妻に 「ひたちなか海浜公園のネモフィラと足利の大藤に連れてって」 と頼まれたが、花の時季が大型連休に重なるので
「渋滞するから嫌だ。」 と断っていた。
すると妻は 「車で行くのが嫌でしょうがツアーならいいでしょう」 と言って本当に申し込んでしまった。
日にちは4月30日とゴールデンウイークの真っ盛りだったが、自分で運転するのでなければマーいいでしょう。
ツアー間近になって送られてきたパンフレットを見ると、出発時間が朝5時50分で解散は夜の10時50分だった。
しかもその予定は大型連休以外も同じ工程なので、大型連休の最中では帰って来る事ができるか疑問だった。
兎も角4月30日午前5時50分に焼津駅を一路茨木県に向かって出発した。
コースは焼津駅を出て静岡駅と清水駅で客を乗せ、清水から東名に乗り首都高に向かった。途中海老名SAでトイレ休憩を
して、渋滞が予想されていた首都高に入ったが、添乗員曰く 「こんなに空いている首都高は初めてです。」 というくらい
車の少ない首都高を快適に走り、常磐道から北関東道、東水戸道路を乗り継いで “ひたちなかIC” を降りた。
一般的にはその先の “ひたち海浜公園” で降りるのだが、一つ手前で降りた方が空いているとの判断だったが、ICを
降りて少し進むと渋滞は始まり、結局海浜公園翼のゲート駐車場まで渋滞は続いていた。
あまり縁の無い茨木県に来たのですから茨木県について少し勉強をしましょう。
まず県名の茨木の謂れについては種々あったが、茨城の古くは “茨木” とも記されたことから “茨(いばら)の生えた地域” と
する説が妥当だと思われた。要は田舎だったんですよね茨城は。
と馬鹿にしたが、人口は全国11位で静岡県の次でした。イヤ~これにはビックリしたがさらに驚いたのは、静岡県の面積は
全国13位で茨城県は24位となっているのに、可住地面積(面積から林野と湖沼の面積を差し引いたもの)は茨木県は堂々の
4位だが静岡県は18位と大きく差を付けれれている。
これは茨木県は平地が多く(65%)住む場所が広いのに対し、静岡県は山岳地帯が多く済む場所が狭い(35%)からでしょう。
これではどちらが田舎なのか分からなくなりますよね。
ただ似ているの赤字空港がある事で茨城空港は2010年開港で、静岡空港は2009年とほぼ同じころです。
両空港とも首都圏に近いので、ドル箱の東京への便は無いので苦戦を強いられているのも同じです。
そうそう前々回のNHK朝ドラ “ひよっこ” の主人公が茨木県出身で、ドラマの中で 「イバラギではなくイバラキです。」 と
強調していたが、私もついつい “イバラギ” と言ってしまいます。
県が終ったので次は市に行きましょう。
「ひたちなか」 市はひらがな表記ですが、漢字では 「常陸那珂」 と書きます。
勿論 “常陸” は昔の “常陸国”からきているのですが、那珂は “常陸国那珂郡” からきているようです。
それより興味を持ったのは茨木県には “常陸那珂市” に “日立市” と “那珂市” がある事です。
中でも一番気になったのは日立市で、私は今まで日立製作所の企業城下町なので日立市だったとばかり思っていました。
ところがウイキペディアにはこんな話が紹介されていました。
「1939年(昭和14年)に、旧日立町と旧助川町が対等合併したが、対等合併のためどちらの町名を使うわけにいかず、
日立鉱山が調停案として新市名に「常陸市」を提案するも協議不調になり、新市名は茨城県に一任されることとなった。
県はすでに日立鉱山と日立製作所が全国的に知られていることを理由に、新市名を日立市に決定した。
日立製作所の成立以前から「日立村」という自治体は存在しており「日立」の地名は、徳川光圀によって名付けられたと
されるのが定説になっている。」
私は愛知県の豊田市と同じようように、企業城主に迎合した市名だったのかと思っていたが違っていました。
そろそろ海浜公園に入ります。
公園の正式名は 「国営ひたち海浜公園」 と全国17ヶ所ある国営公園の一つです。
戦前は陸軍の飛行場に利用され、敗戦後は米軍射爆撃場として使われていたが1973年(昭和48年)に返還されました。
その後、首都圏整備計画の一環として国営公園として整備され現在に至っています。
当初は公園の砂質土に適した水仙やチューリップを栽培していたが、平成14年公共工事の建設残土を積み上げて造成した
丘に、他では見られなかった景観を演出しようと、ライトブルーのネモフィラを導入し “みはらしの丘” と名付けた。
これが大当たりして今では茨城県民の “県民が自慢したい話題” の1位に選ばれるほどになったそうです。
ネモフィラってどんな花かって?
和名のルリカラクサ(瑠璃唐草)は花色が瑠璃色で葉が唐草模様に似ているところから付いたそうです。
最近では白花や花弁の先に斑点あるもの、芯が黒くなったものも見かけるが、矢張り瑠璃色と云うか空色と云うか青い色の
ネモフィラが好きです。
この見晴らしの丘一面に植えられているネモフィラは全てこの空色のネモフィラですが、一部色抜けした白花も混じっていた。
青い丘の上の青い空。カタカナで言うならライトブルーとスカイブルーの融合なんてものや、更に海のマリンブルーが
加わった青色の競演を見たかったのだが、今日の空は抜けるような青空ではなく、海もどんよりとした黒っぽかったのが
残念でした。
我家の小さな花壇では毎年ネモフィラを植えていました。何しろこのネモフィラは栽培が容易で、種からでも簡単に苗が
作れるのが魅力でした。このネモフィラと矢張り種から蒔けるアリッサムが我家の庭の定番でした。
ここひたち海浜公園は非常に広くて、大きく分けて森林エリア、みはらしエリア、草原エリア、砂丘エリア等に分かれていたが
自由時間の1時間50分で見学できたのは、みはらしエリアだけでした。
とは言え見学時間をこれ以上増やされてもとても歩いて回る気にはなれませんでしたが。
焼津駅を5時50分に出て海浜公園着が12時頃でしたが、昼飯はバスの中での自由食です。
さらに出発が2時と中々忙しい行程です。
「渋滞するから嫌だ。」 と断っていた。
すると妻は 「車で行くのが嫌でしょうがツアーならいいでしょう」 と言って本当に申し込んでしまった。
日にちは4月30日とゴールデンウイークの真っ盛りだったが、自分で運転するのでなければマーいいでしょう。
ツアー間近になって送られてきたパンフレットを見ると、出発時間が朝5時50分で解散は夜の10時50分だった。
しかもその予定は大型連休以外も同じ工程なので、大型連休の最中では帰って来る事ができるか疑問だった。
兎も角4月30日午前5時50分に焼津駅を一路茨木県に向かって出発した。
コースは焼津駅を出て静岡駅と清水駅で客を乗せ、清水から東名に乗り首都高に向かった。途中海老名SAでトイレ休憩を
して、渋滞が予想されていた首都高に入ったが、添乗員曰く 「こんなに空いている首都高は初めてです。」 というくらい
車の少ない首都高を快適に走り、常磐道から北関東道、東水戸道路を乗り継いで “ひたちなかIC” を降りた。
一般的にはその先の “ひたち海浜公園” で降りるのだが、一つ手前で降りた方が空いているとの判断だったが、ICを
降りて少し進むと渋滞は始まり、結局海浜公園翼のゲート駐車場まで渋滞は続いていた。
あまり縁の無い茨木県に来たのですから茨木県について少し勉強をしましょう。
まず県名の茨木の謂れについては種々あったが、茨城の古くは “茨木” とも記されたことから “茨(いばら)の生えた地域” と
する説が妥当だと思われた。要は田舎だったんですよね茨城は。
と馬鹿にしたが、人口は全国11位で静岡県の次でした。イヤ~これにはビックリしたがさらに驚いたのは、静岡県の面積は
全国13位で茨城県は24位となっているのに、可住地面積(面積から林野と湖沼の面積を差し引いたもの)は茨木県は堂々の
4位だが静岡県は18位と大きく差を付けれれている。
これは茨木県は平地が多く(65%)住む場所が広いのに対し、静岡県は山岳地帯が多く済む場所が狭い(35%)からでしょう。
これではどちらが田舎なのか分からなくなりますよね。
ただ似ているの赤字空港がある事で茨城空港は2010年開港で、静岡空港は2009年とほぼ同じころです。
両空港とも首都圏に近いので、ドル箱の東京への便は無いので苦戦を強いられているのも同じです。
そうそう前々回のNHK朝ドラ “ひよっこ” の主人公が茨木県出身で、ドラマの中で 「イバラギではなくイバラキです。」 と
強調していたが、私もついつい “イバラギ” と言ってしまいます。
県が終ったので次は市に行きましょう。
「ひたちなか」 市はひらがな表記ですが、漢字では 「常陸那珂」 と書きます。
勿論 “常陸” は昔の “常陸国”からきているのですが、那珂は “常陸国那珂郡” からきているようです。
それより興味を持ったのは茨木県には “常陸那珂市” に “日立市” と “那珂市” がある事です。
中でも一番気になったのは日立市で、私は今まで日立製作所の企業城下町なので日立市だったとばかり思っていました。
ところがウイキペディアにはこんな話が紹介されていました。
「1939年(昭和14年)に、旧日立町と旧助川町が対等合併したが、対等合併のためどちらの町名を使うわけにいかず、
日立鉱山が調停案として新市名に「常陸市」を提案するも協議不調になり、新市名は茨城県に一任されることとなった。
県はすでに日立鉱山と日立製作所が全国的に知られていることを理由に、新市名を日立市に決定した。
日立製作所の成立以前から「日立村」という自治体は存在しており「日立」の地名は、徳川光圀によって名付けられたと
されるのが定説になっている。」
私は愛知県の豊田市と同じようように、企業城主に迎合した市名だったのかと思っていたが違っていました。
そろそろ海浜公園に入ります。
公園の正式名は 「国営ひたち海浜公園」 と全国17ヶ所ある国営公園の一つです。
戦前は陸軍の飛行場に利用され、敗戦後は米軍射爆撃場として使われていたが1973年(昭和48年)に返還されました。
その後、首都圏整備計画の一環として国営公園として整備され現在に至っています。
当初は公園の砂質土に適した水仙やチューリップを栽培していたが、平成14年公共工事の建設残土を積み上げて造成した
丘に、他では見られなかった景観を演出しようと、ライトブルーのネモフィラを導入し “みはらしの丘” と名付けた。
これが大当たりして今では茨城県民の “県民が自慢したい話題” の1位に選ばれるほどになったそうです。
ネモフィラってどんな花かって?
和名のルリカラクサ(瑠璃唐草)は花色が瑠璃色で葉が唐草模様に似ているところから付いたそうです。
最近では白花や花弁の先に斑点あるもの、芯が黒くなったものも見かけるが、矢張り瑠璃色と云うか空色と云うか青い色の
ネモフィラが好きです。
この見晴らしの丘一面に植えられているネモフィラは全てこの空色のネモフィラですが、一部色抜けした白花も混じっていた。
青い丘の上の青い空。カタカナで言うならライトブルーとスカイブルーの融合なんてものや、更に海のマリンブルーが
加わった青色の競演を見たかったのだが、今日の空は抜けるような青空ではなく、海もどんよりとした黒っぽかったのが
残念でした。
我家の小さな花壇では毎年ネモフィラを植えていました。何しろこのネモフィラは栽培が容易で、種からでも簡単に苗が
作れるのが魅力でした。このネモフィラと矢張り種から蒔けるアリッサムが我家の庭の定番でした。
ここひたち海浜公園は非常に広くて、大きく分けて森林エリア、みはらしエリア、草原エリア、砂丘エリア等に分かれていたが
自由時間の1時間50分で見学できたのは、みはらしエリアだけでした。
とは言え見学時間をこれ以上増やされてもとても歩いて回る気にはなれませんでしたが。
焼津駅を5時50分に出て海浜公園着が12時頃でしたが、昼飯はバスの中での自由食です。
さらに出発が2時と中々忙しい行程です。