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Channel: はぐれ遍路のひとりごと
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島田3山縦走 2

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                       双子山から千葉山へ 
歩行記録                                                        H29-4-30(日)
歩行時間:7時間30分   休憩時間:1時間30分   延時間:9時間00分
出発時刻:6時45分     到着時刻:15時45分
歩  数:37、135歩(推定距離26.36km)    GPS距離22.3km
行程表
 六合駅 0:50> 東光寺本堂 0:25> 悠久の森 1:05> 双子山 1:20> 智満寺 0:25> 千葉山 0:20> ペンション
 0:10> ドウダン原 0:25> 伊田和里の湯 0:40> 矢倉山 0:20> 農道合流 1:00> 国1バイパス 0:30> 島田駅450
                                                             
                              双子山から千葉山へのルート概略図


                    
                 一生我慢の像                             これは・・・・・

  双子山に来ると必ず写してしまうのは 「一生我慢」 の像。足と手の長さや太さが同じで何故か胴が無い
への字に曲げた口元だが目元は穏やかで頑固親父の相にも見える。そんな像が何となく好きでいつも写真を写してしまう。

  空蔵尊の参道入口に建っている山名表示。双子山の標高は437mなので明らかに間違っているのだが一向に直す気配はない。
これを建ててくれた団体は、この間違いには気が付かないのだろうか。
マジックインキを持ってきて訂正しても良いが、ここは山頂ではないの正確な標高が分からない。果たして437mにしても良いか
分からないので訂正もしずらい。

          
             タンポポモドキ?                        ハハコグサとマツバウンラン

  農道脇には見慣れた雑草が咲いている。随分背高のっぽなタンポポたが、それにしては茎が細く長すぎる。
家に帰ってから調べてみると、どうやらタンポポモドキらしい。説明には茎の長さは50cmもあるとある。
このタンポポモドキの花は農道のいたる所にあり、ここdwタンポポより多かった。

  ハハコグサ(母子草)も良く見かける雑草だが私はあまり好きではない。理由は白っぽい綿毛のような物が薄く覆うのが。カビや
蜘蛛巣のように見えるから。同じように見える薄雪草(エーデルワイス)も余り好きではありません。
一方マツバウンラン(松葉海蘭)を初めて意識して見たのは満観峰山頂で、群落になって風に揺れている姿が可憐に感じた。
それが最近では我家の庭にも生えてきたし、近所の家庭菜園にも群になって咲いている。なんか急に増えてきたように感じる。
名前の由来は海辺に咲く蘭に似たウンラン(海蘭)の花に似ていて、葉が松葉のようだから付いたとある。

私は初めて名前を知ったときは、青っぽい花が海のように広く咲き、波のように風に揺らぐからだと思ったが見事に外れだった。
それにしても葉っぱが松葉には見えない。このマツバウンランは農道脇どころか茶畑のヘリのも一杯咲いていた。

 
              417m峰の地蔵尊                             大井川と牧之原が見えた

  鞍部で農道が四辻になった所から茶畑の間を強引に上に向かって登ると、再度農道がありそこには祠に入ったお地蔵さんが
安置されている。初めてこのお地蔵さんを見た時、昔は千葉山の智満寺からこの地蔵尊の前と、双子山と谷稲葉の心岳寺の間に
ある地蔵尊の前を通り、心岳寺に向かう遍路道があったのだろうと想像をした。
更に心岳寺の上には峠の地蔵があり、そこには高根神社に向かう遍路道だったとの案内も建っていた。
一度心岳寺から先をそのうち歩いてみたいと思っていたが、今もってそのままになってしまっている。
私の歳では “そのうち” は “やらない” や “できない” と同義語で多分歩けないで終わってしまうだろう。


  この地蔵尊のある高台は地図の417m峰で周りの景色を眺める事ができます。そんな景色を眺めていると軽トラが走ってきて
祠に横に車を止めて農家の人が降りてきた。これ幸いとばかりに 「この道は昔の道ですか?」 と聞くと
 「昔は尾根伝いに双子山の方に道があった。」 と教えてくれた。他にも聞きたい事があったが忙しそうなので止めにした。
でも昔は尾根伝いの道があった事を確認できただけでも収穫があった。
現在の農道は四辻から417m峰を巻くように中腹を走っていて、祠の前の農道を下ればその道に合流します。

          
               ノゲシ?                                ウツギ(空木)

  一見するとアザミの黄花版かと思った。棘を持った葉がアザミにそっくりだし、茎の太さも似ている。
だがアザミには黄花は無いので似たような葉を持った “ノゲシ(野芥子)” のようだ。説明には棘はあるが柔らかく痛くないと
あるので、次に見た時は触ってみます。

  この葉なら知っています。大崩山塊でも良く見かけるウツギです。このように色の付いたウツギはハコネウツギと云うらしいが
詳しい事は分かりません。まーウツギと分かればヨシ!としています。
ウツギが何故ウノハナ(卯の花)になったのか、それはウィキペディアに載っていました。
 「うつぎの「う」を取って、「う」の花と名付けた。旧暦4月を卯月というのは、卯の花が咲く季節から卯月と名付けられた。」

      
                                これが二子山の謂れと思うが

  双子山と417m峰が見える所に来ました。この景色が双子山三不思議の三つ目です。
山の名前が双子山なら二つのピークのある双耳峰が考えれるが、ここの双子山は対となるピークが判然としない。この近くを
歩くたびに探していたが見つける事ができなかった。
双子山を紹介したブログに 「双子山は虚空蔵尊のあるピークと広場のあるピークで対になっている。」 とあり、一時はそんな
物かと思ったが、どうも真から納得できないでいた。なにしろ広場のある場所はピークというより山頂下の “肩” のような所で、
視覚的にも双耳峰とも双子山の片割れとは私には思えない。
それがこの景色を見てからは “双子山は虚空蔵尊のあるピークと地蔵尊が安置してあるピ-クが対である” と思えるようになった。
声高らかに双子山の相手だとは言いずらいが、どうでしょうか私の推理は・・・・・・・

  双子山の三不思議を纏めると
一、沢コースの八重桜の並木は誰が何のため、そして誰が花見をするのか。
二、双子山の三角点は何故塚の上にあるのか。標高は何処の位置か。
三、双子山の対となるピークは何処か。
以上の三つですが、ご存知の方がいたら教えてください。

          
               ????                             ホウチャク(宝鐸)ソウ

  又々名前の分からない花が出てきた。蔓性の植物で白い鈴蘭状の花が裂けて、中から薄紫の花弁が開いている。
この手の花で私の思いつくのは “マユミ” しかないが、どうやらそうではないようです。

  智満寺の境内に咲いていたホウチャクソウは、先週歩いた烏帽子形山にもあったのでまだ覚えています。
今日はこの花の語源となった “宝鐸” を紹介できると思うのですが、東光寺にも虚空蔵尊にも宝鐸は吊り下げられていなかった。
だが本命はここ智満寺で、何しろ国の重要文化財に指定されているのだから無い分けはないと思っています。

                    
                     仁王門                               中 門

  智満寺は双子山方面から来た時は急な正面参道の階段を登らなくても済むのだが、山門(仁王門)も通らず本堂に行くのでは
申し訳ないと山門経由で境内に入ることにしました。
ここの最初の門は仁王さんがいるから仁王門ですよね。それは分るが仁王が居るか居ないか近づかなければ分かりません。
なら山門でも良さそうな気がするんですが駄目ですかねぇ? この仁王門はこれでも県指定の文化財です。

  例え仁王門経由でも階段はあります。階段の上に見える門は中門とか。これも県指定の文化財です。

          
                国指定重要文化財 智満寺本堂                             薬師堂

  天台宗 千葉山智満寺 山号は当初は宝亀山また広智山と称していたが、荒廃していた寺を源頼朝の命を受けた千葉氏により
本再建された。この再建を契機に千葉氏の名を山号と改めたそうです。
駿河の寺の多くは武田信玄の駿河侵攻で焼かれたが、幸い智満寺は攻められたが焼失は逃れることができたそうです。

  探していた宝鐸(ほうたく)はここの国の重要文化財の本堂にも下がっていなかった。
これで葉梨の安楽寺、六合の東光寺、そしてここの智満寺と三寺とも宝鐸は無かった。
待てよ! 考えてみればこの三寺は全て天台宗の寺だったが、天台宗は宝鐸を付けないのかな?
それとも宝鐸とは寺では珍しい物なのか。これから気を付けて見て行こう。

  薬師堂も県指定の文化財です。寄棟造りの茅葺のお堂はコジンマリしていて感じ良く見えます。
このお堂の近くの水を治療に用いて医業を成功させた医師が寄進したのだそうです。
 
          
                       ミズヒキ(水引)                               千葉山山頂

  ハチノジグサ(八の字草)と言いたくなるような草ですが、これはミズヒキ(水引)の葉です。
この模様は徐々に薄れてきて消えてしまいますが、その頃になると花穂が伸びて小さな花が幾つも咲いてきます。
種類にもよるがこの辺りのミズヒキは上から見ると赤く、下から見ると白く見え、あたかも紅白の水引のように見える事から
ミズヒキの名が付いたといいます。

  智満寺から約25分で千葉山山頂に到着。山頂には智満寺の奥の院や国の天然記念物に指定されている “智満寺の十本杉” が
点在しています。尤も今は3本か倒れてしまい “七本杉” になっていますが。

      
            大 杉                       達磨杉                     盛相(もりそう)杉
    樹高40m 目通り幹囲9.5m           樹高30m 目通り幹囲7.0m        樹高40m 目通り幹囲7.8m
      
            一本杉                   常胤(つねたね)杉                     雷 杉
    樹高45m 目通り幹囲8.5m           樹高30m 目通り幹囲7.2m        樹高36m 目通り幹囲8.5m

 いつもは山道沿いにある杉の木しか見ていないので盛相(もりそう)杉と一本杉、それと経師(つねもろ)杉は見た事はなかった。
何回もここに来ているのに十本杉を見ていないなんて “観歩” 失格だなと反省して見て回ることにした。
なのに1本だけ離れていた経師杉は又もやパスしてしまう。全く口ほどでもない男です。私は。

  倒れてしまった杉は、開山杉、子持杉、頼朝杉だそうです。

 
             アマドコロ(甘野老)か                              次に行く矢倉山

  六合から智満寺手前までは一人も会わなかったハイカーだが、智満寺には30人くらいの登山姿の人がいた。
それがペンションに行くと駐車場には車が溢れ、老若男女人がゾロゾロしているが、皆ドウダン原のツツジを目指しているようです。
時刻は11時55分なので予定通りここで昼飯にしたいが人が多すぎて食べずらい。これではドウダン原へ行っても同じことだと、
以前吊橋があった方に入り込み昼飯にした。

  ベンチの横にナルコユリらしき花が咲いていたが、調べてみると花が2個づつあるのはアマドコロで、ナルコユリは3個から5個とある。
ならこの花は全て2個づつなのアマドコロなのだろう。
このアマドコロは漢字で書くと “甘野老” と書くとか。これでは読む事も意味も見当がつかない。図鑑には
 『地下茎が「野老(ところ)似ているが、野老は苦いのに対しこちらは甘いので 「甘い野老」 から 「甘野老」 になった。』 とある。
 “野老” が  “ところ” も分からないが、更に 「若芽はゆでて食べられる。」 とあるが甘い地下茎には触れられていないのも分からない。

  次の矢倉山が見えていた。下に見える処理場の裏から登りだすので、直登コースは煙突の延長線上を上に伸ばした辺りだろうか。
一般コースは処理場の更に左から登り始める。こちらは見当もつかなかった。

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