焼津カンポ下から岡部の農道
歩行記録 H29-5-14(日)
歩行時間:7時間30分 休憩時間:1時間30分 延時間:9時間00分
出発時刻:7時15分 到着時刻:15時20分
歩 数:37、499歩(推定距離26.62km) GPS距離25.4km
行程表
焼津駅 0:50> 農道入口 0:25> 道標の峠入口 1:05> 兎沢遺跡分岐 1:20> 石部峠入口 0:25> 日本坂峠入口
0:20> 鞍掛峠入口 0:10> 石脇口 0:25> 笛吹段 0:40> 西の谷口 0:20> 富士見峠下 1:00> 池の平 0:30>
間違った分岐 0:10> 農道終点 0:25> 間違った分岐 0:40> 北のピーク登山道 0:20> 多福寺 1:00> 県道合流
0:30> 岡部支所バス停
農道入口から石脇口入口までの概略図
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昨夜は遅くまで雨が降っていたので予定していた志太奥の山は止めて、久し振りに高草山の農道歩きをする事に。
農道なら全行程舗装なので足元の心配は無いし、道路脇には色々な山草が咲きだした頃なので少しは期待もできそうです。
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瀬戸川からの高草山 農道入口
家を出る時はまだ霧雨状態だったが、焼津駅を歩きだした時はそれも止んだが高草山の上はまだ黒い雲が被さっていた。
でも降水確率は20%なのでそのうち晴れて来るでしょう。
JRの東海道本線に沿って東に行き、小浜の海雲寺の手前から始まる農道が今日の出発点です。
農道の入口には農道名は書いてないが 「この道は、農作業を行うために作られた農道です。一般車両の通行は大変危険ですので、
関係者以外の通行は、ご遠慮ください。」 と書かれています。
こんな注意書きは時々見かけるが、そんなに危険な道なら農家の車両だって通行禁止だろう。なんて突っ込みたくなる。
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九十九折のモミジ(2013.11.30) 道標の峠入口
農道を登りだすと直ぐ大きなモミジのある九十九折になる。初めて歩いた時、カーブの所にわざわざ紅葉を何本も植えたのは、
日光のいろは坂を意識したのかもしれない、なら紅葉が綺麗かもしれないと思い歩いてみました。
紅葉ではなく黄葉でしたが、暖地のしかも町の近くにしてはマーマーな眺めでした。
農道に入り15分も歩くと江戸時代に駿府の海産問屋砂張屋の建てた道標のある峠の入口になる。その当時は峠を越した先の
元小浜で製塩が行われ、取れた塩を駿府まで運んでいたので、この道を “塩の道” と言う人もいます。その根拠として途中にある
塩竃神社を挙げていますが、私には塩も運んだが主に運んだのは海産物ではないかと思っています。
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ニリンソウの群落 一輪だけ残っていた
農道と別れ、かっての塩の道を少し下った所にニリンソウの群生地があるので覗いてきました。
当然花の時季には遅いと思っていたが、案の定咲いていたのは一輪だけでした。
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ハナイカダ?? ハナイカダ??
農道に戻りまた上り坂を歩きはじめると、葉の上にポツンと蕾状の物がのっている葉っぱがあった。
その時は当然ハナイカダと思ったが、今写真を見ていると蕾が葉の中央に無い。ネットで調べるとハナイカダは
「葉は長さ10cmほどで卵形、フチにぎざぎざがあります。春に葉の真ん中を縦に走る葉脈(主脈)上に1-3輪の花を咲かせます。」
しかし写真の葉はフチにはギザギザは無く、蕾は葉の真ん中ではなく、しかも葉脈の上でもない。
どうもハナイカダではなさそうだが、では何の花だろう?
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ミカンの木 ミカンの花
カンポの尾根の下の畑はミカン畑が多く、そのミカンは今が花の真っ盛りで、木は白い花が胡麻塩を振った如くなっている。
しかし花が少ないのか桜のような見栄えはない。こんな状態ではミカンの花を態々見に来る人はいないのは当然かな。
花をアップにしようと花に近づくと仄かに香りが漂ってくるのは良いが、肉厚の花は桜のような儚さがないのも人気が無い一因か。
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???? ???
この白い花は今回一番多く目にした花で、多い所は農道法面一面に垂れ下がって咲いていた。だが名前が分からない。
ウツギの一種かと思ったがウツギのような筒状の花ではなく、ハッキリ5弁に分かれている。
また、テイカカズラ(定家蔓)もこんな格好に咲くが、花弁の先がスクリューのよう曲っているのでこの花ではない。
「高草山・低山の四季博物誌」 には春咲く白い花として、ウツギ、スイカズラ、イボタを挙げているが見る限り違うようです。
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スイカズラ(吸蔓) スイカズラ(金銀花とも)
スイカズラは花に特徴があり甘い匂いがするのですぐ分かった。
黄色と白の花が咲いていたが、黄色の花は触るとすぐ落ちてしまうので、白い花が枯れる前に変色するのだろうと思っていた。
だが先程の高草山の博物誌には
「白と黄色の花を混在させているのでキンギンカ(金銀花)とも呼ばれる。スイカズラ(吸蔓)は花の蜜が甘いから、また冬でも葉を
全部は落とさず内側に巻いて寒さに耐えるので、ニンドウ(忍冬)という名前もある。」
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仏炎苞は暗紫色で付属体が白く太い 仏炎苞は暗紫色で付属体が黒い 仏炎苞は緑色でで付属体が白く細い
蔓が延びていないのでどれもがマムシグサ(蝮草)と思われるが、今日見たものでもこれだけの違いがある。
最初に見た付属体が白く太い物は思わずユキモチソウ(雪餅草)かと思ってしまった。だが今年山野草展で見たユキモチソウの
付属体は、もっと真っ白で正しく雪や餅の白さだった。そして付属体自体はもっと扁平で大きかった。
次に見たのは仏炎苞は同じように暗紫色だが付属体が黒くて小さかった。
更に3枚目のマムシグサは一番多い種類で、仏炎苞は緑色で付属体が白く細い物だ。
これらの全てがマムシグサとしても名前が違うだろうと調べてみたら、仏炎苞が紫褐色のもをムラサキマムシグサ。
仏炎苞が緑色をしているのがアオマムシグサと記した物があった。それ適用するなら前2枚はムラサキマムシグサで、3枚目が
アオマムシグサとなるのだろうが、付属体の色や太さで分類はしていない。ようは良く分からなかった。
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崖の上の鉢の巣箱 鉢が活動している巣箱 切株を利用した巣箱
大崩山塊の志太側の農道には日本蜜蜂の巣箱が沢山設置してある。農道の管理者は巣箱を撤去するよう貼紙をしてあるが一向に
減る様子はない。だが巣箱はあるが鉢が活動しているのを見るのは珍しく、蜂のいる巣は一割も無いと思う。
日本蜜蜂は大がかりな養蜂が行われている西洋蜜蜂と違い、蜂は小さく採ってくる蜜の量も少ないので2~3年に1度しか蜜は取れない
ようです。それでもこれだけ巣箱があるという事は蜜が美味しいのか、それとも高く売れるのか・・・・・
1枚目の巣箱は自然の岩の中断にあり、どこから登って設置したのだろうかとルートを探してしまいました。
大崩山塊は登山道を歩いていると岩場は無くなだらかな山だが、山の斜面を切り崩して作った農道の法面は岩場をよく目にします。
2枚目は一般的な設置法で農道法面のブロックの上に巣箱を置いてあります。この巣箱が撤去の対象でしょうか。
3枚目は切株を利用した珍しい設置方法でした。こんな状態で蜂蜜をどうやって回収するのか不思議です。
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焼津の街並みが見えてきた 山桑の実
農道が兎沢遺跡と分岐した先から焼津の街並みが見えてきた。線刻画の壁画がある兎沢遺跡からも、これと同じような景色を
眺める事ができるので、昔の人も私と同じように眺めがいい所に眠りたいらしい。それにここなら墓石が苦労しないで手に入りそうだ。
写真では小さくて見にくいが焼津港や、東海道本線、国道150号線、東海道新幹線、東名高速も写っています。
左の尾根はカンポの尾根です。
この山域は江戸時代はアブラギリを栽培して灯油を絞っていたが、明治なり石油が入ってくるとアブラギリは廃れ、養蚕が盛んに
なると桑の栽培に移行した。更にミカンや茶の栽培も盛んになってくると養蚕も廃れ桑の木も伐採されてしまった。
その名残だろうか大崩山塊を歩いていると時々桑の木に出会う事がある。特に方の上城跡の上には大きな桑の木があって、時季に
なると道が赤黒くなるほど桑の実が落ちている。何個か実を取って食べたが高すぎて中々取れなかった。
ここの桑の木なら手ごろな高さなので実は取りやすいが、まだ白や赤で食べ頃の黒にはなっていない。上手くいかないものです。
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ヤマブキ ヤマブキ
今年見納めのヤマブキでしょう。
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314m峰入口 イロハモミジ
傾斜が強くハーハーしながら歩き、ようやく農道が下り始めたら、そこに314m峰の入口がある。
農道右側の藪木が道にせり出した所から踏み跡が上に向かって付いてます。良く見れば人が入ったように草木が分かれている
ようにも見えます。314m峰から尾根伝いに西に向えば石部峠上のピークに出ます。次にある水車小屋から石部峠の道に行くより
近道なのは間違いないが、314m峰までがかなり不鮮明な踏み跡です。尤も上に上にと向かえば着く事は出来ますが。
314m峰入口を過ぎると農道の下りが始まり、下りは見晴台の先まで続きます。
モミジの緑の葉の上に赤い竹トンボが沢山ついています。実際飛ぶ(?)ときも竹とんぼのように回りながら飛んでいきます。
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花沢集落 満観峰入口
石部峠入口や日本坂峠の入口を過ぎて花沢集落が下に見えてきたら鞍掛峠の入口はすぐです。
写真の前方右にある法面の斜面がその入口です。ここまでハイカーにも農家の人にも合わなかったが、ここでは人の声がした。
今日は日曜日なので当然満観峰に行く人は多い筈なのに、声はすれども姿は見えずだった。
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2月7日のときは枝が赤かった 正体はモミジだった
今年の2月7日にアドベンチャーハイクと称して大崩山塊を歩いた時、最後に高草山と鞍掛峠の鞍部から下って農道に合流した
地点です。その時、枝先の赤い木が2本あり何の木か分からないまま紹介したが、今日来たら何の事はないモミジの木だった。
しかしモミジはモミジでも種子を飛ばす竹とんぼは付いていないのでイロハモミジではなさそうだ。
でも何モミジかわ分かりません。
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??? 見晴台
モミジの木の横に、細くて短い赤い棘がブラシの様に枝先生えている木があった。まるで赤いカスミソウに見えない事はない。
いやカスミソウより霞んでいて赤い棘が花のように見えていた。一体なんの木でしょうかねぇ?
見晴台には藤棚があり残りの藤が垂れ下がっていた。勿論(?)ここにも誰も居ません。
見晴台が過ぎ今まで下り坂だった道が上りになると鞍掛峠への分岐に出て、ここを鞍掛峠に向えば岡部の廻沢集落に行きます。
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花沢城跡 兎沢遺跡近くからの花沢城跡
鞍掛分岐から少し下りになった所の分岐を直進すれば花沢城跡のあるやきつ辺の道に出る。今日はこの分岐を右折して急な登りに
なった農道を行く。
暫く行くと左側に頂上部の樹木が伐採され広場になっている山が見えるが、それが花沢城の曲輪跡です。
以前焼津市の講演会で花沢所を整備すると聞いたが、ここから見る限りまだ整備工事は始まっていないようです。
2枚目の写真は今日歩いてい来た兎沢分岐の上から見た花沢城跡の山ですが、山頂が平らになっていることが分かると思います。
「桶狭間の敗戦で力をなくした今川を、甲斐武田信玄は好機とばかり駿河侵攻を計った。駿府を平定した武田勢は更に大崩の山を
越えて遠州地方にもその勢力を伸ばすため花沢城や田中城に攻め寄ってきた。
花沢城主だった大原肥前守資長は一ヶ月近く抗戦したが落城した。」
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焼津港が見えてきた 石脇からの農道と合流
更に農道を進むと焼津港が見えてきた。ここからは焼津と藤枝の志太平野の景色が嫌と云うほど続きます。
尾根の上に見える建物は “簡保の宿 焼津” です。その右の長い堤防内が新焼津港です。
やっと石脇からの農道に合流です。
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焼津港が清々見える 石脇登山道
ここまで来ると焼津港の全景が見えてきます。中央に見える広い建物はサッポロビールの焼津工場です。
高草山に登る石脇口の登山道の標識に遭遇です。石脇口は後3度ほど農道を横断するのでまだまだこの先標識は出てきます。
石脇口だけでなく高草山に登る坂本Aコース、Bコースの標識も何度も顔を出して来ます。その標識を見るたびに農道歩きなんか
バカらしくなってきたが我慢、我慢。
歩行記録 H29-5-14(日)
歩行時間:7時間30分 休憩時間:1時間30分 延時間:9時間00分
出発時刻:7時15分 到着時刻:15時20分
歩 数:37、499歩(推定距離26.62km) GPS距離25.4km
行程表
焼津駅 0:50> 農道入口 0:25> 道標の峠入口 1:05> 兎沢遺跡分岐 1:20> 石部峠入口 0:25> 日本坂峠入口
0:20> 鞍掛峠入口 0:10> 石脇口 0:25> 笛吹段 0:40> 西の谷口 0:20> 富士見峠下 1:00> 池の平 0:30>
間違った分岐 0:10> 農道終点 0:25> 間違った分岐 0:40> 北のピーク登山道 0:20> 多福寺 1:00> 県道合流
0:30> 岡部支所バス停
農道入口から石脇口入口までの概略図

昨夜は遅くまで雨が降っていたので予定していた志太奥の山は止めて、久し振りに高草山の農道歩きをする事に。
農道なら全行程舗装なので足元の心配は無いし、道路脇には色々な山草が咲きだした頃なので少しは期待もできそうです。


瀬戸川からの高草山 農道入口
家を出る時はまだ霧雨状態だったが、焼津駅を歩きだした時はそれも止んだが高草山の上はまだ黒い雲が被さっていた。
でも降水確率は20%なのでそのうち晴れて来るでしょう。
JRの東海道本線に沿って東に行き、小浜の海雲寺の手前から始まる農道が今日の出発点です。
農道の入口には農道名は書いてないが 「この道は、農作業を行うために作られた農道です。一般車両の通行は大変危険ですので、
関係者以外の通行は、ご遠慮ください。」 と書かれています。
こんな注意書きは時々見かけるが、そんなに危険な道なら農家の車両だって通行禁止だろう。なんて突っ込みたくなる。


九十九折のモミジ(2013.11.30) 道標の峠入口
農道を登りだすと直ぐ大きなモミジのある九十九折になる。初めて歩いた時、カーブの所にわざわざ紅葉を何本も植えたのは、
日光のいろは坂を意識したのかもしれない、なら紅葉が綺麗かもしれないと思い歩いてみました。
紅葉ではなく黄葉でしたが、暖地のしかも町の近くにしてはマーマーな眺めでした。
農道に入り15分も歩くと江戸時代に駿府の海産問屋砂張屋の建てた道標のある峠の入口になる。その当時は峠を越した先の
元小浜で製塩が行われ、取れた塩を駿府まで運んでいたので、この道を “塩の道” と言う人もいます。その根拠として途中にある
塩竃神社を挙げていますが、私には塩も運んだが主に運んだのは海産物ではないかと思っています。


ニリンソウの群落 一輪だけ残っていた
農道と別れ、かっての塩の道を少し下った所にニリンソウの群生地があるので覗いてきました。
当然花の時季には遅いと思っていたが、案の定咲いていたのは一輪だけでした。


ハナイカダ?? ハナイカダ??
農道に戻りまた上り坂を歩きはじめると、葉の上にポツンと蕾状の物がのっている葉っぱがあった。
その時は当然ハナイカダと思ったが、今写真を見ていると蕾が葉の中央に無い。ネットで調べるとハナイカダは
「葉は長さ10cmほどで卵形、フチにぎざぎざがあります。春に葉の真ん中を縦に走る葉脈(主脈)上に1-3輪の花を咲かせます。」
しかし写真の葉はフチにはギザギザは無く、蕾は葉の真ん中ではなく、しかも葉脈の上でもない。
どうもハナイカダではなさそうだが、では何の花だろう?


ミカンの木 ミカンの花
カンポの尾根の下の畑はミカン畑が多く、そのミカンは今が花の真っ盛りで、木は白い花が胡麻塩を振った如くなっている。
しかし花が少ないのか桜のような見栄えはない。こんな状態ではミカンの花を態々見に来る人はいないのは当然かな。
花をアップにしようと花に近づくと仄かに香りが漂ってくるのは良いが、肉厚の花は桜のような儚さがないのも人気が無い一因か。


???? ???
この白い花は今回一番多く目にした花で、多い所は農道法面一面に垂れ下がって咲いていた。だが名前が分からない。
ウツギの一種かと思ったがウツギのような筒状の花ではなく、ハッキリ5弁に分かれている。
また、テイカカズラ(定家蔓)もこんな格好に咲くが、花弁の先がスクリューのよう曲っているのでこの花ではない。
「高草山・低山の四季博物誌」 には春咲く白い花として、ウツギ、スイカズラ、イボタを挙げているが見る限り違うようです。


スイカズラ(吸蔓) スイカズラ(金銀花とも)
スイカズラは花に特徴があり甘い匂いがするのですぐ分かった。
黄色と白の花が咲いていたが、黄色の花は触るとすぐ落ちてしまうので、白い花が枯れる前に変色するのだろうと思っていた。
だが先程の高草山の博物誌には
「白と黄色の花を混在させているのでキンギンカ(金銀花)とも呼ばれる。スイカズラ(吸蔓)は花の蜜が甘いから、また冬でも葉を
全部は落とさず内側に巻いて寒さに耐えるので、ニンドウ(忍冬)という名前もある。」



仏炎苞は暗紫色で付属体が白く太い 仏炎苞は暗紫色で付属体が黒い 仏炎苞は緑色でで付属体が白く細い
蔓が延びていないのでどれもがマムシグサ(蝮草)と思われるが、今日見たものでもこれだけの違いがある。
最初に見た付属体が白く太い物は思わずユキモチソウ(雪餅草)かと思ってしまった。だが今年山野草展で見たユキモチソウの
付属体は、もっと真っ白で正しく雪や餅の白さだった。そして付属体自体はもっと扁平で大きかった。
次に見たのは仏炎苞は同じように暗紫色だが付属体が黒くて小さかった。
更に3枚目のマムシグサは一番多い種類で、仏炎苞は緑色で付属体が白く細い物だ。
これらの全てがマムシグサとしても名前が違うだろうと調べてみたら、仏炎苞が紫褐色のもをムラサキマムシグサ。
仏炎苞が緑色をしているのがアオマムシグサと記した物があった。それ適用するなら前2枚はムラサキマムシグサで、3枚目が
アオマムシグサとなるのだろうが、付属体の色や太さで分類はしていない。ようは良く分からなかった。



崖の上の鉢の巣箱 鉢が活動している巣箱 切株を利用した巣箱
大崩山塊の志太側の農道には日本蜜蜂の巣箱が沢山設置してある。農道の管理者は巣箱を撤去するよう貼紙をしてあるが一向に
減る様子はない。だが巣箱はあるが鉢が活動しているのを見るのは珍しく、蜂のいる巣は一割も無いと思う。
日本蜜蜂は大がかりな養蜂が行われている西洋蜜蜂と違い、蜂は小さく採ってくる蜜の量も少ないので2~3年に1度しか蜜は取れない
ようです。それでもこれだけ巣箱があるという事は蜜が美味しいのか、それとも高く売れるのか・・・・・
1枚目の巣箱は自然の岩の中断にあり、どこから登って設置したのだろうかとルートを探してしまいました。
大崩山塊は登山道を歩いていると岩場は無くなだらかな山だが、山の斜面を切り崩して作った農道の法面は岩場をよく目にします。
2枚目は一般的な設置法で農道法面のブロックの上に巣箱を置いてあります。この巣箱が撤去の対象でしょうか。
3枚目は切株を利用した珍しい設置方法でした。こんな状態で蜂蜜をどうやって回収するのか不思議です。


焼津の街並みが見えてきた 山桑の実
農道が兎沢遺跡と分岐した先から焼津の街並みが見えてきた。線刻画の壁画がある兎沢遺跡からも、これと同じような景色を
眺める事ができるので、昔の人も私と同じように眺めがいい所に眠りたいらしい。それにここなら墓石が苦労しないで手に入りそうだ。
写真では小さくて見にくいが焼津港や、東海道本線、国道150号線、東海道新幹線、東名高速も写っています。
左の尾根はカンポの尾根です。
この山域は江戸時代はアブラギリを栽培して灯油を絞っていたが、明治なり石油が入ってくるとアブラギリは廃れ、養蚕が盛んに
なると桑の栽培に移行した。更にミカンや茶の栽培も盛んになってくると養蚕も廃れ桑の木も伐採されてしまった。
その名残だろうか大崩山塊を歩いていると時々桑の木に出会う事がある。特に方の上城跡の上には大きな桑の木があって、時季に
なると道が赤黒くなるほど桑の実が落ちている。何個か実を取って食べたが高すぎて中々取れなかった。
ここの桑の木なら手ごろな高さなので実は取りやすいが、まだ白や赤で食べ頃の黒にはなっていない。上手くいかないものです。


ヤマブキ ヤマブキ
今年見納めのヤマブキでしょう。


314m峰入口 イロハモミジ
傾斜が強くハーハーしながら歩き、ようやく農道が下り始めたら、そこに314m峰の入口がある。
農道右側の藪木が道にせり出した所から踏み跡が上に向かって付いてます。良く見れば人が入ったように草木が分かれている
ようにも見えます。314m峰から尾根伝いに西に向えば石部峠上のピークに出ます。次にある水車小屋から石部峠の道に行くより
近道なのは間違いないが、314m峰までがかなり不鮮明な踏み跡です。尤も上に上にと向かえば着く事は出来ますが。
314m峰入口を過ぎると農道の下りが始まり、下りは見晴台の先まで続きます。
モミジの緑の葉の上に赤い竹トンボが沢山ついています。実際飛ぶ(?)ときも竹とんぼのように回りながら飛んでいきます。


花沢集落 満観峰入口
石部峠入口や日本坂峠の入口を過ぎて花沢集落が下に見えてきたら鞍掛峠の入口はすぐです。
写真の前方右にある法面の斜面がその入口です。ここまでハイカーにも農家の人にも合わなかったが、ここでは人の声がした。
今日は日曜日なので当然満観峰に行く人は多い筈なのに、声はすれども姿は見えずだった。


2月7日のときは枝が赤かった 正体はモミジだった
今年の2月7日にアドベンチャーハイクと称して大崩山塊を歩いた時、最後に高草山と鞍掛峠の鞍部から下って農道に合流した
地点です。その時、枝先の赤い木が2本あり何の木か分からないまま紹介したが、今日来たら何の事はないモミジの木だった。
しかしモミジはモミジでも種子を飛ばす竹とんぼは付いていないのでイロハモミジではなさそうだ。
でも何モミジかわ分かりません。


??? 見晴台
モミジの木の横に、細くて短い赤い棘がブラシの様に枝先生えている木があった。まるで赤いカスミソウに見えない事はない。
いやカスミソウより霞んでいて赤い棘が花のように見えていた。一体なんの木でしょうかねぇ?
見晴台には藤棚があり残りの藤が垂れ下がっていた。勿論(?)ここにも誰も居ません。
見晴台が過ぎ今まで下り坂だった道が上りになると鞍掛峠への分岐に出て、ここを鞍掛峠に向えば岡部の廻沢集落に行きます。


花沢城跡 兎沢遺跡近くからの花沢城跡
鞍掛分岐から少し下りになった所の分岐を直進すれば花沢城跡のあるやきつ辺の道に出る。今日はこの分岐を右折して急な登りに
なった農道を行く。
暫く行くと左側に頂上部の樹木が伐採され広場になっている山が見えるが、それが花沢城の曲輪跡です。
以前焼津市の講演会で花沢所を整備すると聞いたが、ここから見る限りまだ整備工事は始まっていないようです。
2枚目の写真は今日歩いてい来た兎沢分岐の上から見た花沢城跡の山ですが、山頂が平らになっていることが分かると思います。
「桶狭間の敗戦で力をなくした今川を、甲斐武田信玄は好機とばかり駿河侵攻を計った。駿府を平定した武田勢は更に大崩の山を
越えて遠州地方にもその勢力を伸ばすため花沢城や田中城に攻め寄ってきた。
花沢城主だった大原肥前守資長は一ヶ月近く抗戦したが落城した。」


焼津港が見えてきた 石脇からの農道と合流
更に農道を進むと焼津港が見えてきた。ここからは焼津と藤枝の志太平野の景色が嫌と云うほど続きます。
尾根の上に見える建物は “簡保の宿 焼津” です。その右の長い堤防内が新焼津港です。
やっと石脇からの農道に合流です。


焼津港が清々見える 石脇登山道
ここまで来ると焼津港の全景が見えてきます。中央に見える広い建物はサッポロビールの焼津工場です。
高草山に登る石脇口の登山道の標識に遭遇です。石脇口は後3度ほど農道を横断するのでまだまだこの先標識は出てきます。
石脇口だけでなく高草山に登る坂本Aコース、Bコースの標識も何度も顔を出して来ます。その標識を見るたびに農道歩きなんか
バカらしくなってきたが我慢、我慢。