歩行記録 H28-4-15(土)
歩行時間:6時間45分 休憩時間:2時間15分 延時間:9時間00分
出発時刻:6時40分 到着時刻:15時40分
歩 数: 43、739歩(推定距離30.62km) GPS距離31.3km
行程
はばたき橋 1:40> 登山口 0:45> 高根山 0:50> 県道出合 0:50> 勝間田公園 1:10> 勝間田城址 1:30>
諏訪原城址 1:00> 金谷駅
一等三角点
大井川の流域変更 高根山遠望
自宅近くの大井川のはばたき橋を出発。今日も遠くは霞んでいて富士山は顔を出していません。
大井川は年中と言っていいくらい護岸工事をしていて、そのたびに水の流れを工事に支障のない向きに変更している。
大河の流れを変更すると聞くと大工事を思い浮かべるが、大井川の流域変更はいとも簡単です。
何しろ “河原砂漠” と化すほど水が少なくて川床は砂利だけ。ブルでその砂利を寄せるだけで川の流れは変わってしまいます。
大井川の西岸には今日の歩く予定の高根山が見えているが、見るからに低い丘のような山だ。
それもそのはずで標高150.5mの超低山なので、一等三角点が無ければ行く気はならないような山です。
しかしその超低山に前回は肘鉄をくらい敗退して・・・・イエ違いました。敗退したのではなく 「旅とは何かを見残してくることだ」 を
実践してきたのでした。
何しろ私の旅は思い付きで決行することが多く、事前準備を殆どしません。格好良く言えば 「無計画の計画」 ですが、そのため
見残しや、やり残しはザラの事で、毎回宿題が残ってしまいます。
で、今回の計画は高根山で一等三角点を確認したあと、三つ葉ツツジの咲く勝間田公園に向かう。そこからこれも前回見落とした
勝間田城址の南曲輪を見て昼飯にする。
その後は牧之原台地を北に向かい諏訪原城を見学して、疲れや時間を考えて金谷駅ゴールか自宅ゴールかを決める。
それが今日の計画です。ルートは昨日蕨採りから帰ったあとYahoo!の地図で確認してあります。
高根山登山口(地点表示) 茶畑の上の方にガードルが見える
前回登山口を勝手に判断したため採石場の上に出てしまったので、今回は登山口をバッチリ確認してある。
丁度その場所は坂部交差点の南の 「清水堂」 の近くで、これなら分りやすく、また人にも聞きやすい。
更に清水堂の先の分岐には地元が建ててくれた 「高根山登山口」 の標識があったので迷わず山頂に向かう事ができた。
茶畑の斜面の上にガードレールが見えていて、作業道を行けば近道になりそうだが、昨日見た地図には極端なカーブは
無く、ただ単調に西の山頂に向かっていた。
一先ず近道は止め農道を行くとメインの農道は大きく右に曲がっているが、細めの農道が直進していた。
フー助かった近道をしないでと分岐から50mも入ると、軽トラに乗った人に 「何処へ行くの?」 と声を掛けられた。
「高根山です。」 と言うと 「俺はこの辺は良く歩いているが、この先は道は無いよ。お高根さんはさっきの農道を登って上に
出た所に標識があるから、そこがお高根さんの登り口だよ。」 と教えたくれた。
またもやフー!助かっただった。一旦戻って大きくカーブした農道を上りきると間違いなく標識があった。
雑木林の山道 ツツジが咲いていた
しばらく未舗装の道を行き山道になるが、そこにも標識があり安心して入る事ができた。
超低山というか里山の雑木林の中の道だが、ツツジが咲いていたり時折ピンクのリボンもあり山道の雰囲気はある。
???? ????
なんていう花なのだろう? 細い管のような花弁(?)が密集している花は、遠くからはシモツケソウに似て見えた。
植物辞典で調べたが結局分からない。花も木も多すぎて私には覚えきれない。
白山神社 一等三角点
所詮は超低山で山道に入って15分ほどで山頂に着いてしまった。
鳥居の先に見えるのは高根神社ならぬ白山神社。神社の縁起書を読むと
「白山神社 御祭神:大巳貴命 勧請年:仁安元年(1166) 勧請元:大和国城上郡三輪神社 由緒:札木の墨書には
「大風雨順時日月清明成就」 の五穀豊穣祈念の文字が判読される。
また、白山神社は高根神社または高根白山神社とも云われ、昔日照りの時は雨ご請いの神社で有名でした。境内地は大蔵省より
白山神社に譲渡された。」
高根白山神社とは藤枝市蔵田の高根山にある神社と名前が同じだが何か縁があるのだろうか?
だがここの縁起書には勧請元が大和国の三輪神社とあるのだから、この神社は当然三輪神社になると思うが何故か白山神社。
どういう謂れがあって白山神社になったのか不明だが興味を覚える。
一方、蔵田の白山神社を調べると 「高根白山神社は文治4年(1188年)、瀬戸川の水源聖地、高根山に加賀の白山神社より
分霊、勧請したと伝えられています。」 とあり、これなら明らかに白山神社で間違いはない。
これらの事実を以て私流に考えるなら、当初は三輪神社と号していたが、同じ高根山の白山神社が人気が出たので、それに
あやかって三輪神社を白山神社の名前を変えたのではないかな。 そんな事は無いか・・・・
神社の墨書の 「大風雨順時日月清明成就」 の意味も分からなかったので調べてみました。
これは “風雨順時 + 日月清明 + 成就” の事のようで、 「風雨順時(常のように雨や風が吹き)」 + 「日月清明(太陽や月が
清らかで、明るく輝く)」 + 「成就(なりますように)」 と理解すればよいようだ。
正に五穀豊穣を願う気持ちっを表した言葉の様です。尤も “大” の字は不要のような気がするが。
実は雨乞いの呪文なら “日月清明” は安倍清明の名前を呪文の中に読み込んだのではないかと思ったが違うようでした。
一等三角点 天測点 天測点アップ
三角点の案内板が建っていたが一等ならこの位の待遇をしても当然だと思える。
先日行った弓張山地の神石山の一等三角点には何の案内もなく淋しく感じたものだ。
案内板に 「観測方向:高天神山、八高山、竜爪山、万城岳(天城山) 点の記:三角点は山の頂上付近や見晴らしの良いところに
設置され、(中略)郷土の誇りです。」 とあった。
今まで私は三角点はそれこそ “点” と考えていて “三角” の事は考えた事も無かった。それがこの案内板に “観測方向” として
隣接した三角点名を挙げていた。
一等三角点網
早速それらの一等三角点を線で結んだのが上図です。今まで三角点の三角網は、どれもが同じ大きさの正三角形かと思って
いたが違っていました。このように大きさも形も違う三角形の集まりでした。
二等三角点網
更に二等三角点網も書いてみました。三角点の名前が昔の村の名前で聞いても何処なのか見当がつきません。
これが三等、四等となれば更に細かくなりキリがなさそうなのでこれで止めておきましょう。
そうだ天測点の話もしないと。
天測点の説明を読んだがよく理解できなかったので、案内板にあった文章をそのまま紹介します。
「坂部村天測点點 點之記 静岡県に一ヶ所しかない天測点とは
日本の三角点の経緯度は元東京天文台の原点を基準に、三角測量によって相対的に求めていたが測量誤差が生じる。
そこで天文測量といい、恒星による要所々々で子午儀を使って天体観測から絶対位置を求めました。この位置を天測点といいます。
1954年から1958年までに全国の35の道府県に48点が設置されました。国土交通省国土地理院」
山頂裏から採石跡 山頂裏から採石場
神社の北や西側はバラ線やロープを張り立入禁止になっていて、看板には 「大三工業 立入禁止」 となっている。きっと採石を
している会社なのだろう。失礼して隙間から入り藪をかき分けていくと、見えました、見えました、前回無念の撤退場所が。
下を覗き込むととても私が上り下りできる斜面ではない。あの時無理をしないで良かった。とホッとした。
そうだ三角点の案内に “三角点は見晴らしの良いところに設置され郷土の誇りだ” と書いてあったが、ここに三角点を設置した
頃は見晴らしが良かったのだろう。それならいっそのこと山頂の樹木を切り払い見晴しを良くしたらどうだろう。
神罰があたる・・・? イエイエ 神罰があたるなら神社の裏を削除してしまった砕石工場が既にあたっているでしょう。
自然保護? ソウそれも大事だが何も開発をするのではなく、少し昔の状態に戻し、ここの三角点に隣接する一等三角点を見通せる
ようにするだけです。しかもここの土地は大蔵省から神社が貰い受けているので問題はないし・・・・
駿河湾や遠州灘が見え、天城山や富士山を眺める事の出来る里山として、地元だけでなく三角点の愛好家も訪れるかもしれない。
そんな空想をしながら腰かけようとして腰を屈めると、イテテテ! 太腿の後ろや腰が痛くてしゃがむ事ができない。
そう云えば今朝、家を出る時から足腰がギクシャクしていたが、原因は昨日の蕨採りだと分かっていたので余り気にしなかった。
何しろ昨日歩いた距離はたった2kmにも満たないのだから、どうと云う事は無い筈だ。
でも違うんですよね、蕨採りは。何しろ蕨を取るためにしゃがむ回数が半端じゃない。いわば膝の屈伸運動を何度となく繰り返して
いるようなものだ。その影響が今日に残ってしまったのだ。歳は取りたくないものだ。
そんな訳でしゃがみ事なく立ったままの休憩になってしまった。
高根山の歩行地図
高根山山頂には2本の道があり、今歩いてきた表参道の道と、もう1本は山頂から北に下り道だった。多分この道が県道にある
地蔵峠のトンネルに向かう道だろうと下る事にした。
急な下り坂を下り始めると樹木の間から採石場がチラチラ見えていた。ウンこれなら間違いなく地蔵峠への道だ、と思うのも束の間、
すぐ舗装された農道に出てしまった。
左に登る先には携帯電話のアンテナ塔が見えているので、そこへ行く道だろうと判断し、右に下がる道をとった。
その農道を10分も下ると太めの道に合流し、そこの写真を写していて何となく見た覚えがあるが気がした。がそんな事は無い筈だ。
だがホンの数mも下ると急な斜面にある茶畑が出て来た。アッ!ここはさっき間違いを指摘され戻った道だ。何でだろう?
あのおじさんは山頂に行く道を知らなかったのだろうか? でも農道に出合った所には標識もあったのに?
でもマーいいや、おかげでグルリ周回することができたのだから感謝すべきだろう。
朝も見た急斜面の茶畑 下に下る農道が見えた
同じ道を清水堂まで引き返すのも面白くないので、途中にあった農道の分岐を入っていくと道はズンズン登っていく。
右(南)側にはさっきの急斜面の茶畑が見えてきた。どうか道が終わっていませんようにと祈りながら登って行き、ようやく稜線に
出ると北側が開け、県道や採石場が見てきた。それよりなにより茶畑の間には下に延びている農道が見えた。
フーこれで一安心、後は下るだけだ。
家に帰り地理院の地図で確認すると一目瞭然だった。なんで行く前にこれを確認しないでYahoo!の地図だけを見たのだ。と、
毎度の反省をした。
それにしても前回の高根山で採石場上から引き返したあと再度挑戦をしないで良かったと思う。夕方この農道に来れば結局山
頂には行けずに引き返すはめになっただろうから。
歩行時間:6時間45分 休憩時間:2時間15分 延時間:9時間00分
出発時刻:6時40分 到着時刻:15時40分
歩 数: 43、739歩(推定距離30.62km) GPS距離31.3km
行程
はばたき橋 1:40> 登山口 0:45> 高根山 0:50> 県道出合 0:50> 勝間田公園 1:10> 勝間田城址 1:30>
諏訪原城址 1:00> 金谷駅
一等三角点
大井川の流域変更 高根山遠望
自宅近くの大井川のはばたき橋を出発。今日も遠くは霞んでいて富士山は顔を出していません。
大井川は年中と言っていいくらい護岸工事をしていて、そのたびに水の流れを工事に支障のない向きに変更している。
大河の流れを変更すると聞くと大工事を思い浮かべるが、大井川の流域変更はいとも簡単です。
何しろ “河原砂漠” と化すほど水が少なくて川床は砂利だけ。ブルでその砂利を寄せるだけで川の流れは変わってしまいます。
大井川の西岸には今日の歩く予定の高根山が見えているが、見るからに低い丘のような山だ。
それもそのはずで標高150.5mの超低山なので、一等三角点が無ければ行く気はならないような山です。
しかしその超低山に前回は肘鉄をくらい敗退して・・・・イエ違いました。敗退したのではなく 「旅とは何かを見残してくることだ」 を
実践してきたのでした。
何しろ私の旅は思い付きで決行することが多く、事前準備を殆どしません。格好良く言えば 「無計画の計画」 ですが、そのため
見残しや、やり残しはザラの事で、毎回宿題が残ってしまいます。
で、今回の計画は高根山で一等三角点を確認したあと、三つ葉ツツジの咲く勝間田公園に向かう。そこからこれも前回見落とした
勝間田城址の南曲輪を見て昼飯にする。
その後は牧之原台地を北に向かい諏訪原城を見学して、疲れや時間を考えて金谷駅ゴールか自宅ゴールかを決める。
それが今日の計画です。ルートは昨日蕨採りから帰ったあとYahoo!の地図で確認してあります。
高根山登山口(地点表示) 茶畑の上の方にガードルが見える
前回登山口を勝手に判断したため採石場の上に出てしまったので、今回は登山口をバッチリ確認してある。
丁度その場所は坂部交差点の南の 「清水堂」 の近くで、これなら分りやすく、また人にも聞きやすい。
更に清水堂の先の分岐には地元が建ててくれた 「高根山登山口」 の標識があったので迷わず山頂に向かう事ができた。
茶畑の斜面の上にガードレールが見えていて、作業道を行けば近道になりそうだが、昨日見た地図には極端なカーブは
無く、ただ単調に西の山頂に向かっていた。
一先ず近道は止め農道を行くとメインの農道は大きく右に曲がっているが、細めの農道が直進していた。
フー助かった近道をしないでと分岐から50mも入ると、軽トラに乗った人に 「何処へ行くの?」 と声を掛けられた。
「高根山です。」 と言うと 「俺はこの辺は良く歩いているが、この先は道は無いよ。お高根さんはさっきの農道を登って上に
出た所に標識があるから、そこがお高根さんの登り口だよ。」 と教えたくれた。
またもやフー!助かっただった。一旦戻って大きくカーブした農道を上りきると間違いなく標識があった。
雑木林の山道 ツツジが咲いていた
しばらく未舗装の道を行き山道になるが、そこにも標識があり安心して入る事ができた。
超低山というか里山の雑木林の中の道だが、ツツジが咲いていたり時折ピンクのリボンもあり山道の雰囲気はある。
???? ????
なんていう花なのだろう? 細い管のような花弁(?)が密集している花は、遠くからはシモツケソウに似て見えた。
植物辞典で調べたが結局分からない。花も木も多すぎて私には覚えきれない。
白山神社 一等三角点
所詮は超低山で山道に入って15分ほどで山頂に着いてしまった。
鳥居の先に見えるのは高根神社ならぬ白山神社。神社の縁起書を読むと
「白山神社 御祭神:大巳貴命 勧請年:仁安元年(1166) 勧請元:大和国城上郡三輪神社 由緒:札木の墨書には
「大風雨順時日月清明成就」 の五穀豊穣祈念の文字が判読される。
また、白山神社は高根神社または高根白山神社とも云われ、昔日照りの時は雨ご請いの神社で有名でした。境内地は大蔵省より
白山神社に譲渡された。」
高根白山神社とは藤枝市蔵田の高根山にある神社と名前が同じだが何か縁があるのだろうか?
だがここの縁起書には勧請元が大和国の三輪神社とあるのだから、この神社は当然三輪神社になると思うが何故か白山神社。
どういう謂れがあって白山神社になったのか不明だが興味を覚える。
一方、蔵田の白山神社を調べると 「高根白山神社は文治4年(1188年)、瀬戸川の水源聖地、高根山に加賀の白山神社より
分霊、勧請したと伝えられています。」 とあり、これなら明らかに白山神社で間違いはない。
これらの事実を以て私流に考えるなら、当初は三輪神社と号していたが、同じ高根山の白山神社が人気が出たので、それに
あやかって三輪神社を白山神社の名前を変えたのではないかな。 そんな事は無いか・・・・
神社の墨書の 「大風雨順時日月清明成就」 の意味も分からなかったので調べてみました。
これは “風雨順時 + 日月清明 + 成就” の事のようで、 「風雨順時(常のように雨や風が吹き)」 + 「日月清明(太陽や月が
清らかで、明るく輝く)」 + 「成就(なりますように)」 と理解すればよいようだ。
正に五穀豊穣を願う気持ちっを表した言葉の様です。尤も “大” の字は不要のような気がするが。
実は雨乞いの呪文なら “日月清明” は安倍清明の名前を呪文の中に読み込んだのではないかと思ったが違うようでした。
一等三角点 天測点 天測点アップ
三角点の案内板が建っていたが一等ならこの位の待遇をしても当然だと思える。
先日行った弓張山地の神石山の一等三角点には何の案内もなく淋しく感じたものだ。
案内板に 「観測方向:高天神山、八高山、竜爪山、万城岳(天城山) 点の記:三角点は山の頂上付近や見晴らしの良いところに
設置され、(中略)郷土の誇りです。」 とあった。
今まで私は三角点はそれこそ “点” と考えていて “三角” の事は考えた事も無かった。それがこの案内板に “観測方向” として
隣接した三角点名を挙げていた。
一等三角点網
早速それらの一等三角点を線で結んだのが上図です。今まで三角点の三角網は、どれもが同じ大きさの正三角形かと思って
いたが違っていました。このように大きさも形も違う三角形の集まりでした。
二等三角点網
更に二等三角点網も書いてみました。三角点の名前が昔の村の名前で聞いても何処なのか見当がつきません。
これが三等、四等となれば更に細かくなりキリがなさそうなのでこれで止めておきましょう。
そうだ天測点の話もしないと。
天測点の説明を読んだがよく理解できなかったので、案内板にあった文章をそのまま紹介します。
「坂部村天測点點 點之記 静岡県に一ヶ所しかない天測点とは
日本の三角点の経緯度は元東京天文台の原点を基準に、三角測量によって相対的に求めていたが測量誤差が生じる。
そこで天文測量といい、恒星による要所々々で子午儀を使って天体観測から絶対位置を求めました。この位置を天測点といいます。
1954年から1958年までに全国の35の道府県に48点が設置されました。国土交通省国土地理院」
山頂裏から採石跡 山頂裏から採石場
神社の北や西側はバラ線やロープを張り立入禁止になっていて、看板には 「大三工業 立入禁止」 となっている。きっと採石を
している会社なのだろう。失礼して隙間から入り藪をかき分けていくと、見えました、見えました、前回無念の撤退場所が。
下を覗き込むととても私が上り下りできる斜面ではない。あの時無理をしないで良かった。とホッとした。
そうだ三角点の案内に “三角点は見晴らしの良いところに設置され郷土の誇りだ” と書いてあったが、ここに三角点を設置した
頃は見晴らしが良かったのだろう。それならいっそのこと山頂の樹木を切り払い見晴しを良くしたらどうだろう。
神罰があたる・・・? イエイエ 神罰があたるなら神社の裏を削除してしまった砕石工場が既にあたっているでしょう。
自然保護? ソウそれも大事だが何も開発をするのではなく、少し昔の状態に戻し、ここの三角点に隣接する一等三角点を見通せる
ようにするだけです。しかもここの土地は大蔵省から神社が貰い受けているので問題はないし・・・・
駿河湾や遠州灘が見え、天城山や富士山を眺める事の出来る里山として、地元だけでなく三角点の愛好家も訪れるかもしれない。
そんな空想をしながら腰かけようとして腰を屈めると、イテテテ! 太腿の後ろや腰が痛くてしゃがむ事ができない。
そう云えば今朝、家を出る時から足腰がギクシャクしていたが、原因は昨日の蕨採りだと分かっていたので余り気にしなかった。
何しろ昨日歩いた距離はたった2kmにも満たないのだから、どうと云う事は無い筈だ。
でも違うんですよね、蕨採りは。何しろ蕨を取るためにしゃがむ回数が半端じゃない。いわば膝の屈伸運動を何度となく繰り返して
いるようなものだ。その影響が今日に残ってしまったのだ。歳は取りたくないものだ。
そんな訳でしゃがみ事なく立ったままの休憩になってしまった。
高根山の歩行地図
高根山山頂には2本の道があり、今歩いてきた表参道の道と、もう1本は山頂から北に下り道だった。多分この道が県道にある
地蔵峠のトンネルに向かう道だろうと下る事にした。
急な下り坂を下り始めると樹木の間から採石場がチラチラ見えていた。ウンこれなら間違いなく地蔵峠への道だ、と思うのも束の間、
すぐ舗装された農道に出てしまった。
左に登る先には携帯電話のアンテナ塔が見えているので、そこへ行く道だろうと判断し、右に下がる道をとった。
その農道を10分も下ると太めの道に合流し、そこの写真を写していて何となく見た覚えがあるが気がした。がそんな事は無い筈だ。
だがホンの数mも下ると急な斜面にある茶畑が出て来た。アッ!ここはさっき間違いを指摘され戻った道だ。何でだろう?
あのおじさんは山頂に行く道を知らなかったのだろうか? でも農道に出合った所には標識もあったのに?
でもマーいいや、おかげでグルリ周回することができたのだから感謝すべきだろう。
朝も見た急斜面の茶畑 下に下る農道が見えた
同じ道を清水堂まで引き返すのも面白くないので、途中にあった農道の分岐を入っていくと道はズンズン登っていく。
右(南)側にはさっきの急斜面の茶畑が見えてきた。どうか道が終わっていませんようにと祈りながら登って行き、ようやく稜線に
出ると北側が開け、県道や採石場が見てきた。それよりなにより茶畑の間には下に延びている農道が見えた。
フーこれで一安心、後は下るだけだ。
家に帰り地理院の地図で確認すると一目瞭然だった。なんで行く前にこれを確認しないでYahoo!の地図だけを見たのだ。と、
毎度の反省をした。
それにしても前回の高根山で採石場上から引き返したあと再度挑戦をしないで良かったと思う。夕方この農道に来れば結局山
頂には行けずに引き返すはめになっただろうから。