マンホールが春を呼ぶ (MH季節シリ-ズ)
観歩を心掛けながら遍路や街道歩きをしていると、道端に佇む野仏や道標に気が取られるのは当然だが、車や自転車に轢かれ、
人にも踏まれながらも地面に張り付いて、己の使命を全うをしているマンホールの蓋に目が行くこともある。
そんなマンホールの蓋を時折写真に写していたのだが、先日新聞に 「マンホールのカードがブームに」 の記事が掲載されていた。
それなら写し溜めておいたマンホールの蓋の写真たちにも陽の目を見せてやろうと 「MHシリ-ズ」 を思い立ちました。
先ずシリーズ開始のトップバッターは、お江戸日本橋の地面に敷設された 「日本国 道路元標」 です。
東京都中央区(2012.4)
この道路元標はMHではないが道路上に敷設された物の代表としてトップバッターとして登場させました。
写真は東海道を15回かけて歩いた時の写真で、その日は夜行列車で早朝に東京に着きその足で日本橋に行って写しました。
朝が早かったのか車は少なく余裕をもって写すことができ、近くの交番で立哨していたお巡りさんも黙認してくれました。
さて春と言えば桜ですがMHの蓋で桜を主体とした物は意外と少なく、城や橋などの添え物として扱われている物が多かった。
そんな中でこの絵柄は明らかに桜を表していると分かるので春のトップを飾ってもらいました。
静岡県三島市(2012.4)
三島で桜を考えても思い浮かぶ所もないし、このMHの絵柄では特徴は無くどの町でも使え面白くないのだが仕方ない。
三島は東海道では勿論歩くし下田街道の起点でもある。また駿河一国33観音や駿河百地蔵の際にも歩いた馴染みの街です。
なのに三島の写真はこれ1枚しかなかった。もっと探せば “三嶋大社” や “三島梅花藻” の図柄もあるかもしれない。
杜若(かかきつばた)
愛知県知立市(2011.8)
知立と聞いてこの花がカキツバタと分かる人は地元の人か通な人ですな。愛知県知立市は東海道の39番目の宿場町で古くは
池鯉鮒(ちりふ)宿として繁栄したそうです。
カキツバタと知立の関係はこんな話が伝わっています。
「平安時代に編まれた 『伊勢物語』 に有名な在原業平が東下りのおり池鯉鮒八橋の地で 『から衣 きつつなれにし つましあれば
はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ』 と詠んだ事から、 『八橋かきつばた園』 がり、市の花にも指定されています。」
菖蒲(あやめ)
静岡県伊豆の国市(2012.4)
伊豆の国市と聞いてもあやめもカキツバタも思い浮かばないが、伊豆長岡なら菖蒲が思い浮かぶ。
先月歩いた伊豆金冠山の帰りの沼津の木負に、源頼政と菖蒲(あやめ)御前の墓があった。その菖蒲御前が頼政公の死後
伊豆の古奈に戻り余生すごしたとされている。伊豆長岡温泉では菖蒲御前を偲ぶ祭りがあり、時折報道されている。
でも少々心配なのは写真を写した場所が同じ伊豆の国市でも旧伊豆長岡町ではなく旧大仁町辺りで写した事です。
若しかして蓋の中央にある町章のようなマークは旧大仁町の物ではないかと調べたが違うようだし、旧伊豆長岡町の物でも
なかった。なら仕方ない、一先ず菖蒲御前のアヤメとしてしまいました。
何れ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)
三重県桑名市(2011.9)
このMHは木曽川を渡り三重県に入ってすぐに写したものです。なので桑名市で間違いはなく、橋は木曽川に架かる尾張大橋か
長良川と揖斐川に架かる伊勢大橋だと思われます。なのに蓋中央にある市章らしきマークは桑名市の物ではなかった。
ウーンと頭を抱えたが思いついたのは、この中洲にあった長良川河口堰から見えたレジャーランドの事。そう長島温泉です。
早速三重県長島町で検索してみると、蓋のマークは三重県北牟婁(きたむろ)郡紀伊長島町の町章と分かりました。
その紀伊長島町は2005年に桑名市と合併していました。
それは分ったが当時の紀伊長島町の町の花はハマユウで アヤメでもカキツバタでもなかった。
ただ長島町と云えば 「輪中の郷」 としても知られている水と縁のある町だ。
なら野山に咲くアヤメではなく、湿った場所を好むカキツバタの方が正解だと思うが決断は下せません。
マンホールカードがどのような物か知りませんが、こんな調子で時折埋め草として紹介していきます。
観歩を心掛けながら遍路や街道歩きをしていると、道端に佇む野仏や道標に気が取られるのは当然だが、車や自転車に轢かれ、
人にも踏まれながらも地面に張り付いて、己の使命を全うをしているマンホールの蓋に目が行くこともある。
そんなマンホールの蓋を時折写真に写していたのだが、先日新聞に 「マンホールのカードがブームに」 の記事が掲載されていた。
それなら写し溜めておいたマンホールの蓋の写真たちにも陽の目を見せてやろうと 「MHシリ-ズ」 を思い立ちました。
先ずシリーズ開始のトップバッターは、お江戸日本橋の地面に敷設された 「日本国 道路元標」 です。
東京都中央区(2012.4)
この道路元標はMHではないが道路上に敷設された物の代表としてトップバッターとして登場させました。
写真は東海道を15回かけて歩いた時の写真で、その日は夜行列車で早朝に東京に着きその足で日本橋に行って写しました。
朝が早かったのか車は少なく余裕をもって写すことができ、近くの交番で立哨していたお巡りさんも黙認してくれました。
さて春と言えば桜ですがMHの蓋で桜を主体とした物は意外と少なく、城や橋などの添え物として扱われている物が多かった。
そんな中でこの絵柄は明らかに桜を表していると分かるので春のトップを飾ってもらいました。
静岡県三島市(2012.4)
三島で桜を考えても思い浮かぶ所もないし、このMHの絵柄では特徴は無くどの町でも使え面白くないのだが仕方ない。
三島は東海道では勿論歩くし下田街道の起点でもある。また駿河一国33観音や駿河百地蔵の際にも歩いた馴染みの街です。
なのに三島の写真はこれ1枚しかなかった。もっと探せば “三嶋大社” や “三島梅花藻” の図柄もあるかもしれない。
杜若(かかきつばた)
愛知県知立市(2011.8)
知立と聞いてこの花がカキツバタと分かる人は地元の人か通な人ですな。愛知県知立市は東海道の39番目の宿場町で古くは
池鯉鮒(ちりふ)宿として繁栄したそうです。
カキツバタと知立の関係はこんな話が伝わっています。
「平安時代に編まれた 『伊勢物語』 に有名な在原業平が東下りのおり池鯉鮒八橋の地で 『から衣 きつつなれにし つましあれば
はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ』 と詠んだ事から、 『八橋かきつばた園』 がり、市の花にも指定されています。」
菖蒲(あやめ)
静岡県伊豆の国市(2012.4)
伊豆の国市と聞いてもあやめもカキツバタも思い浮かばないが、伊豆長岡なら菖蒲が思い浮かぶ。
先月歩いた伊豆金冠山の帰りの沼津の木負に、源頼政と菖蒲(あやめ)御前の墓があった。その菖蒲御前が頼政公の死後
伊豆の古奈に戻り余生すごしたとされている。伊豆長岡温泉では菖蒲御前を偲ぶ祭りがあり、時折報道されている。
でも少々心配なのは写真を写した場所が同じ伊豆の国市でも旧伊豆長岡町ではなく旧大仁町辺りで写した事です。
若しかして蓋の中央にある町章のようなマークは旧大仁町の物ではないかと調べたが違うようだし、旧伊豆長岡町の物でも
なかった。なら仕方ない、一先ず菖蒲御前のアヤメとしてしまいました。
何れ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)
三重県桑名市(2011.9)
このMHは木曽川を渡り三重県に入ってすぐに写したものです。なので桑名市で間違いはなく、橋は木曽川に架かる尾張大橋か
長良川と揖斐川に架かる伊勢大橋だと思われます。なのに蓋中央にある市章らしきマークは桑名市の物ではなかった。
ウーンと頭を抱えたが思いついたのは、この中洲にあった長良川河口堰から見えたレジャーランドの事。そう長島温泉です。
早速三重県長島町で検索してみると、蓋のマークは三重県北牟婁(きたむろ)郡紀伊長島町の町章と分かりました。
その紀伊長島町は2005年に桑名市と合併していました。
それは分ったが当時の紀伊長島町の町の花はハマユウで アヤメでもカキツバタでもなかった。
ただ長島町と云えば 「輪中の郷」 としても知られている水と縁のある町だ。
なら野山に咲くアヤメではなく、湿った場所を好むカキツバタの方が正解だと思うが決断は下せません。
マンホールカードがどのような物か知りませんが、こんな調子で時折埋め草として紹介していきます。