歩行記録 H30-2-18(日)
歩行時間:6時間10分 休憩時間:1時間00分 延時間:7時間10分
出発時刻:7時50分 到着時刻:15時00分
歩 数: 25、746歩(推定距離18.28km) GPS距離16.6km
行程表
宇津ノ谷峠道の駅0:45> 農道終点 0:25> ロンショウ 0:15> 谷川峠 0:50> 野田沢峠 1:05> 西又峠 0:55>
ダイラボウ 0:40> 西又峠 1:00> 県道合流(殿) 0:15> もくせいの家BS
今回は数年来課題だったコースを歩いてきます。
歳と共に行きたくても行けない山が増えてきています。その中でも今回の 「宇津ノ谷からダイラボー」 特に行きたい山でした。
行きたくても行けない理由は 「危険回避」 によるものです。この歳になって 「単独行の老人 山で遭難 無謀登山か」 何て見出しで
新聞を賑わかしたくありませんものね。
この危ない場所もなさそうなコースの危険とは 「道迷い危険」 です。
他では伊豆山稜の “天城峠~船原峠”も、伊豆山稜縦走コースで未踏破の区間なので是非歩きたいと思っています。
しかしこの区間は1回で歩き切るのは私の体力では無理ですが、途中に宿泊施設がありません。。
体力的に不安を感じているのは富士山もそうです。
古希には “海から富士山” を何とか歩き、喜寿には5合目からを狙ってますが気力・体力が果たしてどうなる事やら。
この二つの危険は 「体力的危険」 かな。
もう一つの危険は 「滑落危険」 があります。
“八紘嶺~大谷嶺” は体力もさることながら滑落の危険もありそうです。ここは高校時代に大谷崩れの扇の要にテン泊して
八紘嶺を縦走しました。その時は倒木が多く、ただただ大変な山だとの記憶だけで危険だった思いはありません。
それで花の季節にと思ったのですが、最近の山行記録には危ない等と書かれています。そうなると私には怖くて行けません。
怖いと言えば高校時代よく刃渡りをした愛鷹の鋸岳ですが、どうなっているか2年前に行ってきました。しかし見ただけで
怖くなりそのまま割石峠に戻ってしまいました。
宇津ノ谷ーダイラボウ概略図
この概略図で私が道迷いを気にしている場所は、ロンショウから西又峠の間です。
この間は地図を読めない私でも、谷川峠上の414m峰と野田沢峠上の301m付近は方向も変わり迷いそうだと思います。
その場所に標識か目印がある事をただただ願うだけですが、若しなければ無理をせず引き返す積りです。
離脱地点は野田沢峠と西又峠や谷川峠を考えていますが、そこまでは何としてでも行くか戻るかしなければなりません
所要時間はロンショウからダイラボウまでは7km程度ですので4時間もみれば大丈夫でしょう。
そこでロンショウ・谷川峠を30分。谷川峠・野田沢峠間を1時間、野田沢峠から西又峠を1時間30分、西又峠からダイラボウを
1時間とみて計4時間。そして宇津ノ谷からロンショウ間を1時間30分としてダイラボウまでは計5時間30分としました。
帰りコースが問題です。とても駅までは歩く元気は無いのでバス利用になるのですが、バス停は藁科川の両岸にそれぞれあり、
一番利用したい朝比奈川側にもあるが終バスが3時ととても早いので利用できそうもありません。
マー帰りのバスはダイラボウに何時に着くのか分からないのに今考えても仕方ありません。
藁科側のバスの終点には十分間に合うのだからそれで良しとして、帰りの道はその時点で決める事にします。
道の駅 宇津ノ谷峠 宇津ノ谷集落入口
静岡側の宇津ノ谷峠道の駅でバスを降り宇津ノ谷集落方面に向かう。
吐く息は白く、途中にあったバケツの氷は厚く押しても割れない。今日も冷え込んでいるが先日粟ヶ岳に行った時より暖かい。
なのに吐く息が今回は白く見えるのは何でしょうね?
何時もなら左の集落への道を行くのだが、今日は右の県道を進む。
丸子川の渓谷1 丸子川の渓谷2
諏訪神社を過ぎた所から始まる農道の横にある丸子川は、下流とは趣を変えた渓谷美を見せています。
尤もこんな感じの場所はほんの少しだけで直に平凡な川になってしまいます。
農道分岐 廃作業小屋
最初の農道分岐は左の西沢農道に入り、暫く行くと茶畑の中で道が分岐しているので横道に入る。
直進する道は飯間山近く稜線に出るが、農道が終った先は踏み跡が不明な部分もあるので余りお勧めではありません。
桧の皮で壁を葺いたような作業小屋があったが、今は使ってないようだ。トタンの壁より風情を感じますよね。
廃炭焼き小屋? 農道終点
今度は作業小屋が崩れて屋根だけ残ったのか。それとも炭焼き小屋の屋根なのか判然としないものもある。
この辺りの林は石垣で整備され枝打ちも行われているので整然とした感じがしています。
農道の終点です。山道の入口に 「飯間山 こっちだょ➩」 の標識があり迷うことなく山道に入れる。
尾根道合流 ロンショウ
途中にあった竹林の中は、竹の葉が落ちて道を覆っていたが目印があるので迷うことなく歩けます。
宇津ノ谷峠から飯間山・徳願寺を結ぶ尾根の縦走路には色違いのテープや何枚かの標識が付いてすぐ分かります。
今日のダイラボウへのコースは、本来宇津ノ谷峠からの予定でしたが、今歩いて来た西沢農道に比べて疲労度は倍以上には
なると思い、道迷いに加え体力的不安も重なっては私にはとても無理なので、楽な西沢農道コースにしてしまいました。
その合流部の先が三等三角 “朝比奈” だが、朝比奈の地名はもっと北の玉露の里付近の筈なので調べてみました。
だが、藤枝市には “朝比奈” の地名は見当たらないので、三角点設置場所の住所を見ると “桂島字朝比奈” となっていた。
本当にこの場所が “字朝比奈” なのだろうかと疑問に感じてしまいます。
だが、もっと疑問に思うのは標識にある “ロンショウ” です。
ここのある標識のお陰で “ロンショウ” の名は知られてきたが、一体何を意味した地名なのか? 本当にここは地元で
“ロンショウ” と呼んでいたのだろうか? 来るたび疑問を感じてしまいます。
谷川峠分岐 分岐の標識
ダイラボウへの分岐はロンショウの先にある。
以前この分岐には 「谷川・戸沢方面」 の標識だけだったが、ここ数年で 「ダイラボウ こっちだょ」 とか地図のような標識が
取付けられた。
実はこの “谷川” という標識は宇津ノ谷峠にも 「谷川峠へ3時間」 とあって何となく頭の隅に入っていた。
それが駿河33観音で岡部桂島の谷川山梅林院を訪れて “谷川山” の山号に興味を感じて地元の人に聞いてみると。
「谷川とは寺のある辺りから上を指す地名で、その川を遡ると静岡にも行けた。」と話してくれた。
これで俄然妄想的歴史観に火が点き “谷川峠は丸子城の西への抜け道で、梅林院はその抜道の守りを兼ねた寺だ。” と
思うようになった。
突然丸子城が出てきても読んでいる人にはチンプンカンプンでしょうから説明します。
駿河の守護となった今川だが、当初駿府には安倍氏などの豪族が支配していた。今川は一先ず藤枝の花倉に館を築き
徐々に駿府に勢力を延ばしていった。駿府を政略すると駿府の西の要として東海道に丸子城と館を築城する。
丸子城は大崩山塊の中にあり、城の裏の支稜を辿れば梵天山から宇津ノ谷峠に至る主稜に出る事ができる。
主稜を東に行けば歓昌院坂経由で駿河に出れ、西に行けば岡部に出れるのだが、そのまま進むと東海道に出てしまう。
そこで主稜の途中にあるロンショウから谷川峠に下り、梅林院に至る道を整備して丸子城の抜道にしたのだ、と思えてきた。
梅林院に出れば味方の岡部氏の潮城や、朝比奈氏の守る朝比奈城もあり、更に花倉城に行く事もできる。
そんな分けで一度は谷川峠を歩いてみたいと思っていたので今回は丁度良い機会になった。
谷川峠への急坂 目 印
分岐にあった地図の標識に急坂とあったが確かにかなりの急坂だ。分岐から真っすぐ直滑降の状態で下っているが林の中の
道なので地面が柔らく滑ることもなく下る事ができる。そのため踏み跡はハッキリしているので道を探す事はない。
谷川峠1 谷川峠2
思っていた以上に簡単に谷川峠に着いたが、ここを登るのは大変そうで逆コースで良かったと思った。
谷川峠を上から見ると左(西)の桂島に下る道はハッキリ見えている。この道が丸子城からの抜道等と空想しながら歩くのは
私だけだろうが何となく楽しくなる。
右に下る踏み跡もあるが、地図を見ると新東名下りの静岡SAに延びているようだが、峠には飯間山と野田沢峠への標識しかない。
414mピーク 414mの標識
峠から414mピークへの上り返しは思っていより軽かった。これはロンショウの標高が412mでピ-クとほぼ同じ高さだが、
谷川峠とピークまでの距離が長いせいでしょう。
谷川峠までは何の問題も無く来れたが、今日の一番不安に感じている414mのピークが近づいている。慎重に行こう。
何となく高台と思える場所に出ると正面を塞ぐように標識があり右に曲がるようになっていた。
これなら道を見落とすこたはないし、直進する踏み跡も無いので間違いようもないと一安心。
ただ逆コースで来ると、正面に標識はあるが直進する踏み跡もあるので下ばかり見て歩いていると見落とす恐れはある。
標識には西の踏み跡を指して “戸沢・本沢・谷川” とあるのでどこかには続いているようです。
大 岩 林の道
この稜線にも竹林があり竹の葉が踏み跡を隠していたが目印もあるので迷う事はなかった。
右手に大きな岩が見えていたが、このような岩が幾つかあれば磐座とされ祀られていたかもしれないが、今はただの大岩です。
植林された林の中の道も多いが、道はハッキリしています。
この山は??? ダイラボウか
右側の樹間越しに山が見えていたが分からない山ばかりだ。山頂にアンテナや鉄塔のある見た事がりそうな山も見えたが
分からない。花も木も山の名前も分からない詰まらない男です。
アッ! あれはダイラボウだ。山頂の植林を伐採した形に特徴があるのだが送電線の鉄塔が見えない。果たしてダイラボウか?
野田沢峠 野田沢峠の記念碑
車の音が聞こえてくる峠の手前で道が合流していた。合流した道は峠から来る太めの道で真っすぐ延びている。
山から下ってきた道は細く踏み跡も薄い。峠から登って来た時は間違って太い道を前進してしまいそうだ。
ただ、細い道の方に目印のリボンが3枚ほど巻いてあったので何とかなりそうだが。
峠の上から下を見ると舗装された車道の横に石碑が見え、道の向こうには柵のある階段も見えている。
次の西又峠にはあの階段を登って行くようです。
ここまでは何の問題も無く来る事ができたが、ここまでの所要時間は2時間30分になっている。計画では3時間とみたので
まずまずの結果だった。
野田沢峠に 「山峡拓き 緑風爽やか」 の記念碑と事業経過と題した石碑が立っている。
それによると野田沢峠は古くから静岡市飯間と岡部町野田沢を結ぶ山道として利用していて、峠には両集落から手厚く信仰されて
いる地蔵菩薩が祀られている。
道路工事は平成元年から着手されたが脆弱な土質が起因して工事に大きな影響を及ぼした。平成十年日本道路公団が第二東名
建設に伴い、静岡飯間地内にSA設置のための工事道路として利用することになり、協議して残工事を実施してもらう。
ここで10分ほど休憩したがその間に5台ほどの車が通過した。山間の道としては利用率が高いようです。
歩行時間:6時間10分 休憩時間:1時間00分 延時間:7時間10分
出発時刻:7時50分 到着時刻:15時00分
歩 数: 25、746歩(推定距離18.28km) GPS距離16.6km
行程表
宇津ノ谷峠道の駅0:45> 農道終点 0:25> ロンショウ 0:15> 谷川峠 0:50> 野田沢峠 1:05> 西又峠 0:55>
ダイラボウ 0:40> 西又峠 1:00> 県道合流(殿) 0:15> もくせいの家BS
今回は数年来課題だったコースを歩いてきます。
歳と共に行きたくても行けない山が増えてきています。その中でも今回の 「宇津ノ谷からダイラボー」 特に行きたい山でした。
行きたくても行けない理由は 「危険回避」 によるものです。この歳になって 「単独行の老人 山で遭難 無謀登山か」 何て見出しで
新聞を賑わかしたくありませんものね。
この危ない場所もなさそうなコースの危険とは 「道迷い危険」 です。
他では伊豆山稜の “天城峠~船原峠”も、伊豆山稜縦走コースで未踏破の区間なので是非歩きたいと思っています。
しかしこの区間は1回で歩き切るのは私の体力では無理ですが、途中に宿泊施設がありません。。
体力的に不安を感じているのは富士山もそうです。
古希には “海から富士山” を何とか歩き、喜寿には5合目からを狙ってますが気力・体力が果たしてどうなる事やら。
この二つの危険は 「体力的危険」 かな。
もう一つの危険は 「滑落危険」 があります。
“八紘嶺~大谷嶺” は体力もさることながら滑落の危険もありそうです。ここは高校時代に大谷崩れの扇の要にテン泊して
八紘嶺を縦走しました。その時は倒木が多く、ただただ大変な山だとの記憶だけで危険だった思いはありません。
それで花の季節にと思ったのですが、最近の山行記録には危ない等と書かれています。そうなると私には怖くて行けません。
怖いと言えば高校時代よく刃渡りをした愛鷹の鋸岳ですが、どうなっているか2年前に行ってきました。しかし見ただけで
怖くなりそのまま割石峠に戻ってしまいました。
宇津ノ谷ーダイラボウ概略図
この概略図で私が道迷いを気にしている場所は、ロンショウから西又峠の間です。
この間は地図を読めない私でも、谷川峠上の414m峰と野田沢峠上の301m付近は方向も変わり迷いそうだと思います。
その場所に標識か目印がある事をただただ願うだけですが、若しなければ無理をせず引き返す積りです。
離脱地点は野田沢峠と西又峠や谷川峠を考えていますが、そこまでは何としてでも行くか戻るかしなければなりません
所要時間はロンショウからダイラボウまでは7km程度ですので4時間もみれば大丈夫でしょう。
そこでロンショウ・谷川峠を30分。谷川峠・野田沢峠間を1時間、野田沢峠から西又峠を1時間30分、西又峠からダイラボウを
1時間とみて計4時間。そして宇津ノ谷からロンショウ間を1時間30分としてダイラボウまでは計5時間30分としました。
帰りコースが問題です。とても駅までは歩く元気は無いのでバス利用になるのですが、バス停は藁科川の両岸にそれぞれあり、
一番利用したい朝比奈川側にもあるが終バスが3時ととても早いので利用できそうもありません。
マー帰りのバスはダイラボウに何時に着くのか分からないのに今考えても仕方ありません。
藁科側のバスの終点には十分間に合うのだからそれで良しとして、帰りの道はその時点で決める事にします。
道の駅 宇津ノ谷峠 宇津ノ谷集落入口
静岡側の宇津ノ谷峠道の駅でバスを降り宇津ノ谷集落方面に向かう。
吐く息は白く、途中にあったバケツの氷は厚く押しても割れない。今日も冷え込んでいるが先日粟ヶ岳に行った時より暖かい。
なのに吐く息が今回は白く見えるのは何でしょうね?
何時もなら左の集落への道を行くのだが、今日は右の県道を進む。
丸子川の渓谷1 丸子川の渓谷2
諏訪神社を過ぎた所から始まる農道の横にある丸子川は、下流とは趣を変えた渓谷美を見せています。
尤もこんな感じの場所はほんの少しだけで直に平凡な川になってしまいます。
農道分岐 廃作業小屋
最初の農道分岐は左の西沢農道に入り、暫く行くと茶畑の中で道が分岐しているので横道に入る。
直進する道は飯間山近く稜線に出るが、農道が終った先は踏み跡が不明な部分もあるので余りお勧めではありません。
桧の皮で壁を葺いたような作業小屋があったが、今は使ってないようだ。トタンの壁より風情を感じますよね。
廃炭焼き小屋? 農道終点
今度は作業小屋が崩れて屋根だけ残ったのか。それとも炭焼き小屋の屋根なのか判然としないものもある。
この辺りの林は石垣で整備され枝打ちも行われているので整然とした感じがしています。
農道の終点です。山道の入口に 「飯間山 こっちだょ➩」 の標識があり迷うことなく山道に入れる。
尾根道合流 ロンショウ
途中にあった竹林の中は、竹の葉が落ちて道を覆っていたが目印があるので迷うことなく歩けます。
宇津ノ谷峠から飯間山・徳願寺を結ぶ尾根の縦走路には色違いのテープや何枚かの標識が付いてすぐ分かります。
今日のダイラボウへのコースは、本来宇津ノ谷峠からの予定でしたが、今歩いて来た西沢農道に比べて疲労度は倍以上には
なると思い、道迷いに加え体力的不安も重なっては私にはとても無理なので、楽な西沢農道コースにしてしまいました。
その合流部の先が三等三角 “朝比奈” だが、朝比奈の地名はもっと北の玉露の里付近の筈なので調べてみました。
だが、藤枝市には “朝比奈” の地名は見当たらないので、三角点設置場所の住所を見ると “桂島字朝比奈” となっていた。
本当にこの場所が “字朝比奈” なのだろうかと疑問に感じてしまいます。
だが、もっと疑問に思うのは標識にある “ロンショウ” です。
ここのある標識のお陰で “ロンショウ” の名は知られてきたが、一体何を意味した地名なのか? 本当にここは地元で
“ロンショウ” と呼んでいたのだろうか? 来るたび疑問を感じてしまいます。
谷川峠分岐 分岐の標識
ダイラボウへの分岐はロンショウの先にある。
以前この分岐には 「谷川・戸沢方面」 の標識だけだったが、ここ数年で 「ダイラボウ こっちだょ」 とか地図のような標識が
取付けられた。
実はこの “谷川” という標識は宇津ノ谷峠にも 「谷川峠へ3時間」 とあって何となく頭の隅に入っていた。
それが駿河33観音で岡部桂島の谷川山梅林院を訪れて “谷川山” の山号に興味を感じて地元の人に聞いてみると。
「谷川とは寺のある辺りから上を指す地名で、その川を遡ると静岡にも行けた。」と話してくれた。
これで俄然妄想的歴史観に火が点き “谷川峠は丸子城の西への抜け道で、梅林院はその抜道の守りを兼ねた寺だ。” と
思うようになった。
突然丸子城が出てきても読んでいる人にはチンプンカンプンでしょうから説明します。
駿河の守護となった今川だが、当初駿府には安倍氏などの豪族が支配していた。今川は一先ず藤枝の花倉に館を築き
徐々に駿府に勢力を延ばしていった。駿府を政略すると駿府の西の要として東海道に丸子城と館を築城する。
丸子城は大崩山塊の中にあり、城の裏の支稜を辿れば梵天山から宇津ノ谷峠に至る主稜に出る事ができる。
主稜を東に行けば歓昌院坂経由で駿河に出れ、西に行けば岡部に出れるのだが、そのまま進むと東海道に出てしまう。
そこで主稜の途中にあるロンショウから谷川峠に下り、梅林院に至る道を整備して丸子城の抜道にしたのだ、と思えてきた。
梅林院に出れば味方の岡部氏の潮城や、朝比奈氏の守る朝比奈城もあり、更に花倉城に行く事もできる。
そんな分けで一度は谷川峠を歩いてみたいと思っていたので今回は丁度良い機会になった。
谷川峠への急坂 目 印
分岐にあった地図の標識に急坂とあったが確かにかなりの急坂だ。分岐から真っすぐ直滑降の状態で下っているが林の中の
道なので地面が柔らく滑ることもなく下る事ができる。そのため踏み跡はハッキリしているので道を探す事はない。
谷川峠1 谷川峠2
思っていた以上に簡単に谷川峠に着いたが、ここを登るのは大変そうで逆コースで良かったと思った。
谷川峠を上から見ると左(西)の桂島に下る道はハッキリ見えている。この道が丸子城からの抜道等と空想しながら歩くのは
私だけだろうが何となく楽しくなる。
右に下る踏み跡もあるが、地図を見ると新東名下りの静岡SAに延びているようだが、峠には飯間山と野田沢峠への標識しかない。
414mピーク 414mの標識
峠から414mピークへの上り返しは思っていより軽かった。これはロンショウの標高が412mでピ-クとほぼ同じ高さだが、
谷川峠とピークまでの距離が長いせいでしょう。
谷川峠までは何の問題も無く来れたが、今日の一番不安に感じている414mのピークが近づいている。慎重に行こう。
何となく高台と思える場所に出ると正面を塞ぐように標識があり右に曲がるようになっていた。
これなら道を見落とすこたはないし、直進する踏み跡も無いので間違いようもないと一安心。
ただ逆コースで来ると、正面に標識はあるが直進する踏み跡もあるので下ばかり見て歩いていると見落とす恐れはある。
標識には西の踏み跡を指して “戸沢・本沢・谷川” とあるのでどこかには続いているようです。
大 岩 林の道
この稜線にも竹林があり竹の葉が踏み跡を隠していたが目印もあるので迷う事はなかった。
右手に大きな岩が見えていたが、このような岩が幾つかあれば磐座とされ祀られていたかもしれないが、今はただの大岩です。
植林された林の中の道も多いが、道はハッキリしています。
この山は??? ダイラボウか
右側の樹間越しに山が見えていたが分からない山ばかりだ。山頂にアンテナや鉄塔のある見た事がりそうな山も見えたが
分からない。花も木も山の名前も分からない詰まらない男です。
アッ! あれはダイラボウだ。山頂の植林を伐採した形に特徴があるのだが送電線の鉄塔が見えない。果たしてダイラボウか?
野田沢峠 野田沢峠の記念碑
車の音が聞こえてくる峠の手前で道が合流していた。合流した道は峠から来る太めの道で真っすぐ延びている。
山から下ってきた道は細く踏み跡も薄い。峠から登って来た時は間違って太い道を前進してしまいそうだ。
ただ、細い道の方に目印のリボンが3枚ほど巻いてあったので何とかなりそうだが。
峠の上から下を見ると舗装された車道の横に石碑が見え、道の向こうには柵のある階段も見えている。
次の西又峠にはあの階段を登って行くようです。
ここまでは何の問題も無く来る事ができたが、ここまでの所要時間は2時間30分になっている。計画では3時間とみたので
まずまずの結果だった。
野田沢峠に 「山峡拓き 緑風爽やか」 の記念碑と事業経過と題した石碑が立っている。
それによると野田沢峠は古くから静岡市飯間と岡部町野田沢を結ぶ山道として利用していて、峠には両集落から手厚く信仰されて
いる地蔵菩薩が祀られている。
道路工事は平成元年から着手されたが脆弱な土質が起因して工事に大きな影響を及ぼした。平成十年日本道路公団が第二東名
建設に伴い、静岡飯間地内にSA設置のための工事道路として利用することになり、協議して残工事を実施してもらう。
ここで10分ほど休憩したがその間に5台ほどの車が通過した。山間の道としては利用率が高いようです。