足に痺れが出ている私には、掌の感覚が麻痺しているのか小さな大豆と大き目のボルトの違いが
分かりずらかった。
それでもボルトをクリアすると次はビー玉でした。ビー玉はボルトより軽く小さかったが何回かやるうちにこれもクリア。
最後はおはじきです。大豆よりは大きいおはじきだが重さが無いので形状だけで判断するのが難しく、退院するまでにクリア
する事ができませんでした。
他には鉛筆や箸を使った作業もあったが、箸も鉛筆も普段のようには持てないので余り好きな訓練ではありませんでした。
病気になってもダラダラ文章は治りません。今日ももう疲れてしまいました。残りは次回です。