23番 薬王寺
まめ(6日目) (2003/3/18)
宿(6:30)→薬王寺(23)→宿(15:10)(15:00) 35.3km
今日の歩行予定距離は四国で初めての40k台だ。
宿の好意で朝食を6時に支度してくれたので、6時半には出発できた。
しかし張り切って出たのはよいが、昨日できてしまったまめが気になって仕方ない。
まめは親指と人指し指の間の足の裏に出来ている。
私はまめには縁が無く、今までも子供の頃には出来たが大人になってからは縁が無かった。
例えば新しい登山靴で長距離を歩いても、通勤用の薄い靴下一枚で大丈夫だった。
それで自分の足は頑丈でまめは出来ないものと思っていたのでショックだ。
そんなわけでまめ治療の針や赤チンも用意してない。
まめはまだ痛くはないが、足が地面に着くたびに違和感を覚える。
それなのに今日は43kmもある。更に月夜御水庵からは国道55号ずっと歩かなければならない。
なぜ6日目くらいでまめは出来たのだろうか。今までもこれ位は歩いていたのに------
思い当たるのはただ一つ。雨! 雨に違いない。
今日までの6日間で合羽を着た日が3日もある。靴は防水もないしグシャグシャ状態。
勿論足も蒸れて柔らかくなっているだろう。
その状態で毎日何10kも歩けば当然まめは出来てもおかしくないだろう。
原因は想像できたがどうしょうもない。我慢して歩くしかない。
国道に出て幾つかのトンネルを通る。
トンネルは怖いと聞いていたのでペンシルライトを用意してトンネルに入る。
金剛杖には焼山寺で同宿だった遍路さんに貼って貰った蛍光シールも巻いてあるが-----
だがこの国道のトンネルは歩道がしっかりしていて不安は感じなかった。良かった!
阿波最後の23番薬王寺から初めて海が見えた。
次の土佐ではこの海がズート左側に付いて回り、最後には見飽きるかもしれないが今は新鮮に見える。
厄除けの石段には10円5円1円と硬貨が置いてあり、中には百円玉もあったが、流石500円玉は見当たらない。
私もおつりで貰った1円や5円玉を置いてきた。
薬王寺まで約20km歩いたが、今日はまだ残り23kmもある、しかもずっと舗装の国道だ。
地図を見てばかりいると余計に疲れるので、道なりに歩くのだから地図は必要ないとしまってしまった。
朝は張りきっていたが、ここまで歩くと少々うんざりしてきた。だが歩かなければ前に進まない。
ともかく後6時間くらい歩けば宿に着くだからと自分を励ますしかなかった。
3時間ほど歩くと東屋風の休憩所があったので休んでいると、車から降りてきた人が
「今日はどこまで行くの」 と聞いてきた。
「牟岐駅前の民宿です」 と答えると、その人はなんと
「牟岐じゃもうすぐだね」 と言った。
「エー 後3時間ぐらいかかるじゃあありません?」 とびっくりして聞くと
「そんな事はないよ。この坂を下るだけだから後30分もあれば充分かな」 と嬉しいことを言う。
地図を確認すると43kは番外を含めた距離で、番外を外すと36km程だった。
計算違いだったのだが、とても得をした気分になった。
今日の宿も食堂と兼業の民宿で夕食は色々あり豪華だった。何だか前に進むほど料理が良くなってくる感じだ。
しかもここの民宿は乾燥機付洗濯機を無料で使っていいとの事、早速四国に来て初めてズボンやブラウスと大分黒くなって
しまっている白衣も洗った。
夕食のとき女将さんと色々話をした。
牟岐出身でプロ野球元阪急上田監督やゴルフのジャンボ尾崎の話、今まで泊まった遍路の話、女将が新聞に載った話など
面白可笑しく話してくれた。更に話のついでのように
「明日の宿は決まっているのか」 と聞くので 「まだ決まっていない」 と答えると
「それじゃ 明日は “まるた屋” さんにしなさい。まるた屋までは30kあるけど、お客さんなら大丈夫歩けるよ」 と言って、
なんとまるた屋に電話で予約をしてしまった。
私も夕食前に明日以後の予定を調べてあり、明後日は室戸岬の最御崎寺の宿坊に泊まろうと決めていた。
その室戸岬までは此処から60kあるので明日はその中間の宿と考えていて、まるた屋も候補だったので良かったが、
違う宿を考えていた人は慌てるだろう。
足のまめはまだ血は出ていないが水ぶくれの状態になっていた。
見ていた女将さんが 「これじゃ針で水を抜かなきゃ駄目」 と針と糸を持って来てくれた。
糸の使い道が分からず聞いてみると
「まめから水を出すのだけど皮を破ると回復が遅いので、糸を通して穴を大きくして水を出やすくする」 との事。
確かに理屈は通っている。
針を刺しても痛くも痒くも無いので、水が出やすいように縦横に刺しておいた。
これで明日はまめを気にしないで済むだろう。