歩行記録 H27-8-12(水)
歩行時間:5時間40分 休憩時間:2時間00分 延時間:7時間40分
出発時刻:8時30分 到着時刻:16時10分
歩 数: 36、270歩(推定距離27.2km) GPS距離24.4km
行程表
武豊駅 0:15> 24番 0:35> 25番 0:40> 開山 0:30> 番外 0:20> 26番 0:50> 27番 ・ 開山 0:55> 28番 0:45>
29番 0:45> 34番・31番・32番・30番 0:05> 大井BS
29番 正法寺(千枚通し)
風情のある遍路道 埋もれた道標
28番永寿寺からの開拓された丘の上の道が雑木林の道になった。道幅は広いが落ち葉が積り車は余り走っていないようだ。
道の脇に大師道の道標が半分埋もれ 「卍 十」 だけが見えていた。
この道は28番から29番正法寺(しょうぼうじ)に抜ける道なのに何故 “十” なのか。幾ら想像力を働かせても分からなかった。
ヨシ次の寺で聞いてみようと思ったが見事に忘れてしまった。
この道は昔、“遍路泣かせの弘法道” と呼ばれていたようだが、四国霊場の “遍路ころがし” を経験した身にとっては、この
道は歩きやすく “遍路笑い” の道でしかなかった。
遍路道にあった弘法堂 秋葉神社の常夜燈
雑木林の遍路笑いの道が終わり、民家が出始めた所に弘法大師を祀っているお堂があった。お堂の前の幟には 「知多四国
霊場」 の文字も見える。寺の境内でなく道端に弘法堂があったのは初めてだが、一先ず “南無大師遍照金剛” と宝号を唱えた。
だが次の遍路道はお堂の右の山裾を行くのか、それともお堂の前を通って民家のある方へ下るのか・・・・・
縮尺が大きい地図を見てもお堂は勿論、カーブしている道があるかどうかも分からない。周りに人も居ないし、仕方ない山裾の
道を行く事にしよう。
川沿いの民家 「すぐそこ」の道標
お堂から100mも行くと前方に南知多自動堂が見えてきた。シマッタこれは来過ぎてしまったと慌てて次の角を左折した。
そして出た所は太い車道で県道280号だった。
お堂の所を左折してもこの県道に出て、バス停の近くで橋を渡って細い道に出る事になっている。もう大丈夫だ。
県道と平行に流れる川沿いの民家は、赤っぽい石垣と黒壁が調和して良い雰囲気だった。
県道のバス停の所を右折して入った露地が、再び車道に合流して、その車道を南へ暫く行くと 「卍 ☚ すぐそこ」 と刻まれた
石の道標が建っていた。こんな表現の道標は珍しいが、この “すぐそこ” は実感が溢れていていい感じだ。。
正法寺山門 赤いレンガ塀と本堂
“すぐそこ” の道標から本当にすぐそこの所に正法寺の山門はあった。
正法寺の新しい山門の前には 「開運毘沙門天王」 の石碑や境内には白い多宝塔らしき建物も見えている。
山門から続く古い赤レンガの塀には、崩壊防止の鉄枠が取り付けられている。更に山門の右奥には大きな観音像も見ていた。
こりゃぁ面白そうだ。山門に来ただけでこんなに期待を持たせる札所は久しぶりだ。
本堂と厄除観音 弘法堂
まず訂正をします。多宝塔と紹介した建物は本堂だそうです。この寺は1999年12月24日(えっクリスマスだ)未明、不審火に
よって、弘法堂、客殿、庫裡を全焼し、町の重要文化財の室町時代の写経300巻も焼失したそうです。と云う事は多宝塔形式の
本堂は焼失を免れた事になるが、見た目は綺麗で新しそうに見える。
本堂のご本尊は毘沙門天だが、一緒に毘沙門天の妃と言われている吉祥天も祀られている。
毘沙門天が本尊なのも珍しいらしいが、毘沙門天を夫婦で一緒に祀ってあるのは、日本の寺でも珍しいのだそうです。
因みに知多四国霊場88ヶ寺の中で、ご本尊が毘沙門天なのは正法寺だけでした。
そんなに夫婦一緒が珍しいのなら、山門の左側に 「開運吉祥天妃」 と、毘沙門天の石碑より小振りの石碑を建てればと思う。
お詣りしたい(見てみたい)が本堂の扉は閉まっていた。
本堂の前に白文字で 「千本通し霊場」 と刻まれた石碑が見える。千本通し霊場とは四国霊場にもあったが、たしか薄いお札を
丸めて飲み込むと病気が治るとされていつやつだ。
果たしてここ正法寺の “千枚通し” も同じように、薄い和紙に「南無阿弥陀仏 法忍」と書かれたお札を、病気の時に飲むと病気が
治るとあった。
何故千枚通しかと云うと、 “法忍和尚” が書を書くと、その文字が千枚も通ったという事からその名が興ったと言われています。
たしか四国霊場では法忍和尚ではなく弘法大師が書いたと思うけどな。
28番から29番正法寺への道
歩行時間:5時間40分 休憩時間:2時間00分 延時間:7時間40分
出発時刻:8時30分 到着時刻:16時10分
歩 数: 36、270歩(推定距離27.2km) GPS距離24.4km
行程表
武豊駅 0:15> 24番 0:35> 25番 0:40> 開山 0:30> 番外 0:20> 26番 0:50> 27番 ・ 開山 0:55> 28番 0:45>
29番 0:45> 34番・31番・32番・30番 0:05> 大井BS
29番 正法寺(千枚通し)
風情のある遍路道 埋もれた道標
28番永寿寺からの開拓された丘の上の道が雑木林の道になった。道幅は広いが落ち葉が積り車は余り走っていないようだ。
道の脇に大師道の道標が半分埋もれ 「卍 十」 だけが見えていた。
この道は28番から29番正法寺(しょうぼうじ)に抜ける道なのに何故 “十” なのか。幾ら想像力を働かせても分からなかった。
ヨシ次の寺で聞いてみようと思ったが見事に忘れてしまった。
この道は昔、“遍路泣かせの弘法道” と呼ばれていたようだが、四国霊場の “遍路ころがし” を経験した身にとっては、この
道は歩きやすく “遍路笑い” の道でしかなかった。
遍路道にあった弘法堂 秋葉神社の常夜燈
雑木林の遍路笑いの道が終わり、民家が出始めた所に弘法大師を祀っているお堂があった。お堂の前の幟には 「知多四国
霊場」 の文字も見える。寺の境内でなく道端に弘法堂があったのは初めてだが、一先ず “南無大師遍照金剛” と宝号を唱えた。
だが次の遍路道はお堂の右の山裾を行くのか、それともお堂の前を通って民家のある方へ下るのか・・・・・
縮尺が大きい地図を見てもお堂は勿論、カーブしている道があるかどうかも分からない。周りに人も居ないし、仕方ない山裾の
道を行く事にしよう。
川沿いの民家 「すぐそこ」の道標
お堂から100mも行くと前方に南知多自動堂が見えてきた。シマッタこれは来過ぎてしまったと慌てて次の角を左折した。
そして出た所は太い車道で県道280号だった。
お堂の所を左折してもこの県道に出て、バス停の近くで橋を渡って細い道に出る事になっている。もう大丈夫だ。
県道と平行に流れる川沿いの民家は、赤っぽい石垣と黒壁が調和して良い雰囲気だった。
県道のバス停の所を右折して入った露地が、再び車道に合流して、その車道を南へ暫く行くと 「卍 ☚ すぐそこ」 と刻まれた
石の道標が建っていた。こんな表現の道標は珍しいが、この “すぐそこ” は実感が溢れていていい感じだ。。
正法寺山門 赤いレンガ塀と本堂
“すぐそこ” の道標から本当にすぐそこの所に正法寺の山門はあった。
正法寺の新しい山門の前には 「開運毘沙門天王」 の石碑や境内には白い多宝塔らしき建物も見えている。
山門から続く古い赤レンガの塀には、崩壊防止の鉄枠が取り付けられている。更に山門の右奥には大きな観音像も見ていた。
こりゃぁ面白そうだ。山門に来ただけでこんなに期待を持たせる札所は久しぶりだ。
本堂と厄除観音 弘法堂
まず訂正をします。多宝塔と紹介した建物は本堂だそうです。この寺は1999年12月24日(えっクリスマスだ)未明、不審火に
よって、弘法堂、客殿、庫裡を全焼し、町の重要文化財の室町時代の写経300巻も焼失したそうです。と云う事は多宝塔形式の
本堂は焼失を免れた事になるが、見た目は綺麗で新しそうに見える。
本堂のご本尊は毘沙門天だが、一緒に毘沙門天の妃と言われている吉祥天も祀られている。
毘沙門天が本尊なのも珍しいらしいが、毘沙門天を夫婦で一緒に祀ってあるのは、日本の寺でも珍しいのだそうです。
因みに知多四国霊場88ヶ寺の中で、ご本尊が毘沙門天なのは正法寺だけでした。
そんなに夫婦一緒が珍しいのなら、山門の左側に 「開運吉祥天妃」 と、毘沙門天の石碑より小振りの石碑を建てればと思う。
お詣りしたい(見てみたい)が本堂の扉は閉まっていた。
本堂の前に白文字で 「千本通し霊場」 と刻まれた石碑が見える。千本通し霊場とは四国霊場にもあったが、たしか薄いお札を
丸めて飲み込むと病気が治るとされていつやつだ。
果たしてここ正法寺の “千枚通し” も同じように、薄い和紙に「南無阿弥陀仏 法忍」と書かれたお札を、病気の時に飲むと病気が
治るとあった。
何故千枚通しかと云うと、 “法忍和尚” が書を書くと、その文字が千枚も通ったという事からその名が興ったと言われています。
たしか四国霊場では法忍和尚ではなく弘法大師が書いたと思うけどな。
28番から29番正法寺への道